「JR線から新十三大橋」編からの続きです。どんどん行きます!
十三大橋は美しい!
もちろん電車から、車から、何度もこの橋を見たことがあったのだが、
「下町十三を、歩こう。」というブログに最近十三大橋の話が
出ていたのを読んで、近くで見るのを楽しみにしていたのだ。

いやぁ~美しい。
このブレースドリブアーチ橋は、大浪橋と似ている、と、先述のブログにコメントしたことが
あるのだが、よく見ると少し違っているな。。。

欄干や、下部の構造も美しい。
向こう側のトラスは阪急電車のもの。

元は能勢街道、交通の要衝だった。今は国道176号、今も交通の要衝。

十三大橋の親柱。淀川大橋のものよりもシンプルな形で背が高い。

そしてこの親柱のたもとにこんな、歯車をモチーフにした装飾があしらわれている。
この地に初めて橋が架けられたのは明治11年、現在の橋は、昭和7年に
開通したものだそうだ。このデザインから当時の大阪の工業発展の力強さが
生き生きと伝わってくる。


一番端の梁だけ、デザインが違っていることに気がついた。
ルミナリエみたいでとてもきれい!!

船の舵のようなモチーフがついていて、かなり凝っている。
ちなみに、この写真を撮ろうと橋の上で立ち止まると、他の人にかなり迷惑。
歩道は狭い上に、自転車の交通量がかなりのものなのだ。行く人は注意を。

さて、十三大橋を走り抜ける車はこのデザインに気が付いているだろうか。

これが十三小橋。大橋と同じ立派な石造の親柱を持つ。
両側の橋に挟まれているのと、十三大橋が目立ちすぎるせいで、十三小橋の
存在は沈みがちなのだが、手すりも大橋とおそろいでなかなかかわいい。

大橋と小橋の間に、「往来安全」の石碑が建っていた。
伊丹二里半、池田四里、高麗橋一里。この橋を徒歩で渡る人も多かった時代から
現在まで、往来の安全を願う気持ちに変わりはない。

次へ続く。
十三大橋は美しい!
もちろん電車から、車から、何度もこの橋を見たことがあったのだが、
「下町十三を、歩こう。」というブログに最近十三大橋の話が
出ていたのを読んで、近くで見るのを楽しみにしていたのだ。

いやぁ~美しい。
このブレースドリブアーチ橋は、大浪橋と似ている、と、先述のブログにコメントしたことが
あるのだが、よく見ると少し違っているな。。。

欄干や、下部の構造も美しい。
向こう側のトラスは阪急電車のもの。

元は能勢街道、交通の要衝だった。今は国道176号、今も交通の要衝。

十三大橋の親柱。淀川大橋のものよりもシンプルな形で背が高い。

そしてこの親柱のたもとにこんな、歯車をモチーフにした装飾があしらわれている。
この地に初めて橋が架けられたのは明治11年、現在の橋は、昭和7年に
開通したものだそうだ。このデザインから当時の大阪の工業発展の力強さが
生き生きと伝わってくる。


一番端の梁だけ、デザインが違っていることに気がついた。
ルミナリエみたいでとてもきれい!!

船の舵のようなモチーフがついていて、かなり凝っている。
ちなみに、この写真を撮ろうと橋の上で立ち止まると、他の人にかなり迷惑。
歩道は狭い上に、自転車の交通量がかなりのものなのだ。行く人は注意を。

さて、十三大橋を走り抜ける車はこのデザインに気が付いているだろうか。

これが十三小橋。大橋と同じ立派な石造の親柱を持つ。
両側の橋に挟まれているのと、十三大橋が目立ちすぎるせいで、十三小橋の
存在は沈みがちなのだが、手すりも大橋とおそろいでなかなかかわいい。

大橋と小橋の間に、「往来安全」の石碑が建っていた。
伊丹二里半、池田四里、高麗橋一里。この橋を徒歩で渡る人も多かった時代から
現在まで、往来の安全を願う気持ちに変わりはない。

次へ続く。
お次は、いよいよ問題の新御堂筋ですね。何が問題かは、もうご存知かも知れません。
問題があるのですか!?知りません知りません。
何でしょう。
先に教えてほしいような、見てから聞きたいような・・・(笑)
戦前と戦後の見事なコラボレーションですね。
でも、このことは既にご存知かも。
戦前の橋脚の上に戦後の橋が乗ってるのですね!
どうしてデザインが変更されたのでしょう。
20年の間に技術が進歩したということでしょうか。
興味深いですね。
精力的に歩き回られてますね。コメントが追いつきません。
こちらの十三大橋、歩いて渡ったこともありますが、こんな素敵な装飾には気づいていませんでした。
知っていたら、十三大橋を渡る気分が明るくなりそう。
最近、写真も文章も多くなりすぎててイカンなーと
思ってるのですが。
ついつい端から端まで全部を伝えようとしてしまいますが
もっと削ぎ落としていかねばと思っています。