「富山地方鉄道 寺田駅」の記事で、北陸へ行く前日に写真を撮りすぎたと書いたのは、
土曜日に小道さんと一緒にわたらせ渓谷鐡道で足尾へ行ったからだ。
JR桐生駅の端のホームに「わ鐵」のディーゼルカーが一両停まっていた。
車体の色は「あかがね色」。足尾銅山の銅のイメージとか。
うなりながら走り出す。JR線から分かれ、東武線と併走しながら相老駅を過ぎると、
その名の通り渡良瀬川の渓谷風景が目に入ってくる。
新緑や紅葉のシーズンには絶景というが、真冬の午前中の渡良瀬川は水面が
ずっと日陰になっていて暗く沈んでいる。
それでも渓谷の際をくねくねと進んでいく「わ鐵」の前面展望はワクワクの連続!
駅舎は鉄道旅の目的の定番。この路線も古い駅舎が多くて、次の駅が見えてくるのが楽しみだ。
行き違い待ちの小停車もうれしい。
途中、本宿駅を過ぎたあたりで突如停止。何だ?
線路に倒れた竹が覆いかぶさっている。若い運転士さんと同乗のベテラン運転士さんが
外へ出てノコギリで枝を切り撤去。その作業を私たちは窓から見たり写真を撮ったり。
ノコギリは必需品らしく、車内に備えつけてあるという。
水たまりに足を突っ込んだ若い運転士さんはその後裸足で運転するはめに。。。
ご苦労さまです。
降りたい見たいポイントは多々あるが何せ便が少ない。2人で時刻表を見ながら
頭をひねり降りる駅を決めた。まずは花輪で降りて旧花輪小学校を見に行く。
昭和7年築の大きな小学校。この地域が栄えていたことがわかる。
教室にはいろんな資料を展示してある。鉄道の資料も興味深い。
足尾銅山主で古河財閥の創業者である古河市兵衛が、鉄道計画を練り出願を重ねた末
認可が下り、明治44年に下新田~大間々間、大正元年に大間々~足尾間が開通。
国有化されて国鉄足尾線となり、JRを経て平成元年に第三セクターのわたらせ渓谷鉄道に。
足尾線時代の駅風景を復元してあったり、なつかしい品々が展示されている。
腕木式信号機の腕木部分がおいてあり、その大きさにちょっとびっくり。
さて再びディーゼルカーに乗り今度は終点間藤へ向かう。
何の遺構だろうか、こんな滑り台のようなものが線路を越えていた。
味のある鉄橋を渡り、いくつもトンネルを抜け、、、見どころは多い。
これは古いピントラス橋の渡良瀬川第2橋梁。
主要駅には、カラー刷りのきれいなわ鐡オフィシャル沿線案内のリーフレットが
設置されているが、それよりも詳しいのは、車内のプラスチックカゴにどさっと
入れられていた、「2015年の公共交通をつくる会」制作の白黒のガイドマップ。
わ鐡の気動車の諸元や全路線の勾配の推移などの鉄道データから、
沿線のバス時刻表、駐車場やトイレ、コロッケ屋さんやうどん屋さんの情報まで
載っていて、愛情がいっぱい感じられる手作りマップなのだ!
終点間藤駅に到着。無人駅である。
休日だからだろうか、駅前も人の気配はしない。いきなり異国へ来たような感覚。
しん・・・とした冷たい空気の中に、古い工場が広がっていた。背景には雪山。
時間の都合上、ここから上へ行くのはあきらめて下ってゆく。
さっき渡ってきた松木川第1橋梁、先述のガイドマップによると、「明治時代に
日本鉄道が岩手・青森県境に架けた鉄橋の橋脚が再利用」されているという。
石積みの土台の上に小さなタワーのような橋脚がふんばっている。
土台部分は改修中のようだ。真新しい塗装の渡良瀬川第2橋梁といい、きっちり
メンテナンスされて、100年経ってもまだまだ現役なのを見るとうれしくなる。
その向こう側の人道橋も古そうだ。
1914年竣工。餘部鉄橋と同じトレッスル橋。
さらに下っていく。
土曜日に小道さんと一緒にわたらせ渓谷鐡道で足尾へ行ったからだ。
JR桐生駅の端のホームに「わ鐵」のディーゼルカーが一両停まっていた。
車体の色は「あかがね色」。足尾銅山の銅のイメージとか。
うなりながら走り出す。JR線から分かれ、東武線と併走しながら相老駅を過ぎると、
その名の通り渡良瀬川の渓谷風景が目に入ってくる。
新緑や紅葉のシーズンには絶景というが、真冬の午前中の渡良瀬川は水面が
ずっと日陰になっていて暗く沈んでいる。
それでも渓谷の際をくねくねと進んでいく「わ鐵」の前面展望はワクワクの連続!
駅舎は鉄道旅の目的の定番。この路線も古い駅舎が多くて、次の駅が見えてくるのが楽しみだ。
行き違い待ちの小停車もうれしい。
途中、本宿駅を過ぎたあたりで突如停止。何だ?
線路に倒れた竹が覆いかぶさっている。若い運転士さんと同乗のベテラン運転士さんが
外へ出てノコギリで枝を切り撤去。その作業を私たちは窓から見たり写真を撮ったり。
ノコギリは必需品らしく、車内に備えつけてあるという。
水たまりに足を突っ込んだ若い運転士さんはその後裸足で運転するはめに。。。
ご苦労さまです。
降りたい見たいポイントは多々あるが何せ便が少ない。2人で時刻表を見ながら
頭をひねり降りる駅を決めた。まずは花輪で降りて旧花輪小学校を見に行く。
昭和7年築の大きな小学校。この地域が栄えていたことがわかる。
教室にはいろんな資料を展示してある。鉄道の資料も興味深い。
足尾銅山主で古河財閥の創業者である古河市兵衛が、鉄道計画を練り出願を重ねた末
認可が下り、明治44年に下新田~大間々間、大正元年に大間々~足尾間が開通。
国有化されて国鉄足尾線となり、JRを経て平成元年に第三セクターのわたらせ渓谷鉄道に。
足尾線時代の駅風景を復元してあったり、なつかしい品々が展示されている。
腕木式信号機の腕木部分がおいてあり、その大きさにちょっとびっくり。
さて再びディーゼルカーに乗り今度は終点間藤へ向かう。
何の遺構だろうか、こんな滑り台のようなものが線路を越えていた。
味のある鉄橋を渡り、いくつもトンネルを抜け、、、見どころは多い。
これは古いピントラス橋の渡良瀬川第2橋梁。
主要駅には、カラー刷りのきれいなわ鐡オフィシャル沿線案内のリーフレットが
設置されているが、それよりも詳しいのは、車内のプラスチックカゴにどさっと
入れられていた、「2015年の公共交通をつくる会」制作の白黒のガイドマップ。
わ鐡の気動車の諸元や全路線の勾配の推移などの鉄道データから、
沿線のバス時刻表、駐車場やトイレ、コロッケ屋さんやうどん屋さんの情報まで
載っていて、愛情がいっぱい感じられる手作りマップなのだ!
終点間藤駅に到着。無人駅である。
休日だからだろうか、駅前も人の気配はしない。いきなり異国へ来たような感覚。
しん・・・とした冷たい空気の中に、古い工場が広がっていた。背景には雪山。
時間の都合上、ここから上へ行くのはあきらめて下ってゆく。
さっき渡ってきた松木川第1橋梁、先述のガイドマップによると、「明治時代に
日本鉄道が岩手・青森県境に架けた鉄橋の橋脚が再利用」されているという。
石積みの土台の上に小さなタワーのような橋脚がふんばっている。
土台部分は改修中のようだ。真新しい塗装の渡良瀬川第2橋梁といい、きっちり
メンテナンスされて、100年経ってもまだまだ現役なのを見るとうれしくなる。
その向こう側の人道橋も古そうだ。
1914年竣工。餘部鉄橋と同じトレッスル橋。
さらに下っていく。
100年を超える鉄橋と云えば、南海電車がお馴染みですね。
南海電車も歴史が古いですよね~
大和川の鉄橋は古いですね。高野線だったっけ?
極楽橋の近くにも古そうなのがありました。名前は知らないですけど。。
高野線はまた行きたいと思っててまだ行ってないなぁ~