まちかど逍遥

私ぷにょがまちなかで遭遇したモノや考えたコトなどを綴ります。

飾磨港線の廃線跡をたどる

2009-12-05 20:39:03 | 鉄道風景
姫路モノレールを見た後、現地で合流したyumeさんと国鉄飾磨港線を歩くことにした。
今までそんな線があったことを知らなかったのだが、どこかうろつくのに面白そうなところが
ないかなと家で昭和54年の地図を見ていて見つけたのだ。飾磨駅から北上してくる山陽電鉄に
対向するように、姫路駅からまっすぐ南下して海際の飾磨港駅まで伸びている。
飾磨港線というのは通称で正式には播但線の一部であるらしい。姫路~飾磨港間は播但鉄道が
明治28年に開業したというからかなり古い路線なのに、今まで知らなかったとは。。。(恥)

ネットでみると、JR姫路駅の高架化改修に伴う山陽電鉄の線路の付け替えで、旧飾磨港線の
跡地が一部使われているらしい。また工場跡地の再開発や道路整備などで廃線跡も含めて
かなり風景が変わっているようだ。
もうほとんど面影は残っていないかも・・・?そんな不安もあったが、とにかく見に行くことにした。

手柄駅から山陽電車に乗って飾磨駅へ向かうと、窓から山陽電鉄に寄り添うように伸びる
遊歩道が見える。途中から徐々に離れていき集落のかげに消えていった。
さて山陽電鉄の飾磨駅から歩こう。


西へ西へ向かって1キロほど歩くと、山陽線をくぐってきた遊歩道に出会う。これが廃線跡だ。
しかし遊歩道もここで終わっている。この先は敷島紡績の工場跡地を再開発した巨大なイオンの
ショッピングセンターとともに広い道路が整備され、整地中の工事現場や住宅展示場や
真新しいハイツが建ち並ぶ風景の中には国鉄飾磨港線の廃線跡など何も見出すことができない。
あぁ、遅かったか・・・


国道250号の南側に橋梁跡が残っているという情報が、今も変わっていないことを祈りつつ、
土地の記憶が抹消されたエリアを抜ける。
すると・・・あった!水路を渡っていたコンクリートの橋台が二つ。この手前で貨物線と分岐して
いたのだな。ということは、国道250号の北側にある大和会館あたりに国鉄飾磨駅があったのか。


現役時代の地図を見ると、左側が飾磨港駅へ続く旅客兼用線、右側が新日鉄の工場へ続く貨物専用線だ。
どちらも魅力的だが、、、とりあえず飾磨港駅までたどろう。


ここからはほんとにしみじみと情緒のある廃線跡風景が続く。
角の取れたバラストも残る軌道敷はゆるやかにカーブしながら古い集落の間を抜け、浜手緑地を抜け、
港へ・・・・!
飾磨港線は昭和61年に廃止されたが、もう20年あまりもそのままの状態で放置されて
いるようだ。


廃線跡を右に左に、ジグザグと縫うように歩く。踏切跡もそのまま残っていて楽しい散策。
近年に建てられた「旧国鉄飾磨港線跡」という石碑が、家の陰にひっそりとたたずんでいる。
もう少し目立つところに建てればよいのに。。。

残念ながら、終着駅飾磨港駅の広いヤードは早いうちに再開発されたようで、「みなとドーム」の
あるあたりだろうと見当はついたが何も残っていなさそうだ。
飾磨港は今は姫路港の一部とされ、家島行きや小豆島行きの船も発着している。


さて橋台のあったところへ戻り、今度は貨物線の方をたどることにしよう。


こちらはだんだん築堤の高さを増し・・・川を渡る!橋がそのまま残っていた。
単線分の幅だけの狭い橋は一応人道用に転用してあるが、床面には砂利が撒かれただけで
雑草がいっぱい生えている。
貨物列車と同じ風景を見ながら、鉄橋を歩いて渡る。。。


「鉄橋 線路内・・・(に入らないこと?) 飾磨警察署 新日鉄広畑製鉄所」


その先の築堤は近所の人の散歩コースになっているようだ。私たちもここをしばらく歩いてみたが、
地平へ降りてきた辺りからは菜園になっていた。
あぁここを機関車に引かれた貨物列車が走っていたのか。。。工場を遠く眺めながら、
往時の風景を思い描いた。


朝早かったので朝食もろくに食べておらず、ずっと途中でお昼を食べよう食べようと思いながら
歩いていたが、店がないので結局飾磨駅前に戻って食事にありついたのは2時半頃。
あぁ、おなかすいた!

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