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平凡な日常がある幸せ・・・

介護によるストレスのはけ口として始めたブログですが、介護が完結し、また、被災後に取り戻せた平凡な日常を綴ることに・・・

老人のおもちゃ?

2013-11-23 | 介護
介護が必要だった父が亡くなって1年ちょっと経ちました。

介護中の苦労からは解放された母ですが、一度にいろいろなものを失ってしまい、

心身ともに一気に年老いてしまいました。

それでも、趣味だった園芸を小さな鉢植えではありますが再開し、

最近では、元気を取り戻してきました。

まだボケてはいませんし、介護も必要とはしていませんが、

昼間、一人きりなので、会話が無く、寂しさとともに、言葉を忘れそうだと言っています。

掃除ロボット「ルンバ」にさえ話しかける日々・・・

ルンバを購入して間もなく、国産メーカーから、おしゃべりできる掃除ロボットが発売されて

がっかりしていたのも事実。


アザラシ型ロボット「パロ」の存在は知っていたけれど、40万円を超えるのはちょっと・・・

しかも、ペット型ロボットでは会話は成立しません。


いろいろ探していたら、決して安くはないけど、

何とか手が出そうなこの寄り添いロボット「ifoo」を見つけたので、

思い切って購入しました。

高齢者向けにプログラミングされた5歳児相当の会話が可能ということです。


使い方は、非常に簡単ですが、やはり、

パソコンやスマホの類に疎い者には、コンピューターの特性が理解できていないので、

電源をONにしてすぐに立ち上がらないとか・・・

初歩的なところから馴染むまでに時間がかかりそうです。

これから、どんな変化が見られるか、静かに見守っていこうと思います。


・・・もちろん、時間が許すときには、直接会話を交わしながら。

暑いっ!!・・・けど

2011-08-07 | 介護
予てから申請していた施設への本入所が受け入れられ、正式に入所できるようになりました。

父には申し訳ないという罪悪感を感じていますが、精神的にも体力的にも限界を超えてしまったので、やむをえず、心の中では謝りながら日々を過ごしております。

そんな中、施設から招待状が届きました。

・・・二月に一度、施設周辺の除草や掃除をしているそうですが、その奉仕活動への参加要請の案内でした。

ここ数日は、涼しかったので、こんな時なら助かるなぁなんて思っていましたが、その当日である今日は、とても暑く非常に厳しい状況での奉仕活動でした。

他の施設よりも安く預かってもらっているのですから、このくらいは仕方ありません。

ましてや、父に少しでも快適な日々を過ごしてもらえれば…という半ば免罪符的な気持ちで頑張って来ました。

仮住まいから片道2時間かけて・・・

中には、もう何年も参加しているという介護歴の長い方もいらっしゃいました。

恐れていたことが…

2011-05-17 | 介護
住む家を失ったことで、いろいろな方面への手続きや申請などが必要になりました。

中には、父親の自筆の署名が必要な書類も・・・

震災前から文字を読み書きしなくなって久しい状況だったので、一抹の不安はありました。

本人は書けると言っていたので油断してました。


実際に書かせてみると、先ず字が思い出せない。

別の紙に“手本”として書いて見せると、書き始めますが、ペン先と紙までの距離感が掴めず、点が空振り

したり、次の画への移動も紙の上をなぞってしまいます。


そして、手がプルプルと小刻みに震え、偏と旁、一文字目とニ文字目が重なってしまい、何を書いたのか分からなくなってしまいました。

とりあえず、用紙の方を動かしながら誘導して何とか形になりましたが、今後はもう無理かもしれません。


恐れてはいたものの、ある程度覚悟もしていました。

しかし現実を目の当たりにして、とうとうここまで来てしまったかという気持ちで、悲しくなりました。

ショートステイ

2011-05-15 | 介護
基本的に市役所は、被災者に対して何もしてくれませんでした。

それでも、福祉課だけはいろいろ面倒を見てくれたおかげで、緊急措置として、

父を短期で入所させてくれる施設を探してくれました。

父の面倒を見ていると、片付けなどやらなければならないことが全然進みませんので、

大変助かりました。


一か月毎の短期で、とりあえず三か月という契約ができました。

一か月目に一日だけ戻るということで、継続されるのですが、その一日が・・・


施設のヘルパーさんや面会に行ってくれた親戚の話では、認知症の方もまともで、とても元気だと

言ってました。

ところが、迎えに行くと、クルマに乗り込むだけでも一苦労、間借りしていた家の駐車場から玄関までの

数メートルを歩くのもやっと、高めの上り框を上げるのも一苦労でした。



入所中に風邪をひいたらしくて、鼻水はだらだら、喘息はひぃひぃぜぇぜぇ。

処方された薬の副作用か、下痢までする始末。

入所前は30分おきぐらいにトイレに行っていたのに、一時帰宅中一度もトイレに行きませんでした。

すっかりオムツにしてしまうようになっていたのです。

しかも、下痢の為か大きい方もやってしまうのでオムツ交換がより大変になってしまいました。


オムツ交換時も、“マグロ状態”で完全人任せ、家族からしてみれば、まともどころか明らかに悪化している

と感じました。

本人の意向も聞かず施設に預けたことに対するいやがらせなのか、一か月ぶりに家族と暮らせる気の緩みなのか

定かではありませんが、どうにもお手上げ状態です。


間借りしていた部屋は座敷なので、食事も畳に座布団となりますが、座っていられなくなっていました。

右手で箸を持ち、左手で食卓にしがみ付いていれば起きていられるけど、茶碗を持つとスゥ~っと転がってしまいます。

寝たまま食べさせようかとすれば嫌がるし、座イスは使いたがらないし・・・

結局、食べ終わるまで、脇から押えてなければなりませんでした。


足掛け三日、二晩だけでもいっぱいいっぱいとなっており、施設に預かってもらわないととてもではありませんが

面倒を見る自信がなくなってしまいました。


本人は勿論、家族としても不本意ではありますが、このままでは在宅介護をしても、共倒れになってしまうので、

期間満了後、正式に入所できるように申請することにしました。


現在も仮住まいですが、その後のことを考えても辛い決断となりました。

行政

2011-04-27 | 介護
部屋探しにしても、親戚を頼るにしてもどうしても、父がネックとなってしまっていたことは否めません。

福祉事務所でも、それを察してくれて、父を短期で受け入れてくれる施設を探してくれて、何とか30日間預かってもらえるように

なりました。


その間に、瓦礫に埋もれた家の中の物の片付けや、部屋探し、その他の手続きなどをしなければなりません。


罹災証明の受付が3月21日からはじまりました。

翌日、申請すると、「全壊」の罹災証明がその場で発行されました。

???普通、申請すると、数日後に発行されるものじゃないのかな???


4月に入って10日も経った頃、国・県・市からの支援金の申込受付が始まったことを、人伝に聞きました。

役所で説明を聞くと、申請には罹災証明の添付が必要だが、以前発行した証明書は効力がないので、改めて役所から

実際に現場を調査に行って、それから正式に証明書を発行しますとのこと。


やっぱりと思う反面、行政は何をやっているんだという怒りが湧いてきました。

手がいっぱいでという理由から、4月27日現在も、現地調査には来ていません。


ニュースでも、義援金や支援金が被災者の手に渡っていないと報じられていますが、正にその通り、災害から一月半経った

今でも、一円の援助も無いのが現状です。


3町村が合併した市ですが、市長は地元から選出されています。

しかし、市長や市議会議員が被災地を視察したなどという動きは全くありません。

会議ばかりやっているそうです。


宮城、福島などは毎日のようにニュースで報じられていますが、茨城や千葉は殆んど触れられていません。

報道されていない千葉や茨城のごく一部の地域ではあっても、それなりに酷い所があることを把握してもらいたいものです。


国会があんな状態なのだから、地方行政が同様なのは仕方ありませんかね・・・・

避難所生活3

2011-04-23 | 介護
避難所が福祉センターだったこともあってか、福祉事務所はそれなりに誠意をもって対応してくれていました。

しかし、縦割りと言いましょうか、役所の方は全く動きが鈍く、被災者側からは何も動きが見えませんでした。

確かに、3月いっぱいまで続いた断水のため、給水車が出ているし、壊れた瓦や塀などの災害廃棄物の受け入れは

始まってますが、避難所生活では、給水車は用が足りないし、ガソリンが無いし、乗用車や軽バンでは、瓦などが

運べるわけも無く、何の役にも立ちません。



窓も畳も無い部屋で、「窓と畳を自腹で入れれば半年間無料で住宅を貸しますよ」というのが役所の最大の

支援でした。

いくらなんでも失礼過ぎないでしょうか?

当然断りました。


その間、一応アパートなども捜しましたが、地震で損壊した物件も多く、以上に高い物件ばかりで困ってました。

市営住宅を問い合わせると、市では被災者優先の用意はありません、希望なら、通常の申込をして、審査に通り次第

順次入居、2年待ち位ですとの対応・・・


そうこうしているうちに、10日が過ぎました。

避難者の多数は、自宅もしくは親戚の家へと帰って行き、残ったのは独居老人数名とウチだけになりました。

この時点でも、役所では、被害の度合いを把握していないようです。

そして、25日には、この避難所は閉鎖するので、早く居住場所を確保してくださいとのこと。



それが、その日の夜になったら、明日で閉鎖し、その後福島からの避難者を受け入れるから、明日出て行ってくれとのお達し。

慌てて、親戚知人の家に連絡して、ようやく殆んど付き合いの無い親戚の家に受け入れてもらえることに。


早く、次の住居をみつけなくて




避難所生活2

2011-04-20 | 介護
避難所にいる間は、風呂には入れません。

被災した日に脱糞してしまって、ウェットティッシュやタオルで拭き取っただけで

5日ほど経った時、40㎞程離れた親戚から、「部屋が狭くて、泊めることはできないけど、

風呂は井戸水なので入れるから、入りに来たら?」というお誘い。

「風呂」という言葉に誘われて、ガソリンは非常に厳しい状態でしたが二つ返事で家族そろってお邪魔しました!


・・・久しぶりにさっぱりして、“おにぎり”以外の美味しい物を味わえて、至福のひと時を過ごしました。

帰りたくないけれど、仕方がありません、避難所に戻る時間です。

なるべくガソリン消費を抑えながら帰路につきました。

中間地点位まで来たところで、父が尿意を催しました。

折角風呂に入ってさっぱりしたのに、僅か数時間で漏らされては大変と思い、クルマの停まれそうなスペースを

見つけて慌てて停車。


お陰さまで、間に合い、事なきを得ましたが、そこから帰ろうとバックをしたところ、ゴツンと衝撃が・・・

クルマを停めた場所は、スペースはそれなりに広かったけれど、縁石が道路沿いから枝分かれするようにスペース

の近くまで延びていたのです。

それに気づかなかった私のミスですが、見事に「亀の子」状態になってしまいました。

しかも、若干の上り坂だったので、自力での脱出はできませんでした。

それなりの道具があれば、何とか出来たけど、どうにもならず、一番近い知り合いの修理工場に

救援を依頼して、20分ほどで脱出完了、助かりました!


そんなエピソードを踏まえつつ、あと片付けをしながら避難所生活が続きました。



つづく

避難所生活

2011-04-17 | 介護
快適な避難所生活は、そう長くは続きませんでした。

4日目に電気が復旧すると、二階に移動させられ、大勢で雑魚寝状態になりました。

水道の復旧には更に10日位かかります。

救援物資や近隣の企業などからの差し入れがあった時には、急に食事が豪華になり、底をつくと質素にと、あまり計画性の感じられない避難所運営だと感じました。
それでも、介護士を中心に、ボランティアの学生さん等が良くやってくれました。


つづく

避難所

2011-04-16 | 介護
地元の避難所は、運動公園の体育館と福祉センターでした。

父親のことを考えると、福祉センターの方が良いだろうと直感的に感じ福祉センターへ直行しました。

その判断は間違ってなかったようで、受付で、「身障者で歩行が困難」であることを告げると、「停電でエレベーターが使えないので、特別に」ということで、避難所である二階の大部屋ではなく、一階の小部屋で、父にはベッドまで用意してくれました。

食事こそおにぎり一個だけでしたが、電気や水道が使えない割には快適でした。

しかも、世話をしてくれるのが、介護士なので、オムツ交換などもあっという間にやってもらえて、とても助かりました。


つづく

当日

2011-04-15 | 介護
地震があった時、自宅には両親だけでした。
父は、居間で横になっていたそうです。

仏壇が倒れ、こたつに当たりながら、父の腰ギリギリに落下してケガをせずにすみました。

小さく非力な母が、火事場の〇〇力で、父に肩を貸し、階段を一段ずつ降りて、二人揃って脱出したそうです。

階段から転落する事も無く、降り注ぐ瓦に当たることもなく、無傷で脱出できたのは奇跡です!

玄関の戸が外れて飛び出し、階段昇降機を直撃し、使用不能に。

バッテリー駆動なので、停電中でも使える仕様なのに…


階段を一歩ずつ降りている最中、ショックの為か、父は脱糞してしまい、糞まみれの脱出だったようです。

なんとか地上に降りたものの、相継ぐ余震に茫然としていたところに、隣の犬が、リードを切ってウチに逃げ込んで来ました。
それを追って来た隣のご主人に発見され、手を借りて安全な場所に避難する事ができたそうです。

隣のご主人は勿論ですが、こたつと犬も命の「恩人」です!

それにしても、階段昇降機は、設置後6回しか使用せず、大事な時に役に立たず、もう廃棄処分するしかないので大損害です!


つづく

!!!

2011-03-06 | 介護
3日ぶりにおしっこパニックから解放されたと思ったら、今日は夜になって大きい方を漏らされてしまいました。


これも、アルツハイマーから来るらしいですが、便秘しやすくなりました。

男の便秘ってあまり聞きませんが、ひどい時は1週間以上出ないこともあるようです。


2~3日便秘が続いた時には、繊維質の食べ物や、乳飲料などを多めに摂らせるようにしていますが、

効き目が強過ぎてしまったか・・・下ってしまいました。


この件に関しても、沢山のエピソードがあるのですが、あり過ぎて文章がまとめられません・・・


この先に大きな不安を抱くことになったことだけは確かです。

運転免許

2011-01-27 | 介護
認知症の症状が怪しいと思われる時期には、病院で検査しても認知症と診断されなかった為、クルマの運転を黙認していましたが、ここ数年は流石に危険を感じ、クルマの鍵は全て隠し、勝手に乗り出さないようにしていました。

それでも、数ヶ月位前までは、「運転する」と騒ぎ、鍵をよこせと暴れたりもしていました。

一度は、私の留守中に私のバイクのキーを持ち出して、バイクに乗ろうとしたらしいです。

しかし、私のバイクはスマートキー式なので、リモコンがあれば簡単に始動できるものの、キー(エマージェンシー)だけでは複雑な操作をしなければ、ロックを解除することすらできないので、大事には至りませんでした。

そんなことがある度に説き伏せて諦めさせていましたが、最近、食事を終えて、まだ口の中に食べた物が残っていて、口をモグモグさせながら「飯はまだか?」と言い出したことがあり、「今食べ終わってまだ口に入っているでしょ」と指摘され、本人もギョッとしたりして・・・

それに似たことがいろいろ続いたことで、本人もようやく認知症を自覚し始めた見たいです。

運転免許更新の通知が来たので、初めはその葉書を隠しましたが、一応本人の意思を確認した方が後味悪い思いをしないで済むかなと…更新の前に、講習を受け適性検査にパスしないと更新手続きできないことを説明し、例題として簡単な記憶テスト(認知症検査でやる内容)を出題したら、答える前に「もう運転はしない」と本人の口から出たので一安心です。

自動2輪・普通免許は勿論ですが、大型・大型特殊・牽引・2種まで取得していたのに残念ではありますが、どうしようもありません、悲しい現実です・・・

交付

2010-12-18 | 介護
お盆明けに書類がそろい、8月末に申請をした身体障害者手帳ですが・・・

何の音沙汰もないまま12月に入り、ようやく手帳が交付されました。

両下肢が左右それぞれ4級、合わせ技で3級という判定となりました。

基本的には、介護認定の方が優先されるそうですが、今度は少しだけ負担が軽減されそうです。

期限切れ、そして…

2010-10-19 | 介護
今月いっぱいで介護認定の期限が切れます。

その間、デイサービスは本人拒否の為一度も利用せず、そして、その他の補助に関しても、これは対象外だとか、指定の店舗での購入でなければダメだとか・・・結局、何一つ、1円たりとも補助されることなく期限を迎え、更新も見送りましょうとケアマネの方から提案されてしまいました。

実際、何の役にも立たないので更新はしないことに。


代わりという訳ではありませんが、身体障害者手帳の申請を勧められて、8月の末より手続き中です。

約2ヶ月後に交付されるとのことですが、もうすぐ2カ月が経とうとしています。

今のところ何の音沙汰もありませんが、これもどうなることやら・・・

ストレス解消の・・・

2010-09-20 | 介護
最後に書き込みをしてからかなりの間が空いてしまった。

その間、特に何かが大きく変化したわけではないけれど、何かと忙しい日々が続いて・・・

このブログを立ち上げたのは、介護に関する愚痴やストレスのはけ口としてという部分がほとんどで、なかなか身近な人には言えなかったりする内容だったりもします。

そんなことを、不特定多数の人が目にするサイト上に"つぶやく"というのも矛盾しているかもしれないけど、それだけでも随分と気は楽になるものだと感じております。


"つぶやく"…とはいえ、流行りのツイッターではちょっと違うのも事実。

実際、ツイッターで、つぶやくことは勿論、相手のつぶやきに対してのコメントにも疲れて、つぶやくこと自体がストレスになって止める人も多いらしい。

それでは意味が無いので、これからもストレスがたまった時に気が向いたら書き込むというスタンスで、続けていきたいと思います。