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平凡な日常がある幸せ・・・

介護によるストレスのはけ口として始めたブログですが、介護が完結し、また、被災後に取り戻せた平凡な日常を綴ることに・・・

モバイルバッテリーの闇

2022-09-23 | 独り言
何かと便利なモバイルバッテリー。通販でお安い商品を複数購入して数年経過。
新品時よりちょっと膨らんだなぁなんて思っていましたが、この夏の暑い時期を過ごしているうちに
怖いくらい膨らんでしまいました。

テレビでも、バッテリーの爆発や出火のニュースを見ると他人事ではないと焦り出した今日この頃。
家電量販店で家電品を購入したついでに聞いてみたら、リサイクルマークのついた膨張無しは引き取りますとのこと。
膨張していると引き受けられないと拒否された。
拒否するのは結構だが、どこに行けばいいのか尋ねると、メーカーか自治体へ問い合わせしてとのこと。
メーカーは中国、通販で数年前なので、販売店も不明。
市役所の環境課に問い合わせると、その問合せに関しては対応できないので電池工業会を検索して問い合わせてくれだと…
電池工業会なる団体のHPを見ると、回収依頼は会員のみとか、水濡れや膨張等が無いことなど条件付きで問い合わせる以前の問題。
膨張等がある場合はメーカーか自治体に問い合わせてくれと、堂々巡り。
結局どうすることもできない状態。
ある意味核廃棄物や時限爆弾を所持しているような気分です。
いろんな意味で爆発寸前なのだ。
自衛隊や警察の爆発物処理隊を召喚するしか無いのか?
最終処分ができなく怖いので、とりあえず手提げ金庫を購入して(耐火金庫は高額過ぎなので)そこに入れて、
更に鉄製の工具箱に入れてガレージの隅に可燃物から離して放置することにしました。

良い処分先が見つかるか、自爆するのを待って粗大ゴミ?として捨てるか…どうなることやら。
充電式のコードレス製品が沢山出回り、災害の多発や車中泊ブームなどからポータブル電源が持て囃されていますが、
これらは今後、太陽光パネルと共に処分に困る事になると思うとやるせなす。

久々の書き込み

2019-07-13 | 独り言
震災後のドタバタも落ち着き、気力も尽きておりましたが、日常を取り戻し、気持ちに余裕ができてきたので、久々に自分のブログを開いてみたら6年近く放置状態だったことにビックリ!
これから少しずつ書き込みしていきたいと思います。

これも、今にして思えば・・・

2013-03-19 | 独り言
家族から見て、認知症では?と思い始めるよりも更に前のこと…

異常なまでの無気力状態でした。

一日のうち、食べる時と、排泄の時以外は、常に寝て(眠って)いました。


父は、手先が器用で、何でも自分でやってしまう人で、クルマいじりなどは、三度の飯よりも

好きだったのです。

私も、そんな父を超えることを目標に、クルマ関係の仕事に就きました。

ところが、私がクルマをいじっている時、以前なら、口だけではなく、手まで出してきたのに、

そのころから、昼寝をしているロッキングチェアと、壁一枚隔てたところで、クルマやバイクを

いじっていても、見向きもしなくなりました。


リタイア後、唯一の趣味として、蕎麦打ちを始め、道具も一式揃え、何かにつけて蕎麦を振舞って

いたのですが、やはり、一切やらなくなり、新蕎麦の粉が手に入ったからと、親戚から蕎麦粉を貰っても

打とうとしませんでした。


折角なので、見よう見まねで、私が打っていても、やはり見向きもせず、それどころか、あれだけ好きだった

蕎麦をはじめとする麺類自体が嫌いになってしまったようです。



当時、腑抜けになってしまった父を、ただ軽蔑し、なんとなく親子関係もギクシャクしはじめていました。

結局、他にもいろいろ重なり、あまり会話をすることなく終わってしまいました・・・

もともと親子して無口なほうだったので、子供のころからそんなに会話をした記憶はなかったのですが、

今更悔やまれることの一つではあります。



当時は、思いもしなかったことですが、今にして思えばこれって、“鬱”の状態だったのでしょうか?

母も、避難生活中にいろいろな奇妙な症状を訴えていたので、その症状を全て箇条書きにして避難先の

近所にあった有名な心療内科に連れて行ったところ、軽い鬱病と診断されました。


今までにいろいろと経験してきて、自分の中の精神科に対するマイナスイメージも払拭され、ある程度

知識も得られたので、迷わず受信させることができ、お蔭で、薬も半年ほどの継続で改善されました。


このように、早い時期に適切な病院で、適切な処置ができていたなら、被災した後も、違っていた

のかもしれません。

後悔は先に立ちませんが、悔やまれます・・・

認知症かな? と思ったら・・・

2013-03-14 | 独り言
今後更新される事柄は、過去に遡って気づいたことなどを、その都度書き込むので、

順序はバラバラになってしまうと思いますが、ご了承願います。


ずいぶん前に、一緒に暮らしていると、具体的にこうだとは言えなくても、何か今までと違う、

おかしいと感じる言動をのぞかせることが、時々ありました。

当時の知識では、「早期の認知症は、薬によって進行を遅らせることができる」ということぐらいしか

ありませんでした。


病院にしても、脳神経外科くらいしか思い当たらず、一度診察に連れて行きましたが、検査の結果異常なし

との診断。

その頃はまだ、ちょっと変というくらいだったし、他人の前ではしっかりしてしまうので、家族以外には

“ちょっと変”が見極められない状態でした。


確かに、たまにしか現れないので、しばらく様子を見ることに・・・



最終的に、症状がかなり進んでから、突然意識を失い、救急搬送されたときに、癲癇という診断とともに

認知症であると認められ、薬を処方してもらえることになりました。



その間、国立病院や大学病院などいくつもの病院を渡り歩きましたが、病院に行くとしゃんとしてしまうため

いつも異常なしだったのですが、今にして思えば、受診する科が適切でなかったようです。

脳外科や物忘れ外来などではダメだったみたい。


そういえば、知人にそんな話をしたときに、認知症は、精神科へ行けと言われたことがありました。


乏しい知識による個人的な精神科のイメージって、子供のころ聞いた「尾ひれの付いた噂話」のままで、

マイナスのイメージが強く、普段何でもない父を連れて行くことに抵抗を感じて、連れて行きませんでしたが

今は後悔しています。


症状によってもいろいろかと思いますが、いろいろな角度から見てもらうためにも、心療内科や精神科での

受診も選択肢とするべきみたいです。


ウチの場合、かかりつけ医への相談は全くあてになりませんでしたが、一人で悩まず、かかりつけの病院や

市区町村の役所に相応の窓口があったりしますので、そういうところに相談して、適切な科をみつけるのも

大事かともいます。

現在 過去 未来

2013-03-11 | 独り言
震災に遭ってちょうど2年。

東北では、未だ復興が進まない中、我が家はなんとか平穏な日常を取り戻すことができました。

家族で頑張り、周りの方々に支えられ、ようやくここまで辿り着けました。

でも、そこに父は居ません。


心身ともに、少しは余裕が出てはきましたが・・・

今も、悔しい思いに押しつぶされそうです、でも、残った家族が助け合って、父の分まで元気に

過ごすことを心に誓う今日この頃・・・


「介護」ということから解放されたのも事実ですが、思い返すと間違っていたことや、やり残したことなど

悔やまれる事柄がたくさんあることに気づきました。


これからは、今後の自分のためでもありますが、現在認知症の方や介護を必要とされる方がご家族に

いらっしゃる方へ、少しでも役に立てるような記事を綴れたらと思い、大した内容ではありませんが、

過去の経験を、現在の目線で見直し、近い将来へつなげるべく再開しようと思います。

終わった・・・・・・・・・・・・・

2012-08-04 | 独り言
早いもので前回の更新からもう一年が過ぎてしまいました。

避難生活している場所と、施設までの距離が離れており、しかも仕事が急に忙しくなってしまい、

施設に入所して以来ここ数か月、月に数回しか面会にも行ってあげられず、申し訳ない思いをしておりました。


そんな間にも、新居の建築が進み、復興までもう少しという時期が来たところ、喘息が悪化し、

誤嚥もひどくなったため、食事も制限されて日ごとにやせ細っていました。

新居ができたら、一時帰宅でもなんでも、自宅に戻して、好きな甘いものを食べさせたいと思って、父を励ましつつ、

自分も必死に頑張ってきました。


先月半ば、ついに新居が完成し、引っ越しの当日、正に荷物を部屋に運び込んでいる最中に、施設から呼び出しの電話が・・・

血圧の低下(上が60ギリギリ)、意識レベルもほとんどない状態だとのこと。

引っ越し業者さんに、荷物の搬入を急いでもらい、開梱もせずに施設へ急行!

幸いその時は、状態を少し持ち直し、ほっと一安心。

その間も仕事の電話が鳴りっぱなしで、忙しさも頂点に・・・


病弱の母のためにも早く転入届を出して新しい保険証を発行してもらうべく、無理やり仕事を抜けて翌日役所に行って手続きをしました。

単に転入届ならば市民課の窓口だけで済みますが、国保だ後期高齢医療だ、介護保険だ、身体障害者手帳だと、窓口を転々と回され、

すべての手続きが終わったのは3時間後。


震災で、住む家はもちろん、家財道具も全て失ってしまったので、運んだ荷物を収納する入れ物もないので、新居では段ボール生活が

はじまり、忙しさのため、家具類やカーテンなども買いに行く暇がない不自由な生活を継続しています。


そんな折、市役所での手続きから3日後に父が亡くなったとの知らせがありました。




・・・・間に合いませんでした



震災によって生活が破壊され、竜巻や降雹によって仕事が忙しくなり、自然災害にはよくよくいじめられてしまいました。


新居には無言の帰宅となってしまいました。

もう少しで受け入れ態勢が整ったのに・・・・

悔しいです!

父には何もしてあげられないまま旅立たれてしまいました。

やりきれない気持ちのまま、今度は葬儀の準備に奔走することに。


ほっとするまもなくたまった仕事の処理に追われ、そして、初七日、各所への手続きや49日の法要の段取り、その他てんやわんやのうちに

今日に至り、未だ段ボール生活継続中です。



下の世話などを巡り愚痴ばかりのブログでしたが、愚痴を言えるのも父が生きていたからこそであると痛感しております。

悔しさだけが残りますが、この愚痴ブログも今日を持って終了とさせていただきます。


一度でも覗いてくださった方、コメントをくださった方、ありがとうございました。


いつの日か、また別の内容で復帰したいと思います。




震災

2011-04-14 | 独り言
3月11日に発生した東日本大震災により、我が家も失うことになってしまいました。
現在は、住むところが無いので、親戚の家に間借りしています。
インターネットをやらないお宅なので、高速モバイルを再契約しましたが、なんと圏外なのでPCが使えません。
そんな環境であり、やるべきことが山ほどあるので、投稿もままならないです。

少しずつ振り返ってまとめていこうと思っています。

・・・・

2011-03-05 | 独り言
以前の書き込みからまたかなり間が空いてしまいました。

その間、容体などには特に大きな変化はありませんでした。

しかし、問題は抱えております・・・


暖かい日が数日ありましたが、ここ数日はまた寒い日が続いています。

この3日間、毎日オムツを溢れさせて布団や衣服をびしょ濡れにされてます。


家族としては、大体何時間でオムツの交換が必要なのかは把握しておりますが、

本人は全く分かってません。

それでも、「交換して」と言って、素直に交換してくれれば何の問題もないのですが、

絶対に言うことを聞きません。


寝たきりで無いことはありがたいとは思いますが、下の世話に限ってはちょっと

複雑な感じです。

歩くのもかなり覚束なくなっては来たものの、一人でトイレに行けるので、オムツ交換も

介助はするけれど本人の自力でやらせたいと思っています。


ちょうど交換する時間帯にトイレに立ったので、「交換して」と言っても、トイレで用を足すと

忘れてしまいます。

しかも、たっぷり吸水したオムツは、仮にオムツの性能によって表面がカラッとしていたとしても、

重量感は相当なものです、その重さも感じないので、「まだ大丈夫」と言って居間に戻ってきてしまいます。


それでも交換するように促すと、ギャク切れして暴れるのです。

そのほかにも、いろいろな形で交換せずに溢れさせています。

もう、手に負えなくなってきました。


洗濯も1日に数回しなければならず、風呂の残り湯を活用しても水道代が恐ろしいことに・・・




いうことを聞かないのは、全てに於いてです。

やれと言われればやらない、やるなと言われればやる。

幼稚園児より手がつけられません。

これって、やはりアルツハイマーの症状の一つなのでしょうか…


そんな毎日で、母親も不整脈やら難聴やら眩暈などなど体調に異常を来たし、

病院に連れていくと、どれもストレス性のものと診断されました。

この調子では、うつ病にもなりかねないかもしれません。



出来るだけ在宅でと思い今まで頑張ってきましたが、要介護者が二人になっては

それこそ手に負えなくなってしまうので、“施設”ということも考えた方が良いのだろうか。