平凡な日常がある幸せ・・・

介護によるストレスのはけ口として始めたブログですが、介護が完結し、また、被災後に取り戻せた平凡な日常を綴ることに・・・

行政

2011-04-27 | 介護
部屋探しにしても、親戚を頼るにしてもどうしても、父がネックとなってしまっていたことは否めません。

福祉事務所でも、それを察してくれて、父を短期で受け入れてくれる施設を探してくれて、何とか30日間預かってもらえるように

なりました。


その間に、瓦礫に埋もれた家の中の物の片付けや、部屋探し、その他の手続きなどをしなければなりません。


罹災証明の受付が3月21日からはじまりました。

翌日、申請すると、「全壊」の罹災証明がその場で発行されました。

???普通、申請すると、数日後に発行されるものじゃないのかな???


4月に入って10日も経った頃、国・県・市からの支援金の申込受付が始まったことを、人伝に聞きました。

役所で説明を聞くと、申請には罹災証明の添付が必要だが、以前発行した証明書は効力がないので、改めて役所から

実際に現場を調査に行って、それから正式に証明書を発行しますとのこと。


やっぱりと思う反面、行政は何をやっているんだという怒りが湧いてきました。

手がいっぱいでという理由から、4月27日現在も、現地調査には来ていません。


ニュースでも、義援金や支援金が被災者の手に渡っていないと報じられていますが、正にその通り、災害から一月半経った

今でも、一円の援助も無いのが現状です。


3町村が合併した市ですが、市長は地元から選出されています。

しかし、市長や市議会議員が被災地を視察したなどという動きは全くありません。

会議ばかりやっているそうです。


宮城、福島などは毎日のようにニュースで報じられていますが、茨城や千葉は殆んど触れられていません。

報道されていない千葉や茨城のごく一部の地域ではあっても、それなりに酷い所があることを把握してもらいたいものです。


国会があんな状態なのだから、地方行政が同様なのは仕方ありませんかね・・・・

避難所生活3

2011-04-23 | 介護
避難所が福祉センターだったこともあってか、福祉事務所はそれなりに誠意をもって対応してくれていました。

しかし、縦割りと言いましょうか、役所の方は全く動きが鈍く、被災者側からは何も動きが見えませんでした。

確かに、3月いっぱいまで続いた断水のため、給水車が出ているし、壊れた瓦や塀などの災害廃棄物の受け入れは

始まってますが、避難所生活では、給水車は用が足りないし、ガソリンが無いし、乗用車や軽バンでは、瓦などが

運べるわけも無く、何の役にも立ちません。



窓も畳も無い部屋で、「窓と畳を自腹で入れれば半年間無料で住宅を貸しますよ」というのが役所の最大の

支援でした。

いくらなんでも失礼過ぎないでしょうか?

当然断りました。


その間、一応アパートなども捜しましたが、地震で損壊した物件も多く、以上に高い物件ばかりで困ってました。

市営住宅を問い合わせると、市では被災者優先の用意はありません、希望なら、通常の申込をして、審査に通り次第

順次入居、2年待ち位ですとの対応・・・


そうこうしているうちに、10日が過ぎました。

避難者の多数は、自宅もしくは親戚の家へと帰って行き、残ったのは独居老人数名とウチだけになりました。

この時点でも、役所では、被害の度合いを把握していないようです。

そして、25日には、この避難所は閉鎖するので、早く居住場所を確保してくださいとのこと。



それが、その日の夜になったら、明日で閉鎖し、その後福島からの避難者を受け入れるから、明日出て行ってくれとのお達し。

慌てて、親戚知人の家に連絡して、ようやく殆んど付き合いの無い親戚の家に受け入れてもらえることに。


早く、次の住居をみつけなくて




避難所生活2

2011-04-20 | 介護
避難所にいる間は、風呂には入れません。

被災した日に脱糞してしまって、ウェットティッシュやタオルで拭き取っただけで

5日ほど経った時、40㎞程離れた親戚から、「部屋が狭くて、泊めることはできないけど、

風呂は井戸水なので入れるから、入りに来たら?」というお誘い。

「風呂」という言葉に誘われて、ガソリンは非常に厳しい状態でしたが二つ返事で家族そろってお邪魔しました!


・・・久しぶりにさっぱりして、“おにぎり”以外の美味しい物を味わえて、至福のひと時を過ごしました。

帰りたくないけれど、仕方がありません、避難所に戻る時間です。

なるべくガソリン消費を抑えながら帰路につきました。

中間地点位まで来たところで、父が尿意を催しました。

折角風呂に入ってさっぱりしたのに、僅か数時間で漏らされては大変と思い、クルマの停まれそうなスペースを

見つけて慌てて停車。


お陰さまで、間に合い、事なきを得ましたが、そこから帰ろうとバックをしたところ、ゴツンと衝撃が・・・

クルマを停めた場所は、スペースはそれなりに広かったけれど、縁石が道路沿いから枝分かれするようにスペース

の近くまで延びていたのです。

それに気づかなかった私のミスですが、見事に「亀の子」状態になってしまいました。

しかも、若干の上り坂だったので、自力での脱出はできませんでした。

それなりの道具があれば、何とか出来たけど、どうにもならず、一番近い知り合いの修理工場に

救援を依頼して、20分ほどで脱出完了、助かりました!


そんなエピソードを踏まえつつ、あと片付けをしながら避難所生活が続きました。



つづく

避難所生活

2011-04-17 | 介護
快適な避難所生活は、そう長くは続きませんでした。

4日目に電気が復旧すると、二階に移動させられ、大勢で雑魚寝状態になりました。

水道の復旧には更に10日位かかります。

救援物資や近隣の企業などからの差し入れがあった時には、急に食事が豪華になり、底をつくと質素にと、あまり計画性の感じられない避難所運営だと感じました。
それでも、介護士を中心に、ボランティアの学生さん等が良くやってくれました。


つづく

避難所

2011-04-16 | 介護
地元の避難所は、運動公園の体育館と福祉センターでした。

父親のことを考えると、福祉センターの方が良いだろうと直感的に感じ福祉センターへ直行しました。

その判断は間違ってなかったようで、受付で、「身障者で歩行が困難」であることを告げると、「停電でエレベーターが使えないので、特別に」ということで、避難所である二階の大部屋ではなく、一階の小部屋で、父にはベッドまで用意してくれました。

食事こそおにぎり一個だけでしたが、電気や水道が使えない割には快適でした。

しかも、世話をしてくれるのが、介護士なので、オムツ交換などもあっという間にやってもらえて、とても助かりました。


つづく

当日

2011-04-15 | 介護
地震があった時、自宅には両親だけでした。
父は、居間で横になっていたそうです。

仏壇が倒れ、こたつに当たりながら、父の腰ギリギリに落下してケガをせずにすみました。

小さく非力な母が、火事場の〇〇力で、父に肩を貸し、階段を一段ずつ降りて、二人揃って脱出したそうです。

階段から転落する事も無く、降り注ぐ瓦に当たることもなく、無傷で脱出できたのは奇跡です!

玄関の戸が外れて飛び出し、階段昇降機を直撃し、使用不能に。

バッテリー駆動なので、停電中でも使える仕様なのに…


階段を一歩ずつ降りている最中、ショックの為か、父は脱糞してしまい、糞まみれの脱出だったようです。

なんとか地上に降りたものの、相継ぐ余震に茫然としていたところに、隣の犬が、リードを切ってウチに逃げ込んで来ました。
それを追って来た隣のご主人に発見され、手を借りて安全な場所に避難する事ができたそうです。

隣のご主人は勿論ですが、こたつと犬も命の「恩人」です!

それにしても、階段昇降機は、設置後6回しか使用せず、大事な時に役に立たず、もう廃棄処分するしかないので大損害です!


つづく

震災

2011-04-14 | 独り言
3月11日に発生した東日本大震災により、我が家も失うことになってしまいました。
現在は、住むところが無いので、親戚の家に間借りしています。
インターネットをやらないお宅なので、高速モバイルを再契約しましたが、なんと圏外なのでPCが使えません。
そんな環境であり、やるべきことが山ほどあるので、投稿もままならないです。

少しずつ振り返ってまとめていこうと思っています。