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エミール・ガボリオ ライブラリ

名探偵ルコックを生んだ19世紀フランスの作家ガボリオの(主に)未邦訳作品をフランス語から翻訳。

2-VI-18

2023-03-13 10:25:33 | 地獄の生活

 「残念ながら。あなたが物わかり良くしないからですよ……」

 「ということは、あなたはスキャンダルが平気だということね。あなたがド・シャルース家の一員だと証明するためには、シャルース家の名誉を汚し、泥の中を引きずり回すことも辞さない、と……」

 このような議論を続けるのは、この威勢のいい若者には苛立たしいことであった。彼に言わせれば実に単純な件であるのに、このように仰々しい茶番を演じるとは愚の骨頂であり、この上なく腹立たしいことであった。

 「全く! そんなこと、結局のところ、どうでも良いこっちゃないですか」と彼は叫んだ。「僕に気取ったまねをさせたいんですか? ……ふうむ、そうですね……はっきり言いますけど、あなたの言うことを聞いてると、まるで犯罪でも犯したようじゃないですか……道徳的な生き方をするのは結構ですよ。でも行き過ぎは良くないんじゃないですか! そう鯱張らずに肩の力を抜くんすよ。で、元の名前を名乗って僕と一緒にド・シャルース邸に移り住むんです。一週間も経てば、あなたがかつてリア・ダルジュレと呼ばれてたなんて、誰も思い出しもしないっすよ。百ルイ賭けたっていいです…………どうです、賭けませんか? ……ちぇっ! 人の過去をあれこれとほじくり返すなんて大変な仕事ですよ。そりゃ誰しも一つや二つ、やらかしたことはあるかもしれませんが、そんなこと他人には関係ないことじゃないっすか! 大事なことは、金を持ってるってことです。そして、それを見せつけられるってことですよ。もしもどっかの馬鹿者が貴女の過去をちょっとでも口にしたら、そのときはこう言ってやりゃいいんです。『私には五十万リーブルの年利収入があるのよ!』ってね。そしたら相手は黙っちまいますよ」

 黙って聞いていたマダム・ダルジュレの骨の髄まで冷たいものが走った。自分の息子がこんな口のきき方をする人間だったなんてことがあり得るのだろうか……しかも母親である自分に向かって。しかし、彼の仲間を見れば、ウィルキーがどんな男であるか彼女にも分かった筈なのだが。棍棒で死ぬまで殴りつけても誠実な言葉の一つも引き出せないような根性の腐りきった男たち。二十歳でもう既に人生に疲れ、愚かな女の名誉を護るための決闘で、流すにもせいぜい三滴ほどの血しかない彼ら。当の女は彼らを馬鹿にしているのに。

 自信満々のウィルキー氏は、自分の滔々たる弁舌が功を奏さないことに驚いていた。

「つまりこういうことですよ」と彼は言葉を継いだ。「僕はパッとしない生活を続けることにうんざりしてるんです。名前が一つしかなくて、いつも金にぴいぴいしていることにも。僕はどこかに向かっていたいんですよ! 今まで貰っていた僅かなお手当では、僕はただじいっとしているしかなかったんです。財産を手に入れたなら、パリで一番シックな男になりますよ。ド・シャルース伯爵の遺産がそれを可能にしてくれるんです。3.13

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2-VI-17

2023-03-08 11:24:27 | 地獄の生活

 「私が跪いて、どうかそんなことはしないで、と懇願しても?」

 「それは通りません!」

 マダム・ダルジュレの目がきらりと光った。

 「そう! それなら」と彼女はきっぱりと言った。「この財産はあなたの手の届かないところに逃げていくことになるわ。あなたはどんな権利で遺産を要求するつもり? あなたが私の息子だから、でしょ。それなら、私はあなたが私の息子だということを否定します。もし必要なら宣誓してもいい。あなたは私と何の関係もないし、あなたのことなど知らないと申し立てます」

 ところが、何たることか! ウィルキー氏の人を小馬鹿にしたような落ち着きはそのままだった。彼はポケットから折り畳んだ紙切れを取出し、勝ち誇ったようにそれを振りかざした。

 「僕を息子と認めない! ほう、それは人が悪い」と彼は言った。「でも、そんなことは先刻織り込み済ですよ。ほらここに民法三百四十一条を書き写したものがあります。僕の母親が誰かということは調査済みなんですよ」

 ウィルキー氏の脅しの手は一体どこまで及んでいるのか? マダム・ダルジュレには全く分からなかったものの、この三百四十一条が希望を打ち砕くものであろうということは疑わなかった。民法のこの条項を探しあて、それを武器としてウィルキー氏の手に渡した者は確実な武器を選んだと言える。彼女には今度こそ、そのことがはっきり見えた。彼女はこれまでの人生で辛酸を舐めてきたので、今息子がどんな悲しむべき役割を担わされているか理解しないではいられなかった。そして息子は単なる操り人形にすぎず、背後で陰謀の糸を引いている陰険な人物がいることも……。彼女はおぞましい奸策の犠牲になったわけだが、それを計画し準備した者は息子ではないのは確かだった。ああ、だがしかし自らそれを実行することに同意するとは、それだけでもあんまりなことではないか……。ウィルキーの気持ちに訴えてはどうだろう……。彼女はおそらくそれを試みたことであろう。息子の道徳観念が恐ろしいまでに欠如していることを発見し唖然としていたのではあったが。しかし、悪事に長けた相手、自分は表に出ることをせず自分のおぞましい企みの成果を待っているような相手の心に訴えようなどと考えることすら愚かなことではなかろうか?

 それでもまだ彼女は降参しなかった。希望は持てないながら、抵抗しようとした。せめて良心の呵責から逃れ、後に後悔に苦しむことのないようにするだけのためでも。

 「つまりこういうことね」と彼女は息子に向かって言った。「私があなたを認めることを強制するために裁判に訴えるということ?」 3.8

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2-VI-16

2023-03-06 10:55:55 | 地獄の生活

事ここに至っては、ウィルキー氏の行動、彼のやり口、自信たっぷりな態度、猫かぶりな様子、諸々の矛盾、すべての辻褄が合った。世の母親の心には息子に対する至高の信頼が根強く存在するものであるが、こうなるとさすがにマダム・ダルジュレの心からもその信頼が消えた。彼女はウィルキー氏の中に底知れぬ計算高さと悪辣さを垣間見て、怯えあがった。彼が他人の意見など気に掛けぬとあれほど胸を張って宣言したのも、子供の頃の負い目を切々と訴えたのも、これが理由だったのだ。彼が求めていたのは母親ではなく、ド・シャルース伯爵の遺産だったのだ……。

 「ああそう。それを教えて貰ったってわけなのね」哀れな母親の口調には苦い皮肉が込められていた。そしてイジドール・フォルチュナ氏のことが彼女の頭に浮かび、付け加えた。「この秘密はさぞかし高いものについたでしょうねぇ……成功報酬としていくら払うことになっているの?」

 ウィルキー氏は自分が如才ない人間だと自惚れていた。しかし駆け引きに長けた人間とは言えなかった。その証拠に、彼はこの言葉にすっかり狼狽してしまった。だが彼は素早く立ち直った。

 「金と引き換えであろうと、無償であろうと」と彼は答えた。「貴女がド・シャルース家の娘であることを僕は知っています。そして貴女が伯爵の唯一の相続人であり、その金額は八百万から一千万フランであるということも。そのことを否定するのですか?」

マダム・ダルジュレは悲しそうに首を振った。

 「私は何も否定はしません」と彼女は答えた。「でも、今度は私があなたに教える番です。あなたの計算をおじゃんにし、あなたの楽しみを消し去ってしまうことを教えましょう……私は決心したのですよ、分かりますか。そしてその決心を変えることは決してありません。私は自分の権利を行使しないことにしたのです……。この遺産を受け取るためにはリア・ダルジュレがシャルースの一族であると認めることが必要です……。でも、誰が何を言おうと、私にそれを認めさせることは出来ません」

 彼女はこう宣告すればウィルキー氏が目を回し、ぺしゃんこになるだろうと思っていた。しかし、それは間違いだった。

 ウィルキー氏が自分一人だけの知恵で対処しなければならなかったのなら、困惑していたことだろう。だが、今の彼にはド・コラルト子爵に授けられた武器があった。従って彼は肩をすくめ、しごく平然として答えた。

 「そういうことだと僕たちは貧乏のままですね。そして国が僕たちの金を我が物にすることになる。ですがちょっと待ってください、そうは行きません! あなたがご自分の取り分を放棄するのなら……結構! それはまた頑固なことで、と言うしかありません。しかし、僕の分まで放棄するなんて、それは出来ませんよ……それは酷過ぎます。僕はあなたの息子ですよ。僕は要求します!」3.6

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2-VI-15

2023-03-04 10:22:03 | 地獄の生活

ウィルキー氏の口から洩れたぎすぎすした冷笑が彼女の言葉を遮った。

自分の友人たち、自分の楽しみ、自分の好み、そういったものを攻撃されては黙っていられない。我慢などできるか……。

 「上等じゃないか!」彼は言った。「言ってくれるね! 道徳をお説きになるとは! ああそうなんだな、あまりに高潔すぎていらっしゃる! 今から俺はきっちり三分間笑わせて貰うよ、時計で計ってな!」

 この皮肉に込められた残酷さを彼は意識していたのであろうか? ひとつ確かなことは、マダム・ダルジュレはまっすぐ立っていることが出来なかった。それほどこの一撃は堪えたのだ。可哀想な彼女はすべてを予想できていたのだが、この息子の激怒だけは別だった。しかし彼女はこの不面目を逆らうことなく呑み込んだ。そして耐え難い悲しみ滲ませて答えた。

 「確かに、あなたに真実を説く資格は私にはないでしょうね……。これからは未来が私に道理を示すとき、あまりに残酷なやり方でないことを願うわ。……今やあなたには資金源はない……職業も持っていない……あなたが飢えを知ることがないよう、パンがないということがどんなに辛いか知ることのないよう天に祈ります」

  すでにさっきから、若いウィルキー氏はもはや隠しようのない苛立ちを表に出していたが、この不吉な予言を聞くと彼の怒りに火が点いた。

 「ああそんなことは全部、単なる言葉に過ぎないじゃないか! 僕は働くなんてことはしない。そんなことは僕の手に負えないのでね。しかし、不自由な生活をする気は全くない……それだけは、はっきり言っておく。いいですね!」

 マダム・ダルジュレは眉一つ動かさなかった。

 「それじゃ、どうするつもり?」彼女は冷たく尋ねた。「あなたの意図が理解できないわ」

 彼は肩をすくめ、この上なくうんざりしたという調子で言った。

 「まだ芝居を続けるつもりですか?この僕を相手に、それは通じないってことは分かってるでしょうに。つまり僕が言いたいのは、貴女だって僕と同じぐらいよく分かってるでしょ、ってことです。僕が飢え死にする? 冗談じゃない! 相続財産があるじゃないですか!」

 「どの相続財産?」

 「何言ってるんです! 僕の伯父さんのじゃないですか! あなたのお兄さん、ド・シャルース伯爵ですよ……」3.4

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2-VI-14

2023-03-02 10:36:40 | 地獄の生活

「お前に知られなければ、私はこんな地獄の底からでもお前の母親でいられたのに。そしてお前をそっと眺めていられたのに……。お前に恥ずかしい思いをさせず、お前を軽蔑することもなく、お前を助けることもできたのに……。私のことを知られた今となっては、もうお前にしてやれることは何もない……何も! 私はお前を援助するよりも貧窮で死なせる方を選ぶわ。お前が死ぬのを見る方がまし。お前が私の汚れた金で穢されるのを見るよりは……」

 「しかし……」

 「何を言うの! 私が今まで渡してきたあの金をまだ平気で受け取れると言うの? そもそも私がそれを続ける気になるなんてことがあるとでも?」

 毒蛇がウィルキー氏の前で鎌首をもたげたとしても、これほど素早く彼が飛び退くことはなかったであろう。

 「そんなことは絶対ありません!」と彼は叫んだ。「ああ、断じてそんなことはありませんよ! 僕を一体どんな人間だと思っているんです?」

 彼が感じた嫌悪感は心底からのものだった。彼はそれを奇妙な形で表現したのだが、見るからに本心からであることが見て取れた。それを見たマダム・ダルジュレの心が希望に揺れた。

 「私の言葉が過ぎたんだわ」と彼女は思った。「可哀想なウィルキー! 悪い考えに唆されてつい惑わされてしまったのね。根は悪い子じゃないのよ……」

 しかし口に出してはこう言った。

 「それでは、これから新しい人生が始まるのだということがよく分かったようね。これからどうするつもり? 何をしてどのように生きていくつもりなの? 衣食住を賄わなくてはならないのよ。お金が掛かるわ。そのお金はどこから手に入れるの? 働く、という言葉を聞くことさえ我慢できないお前が。ああ、パターソンさん、あなたの言うことを聞いていたら! あの人は私みたいに盲目じゃなかった。口を酸っぱくして私に言っていたものよ。金をふんだんに与えすぎることは、お前の人生を台無しにすることだ、お前の未来を奪うことだって。分かっているの? この二年間でお前が浪費した額は五万フラン以上よ。一体何に使ったの? 金持ちの息子を気取っても、お前にはそんな家族はいない。今の不安定な状態はいつ壊れるかもしれないのに……。法律学校には少なくとも十回ぐらいは行ったの? ……行ってないのね。でも競馬場には姿を見せている。劇場の初日にも、評判のレストランにも、つまりお金のかかるところや遊びの場所にはいたる所に顔を出している。で、どんな人たちと付き合っているの? 仕事もせずぶらぶら暮らしている薄情で頭の空っぽな者たち、詐欺師、詐欺に騙されるカモたち、博労、賭博場の使用人、堕落した女たち……」3.2

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