F log
ゾロ目バレエ の最終日。
10 月 10 日に F 嫁と オーストラリアバレエ、マーフィー版「白鳥の湖」 を観に行った。
キャッチコピーは 華やかなロイヤル・ウェディングの陰で、プリンセスの涙から悲しみ湖が生まれた… である。
詳しいストーリーは こちらをご参照 いただきたい。
設定がすべてだが、オデット = 故ダイアナ妃、ジークフリード = チャールズ皇太子、ロットバルト男爵夫人 = カミラ夫人なのである。
観ているときはおもしろかったのだが公演後時間が経つにつれ、いろいろと考えさせられた。
48 時間以上経過した今の気持ちは… 「 やっぱり古典が好き 」
GRD3
( ふと気づくと男性が多いなぁ~ )
緞帳の前で道行き風に演じられる第 1 場。
オデットのアンバー・スコットは写真のように細く儚げで、幕をカーテンに見立てた演出はこれからの悲劇を予感させる。
ただこの版を全幕踊り切るには、かなりの体力が必要なはず。 華奢なだけのバレリーナには務まるまい。
ジークフリードのアダム・ブルは 193cm と長身の美男子。 金髪巻き毛で華もあり、舞台のどこにいても目立つ。
第 2 場はロイヤルウイング。
幕が開いた瞬間、明るい色味の舞台はややチープに見えたのだが、出演者の衣装と上手くコーディネートされており
違和感はすぐに消えた。 ロイヤルの重厚長大路線に馴らされすぎだろうか。
F 嫁はオージーらしい素敵な色調、と言っていたが。
「現代風」な演出の為、ジークフリード王子の軍服も女性陣のワンピースもバレエの衣装には見えない。
結婚式後に着替えた王子などは完璧な三つ揃えを着用しており、暑そう&踊りにくそうである。
この舞台を観て思い出したのは、マラーホフ以前の ベルリン国立バレエ「白鳥の湖」 である。
バレンボイムが振っている ( 遅くてダンサーには地獄 ) ことでも有名だが、残念ながら国内では廃盤のようで高値で取引されている。
この演出もオデットはチュチュこそ着ているものの、ロットバルトが一分の隙もないタキシードで現れたり、宴のシーンなど
現代風な衣装も多く、ジークフリードの母である王妃がかなりの比重を占めるなど、ユニークな「版」である。
未見の方は機会があればぜひご覧いただきたいと思う。
話がズレた。
ロットバルト男爵夫人のダニエル・ロウは、狙い通りの美女で満足。
ナチュラルな色をしたオデットの唇と対照的に、真紅のルージュが目を引く。
ただ印象的にアンバー・スコットとの身長に意外と差がなかった。
ロウが 173cm なのでスコットの方が思ったより大きかったのだな。
男爵である夫と長女、長男とともにロイヤルウイングに参列した男爵夫人は、常に王子とアイコンタクトを取り続ける。
夫の手を握りながら‥子供 ( ふたりとも西洋人でそろえて欲しかった ) の肩に手を置きながら‥
宴の中心で華やかな踊りが繰り広げられている最中でも、舞台の端と端でそれはずっと続く。
まったく目がもう二組欲しいものだ。
第 1 幕の踊りといえば、大大大好きなワルツ。
近年、短縮バージョンが多くてたいへん不満に思っていたが、マーフィー版では繰り返しまですべて演奏してくれた。
そして「ワルツ」の言葉通り、男女の群舞がペアでワルツを舞ってくれて華やいだ舞台には感激した。
さて、ダンナの所業にぶち切れたダイアナ…もといオディールは、周囲の男達にキスしてみたり大乱行を繰り広げる。
ここでのアンバー・スコットはたいへんな熱演で、思わず引き込まれる。
「ジゼル」の狂乱の場にも通じる悲劇である。
音楽監督である颯爽とした女性シェフがシティ・フィルをドライブする。
音楽は勝手知ったるチャイコ先生の名曲だが、通常の版とはまったく使う位置が異なる場合も多い。
グランフェッテで周囲をはねつける演出は巧い。なるほど第 1 幕でそれを使うのね。
ここでふと思ったのは、やはり古典中の古典である プティパ/イワノフ版を知らないと楽しみも半減 だということ。
象徴的なのは第 1 幕の終盤、ジークフリードとロットバルト男爵夫人の関係を散々見せつけられた新婦オデットが
ひとり哀しく踊るシーンがある。
いや音楽は悲しくないのだ。
しかしこの曲はプティパ/イワノフ版では 道化の踊り なのだ。
個人的には道化のいる版が好きなのだが、花嫁が道化の音楽で踊らされていると知って観るのと、ただアップテンポな曲で
オデットが悲しげに踊っているとしか認識できないのでは、受け取る印象がずいぶん異なる。
古典バレエという芸術は、多分に観客の理解によって成り立つものだ。
白鳥はこういう行動様式をとり、オーロラはこう、クララはこう、と決まりきった役の動きがあり、特に説明はされない。
英国ロイヤルのような多弁なマイムは省略される傾向にあり、ますます観客に説明のないまま舞台は進行していく。
舞台をより楽しむには予習が不可欠であり、初めてバレエ全幕を観る観客は幕間に「適度な」ナビゲートを必要とする。
マーフィー版「白鳥の湖」は興味深いアプローチだし、ダンサー個々の実力も高くカンパニーとしても好感を持つところだが、
凝った演出、設定が、二重の意味で手かせ足かせになっているのではないか。
一般的な生活を営んでいて、故ダイアナ妃の悲劇についてまったく知らない人も珍しいだろうが、やはりそこの知識がないと
わからないことが多いし、加えて伝統的な「白鳥の湖」についても個々の音楽の使われ方まで知らないと楽しめない。
振付けのグレアム・マーフィーの才能は疑う余地もない。
知識経験に富んだ彼なれば、素人の観客が気づかないような細かなこだわりも舞台の端から端まで織り込んでいることだろう。
それらをすべて吸収しようと努力するとたいへん疲れる。
そうでなくともドロドロの不倫劇なのだ。
ああ、こうして書くと批判しているようだなぁ。 いやおもしろいんだけれどね。 特に第 1 幕は。
第 1 幕の印象が強すぎて、幻想とはいえせっかく群舞の白鳥たちが羽ばたく第 2 幕はあまり記憶にない。
理不尽にもサナトリウムに幽閉されたオデット。
先程「ジゼル」との類似について書いたが、これなどマッツ・エック版「ジゼル」そのものである。
ふたりの看護婦が被る特徴的なナースキャップから白鳥をイメージし、想像の世界へと逃避するオデット。
サナトリウムの窓越しに見える、見舞いに来たはずの王子と男爵夫人の逢瀬を巧く前後に挟んだ舞台転換である。
想像の湖は舞台奥に設えられた円形の台を中心とした舞台装置。
この台がくせ者でかなり斜めなのだ。
座っているときはいいが、そこにダンサーが立つと滑るんじゃないかとヒヤヒヤしっぱなしだった。
件のふたり看護婦が大きな二羽の白鳥だったというのは本当だろうか。
四羽の白鳥も音楽こそ慣れ親しんだ曲だが、振付けはかなりユニーク。
つないだ手をどう処理しているのかさっぱりわからん。
全体的に破綻はないものの、やはりプティパ/イワノフ版のバレエブランを観たかったというのが本音。
いや~ガチガチの保守本流ですな(笑
ロットバルト男爵婦人主催の夜会が舞台となる第 3 幕。
堂々とホステスとして客を迎えるロットバルト男爵夫人は得意の絶頂である。
ダニエル・ロウ演じる男爵夫人は、流し目がお若い頃の岩下志麻先生を思い起こさせるほど美しい。
黒いドレス、男性陣の黒いタキシード ( シューズの底が白なのはいただけない )、舞台装置も暗く沈んでいる。
ロイヤルウェディングの明るい舞台装との落差がまた激しい。
宴もたけなわで例のファンファーレが鳴り響き、オディールが乱入してくるところで純白のオデットが現れるのである。
黒と白の逆転。 これはプティパ/イワノフ版との強烈な対比である。
オデットは白いヴェールをまとい、タキシードの男たちの間を静かに舞う。
今度は黒衣のロットバルト男爵夫人の顔色が蒼白になる番だ。
ここで F は意外にもロットバルト男爵夫人に感情移入(笑
いやダニエル・ロウが美人だからというだけではない。
「白鳥の湖」におけるロットバルトは悪の化身、悪の象徴である。
しかしジークフリード馬鹿王子の心が自分から離れていくのを感じで足掻いているのはひとりの人間である。
確かに王子を篭絡して、一時は玉座に腰掛ける夢も見た。
しかし精神的にある点を超越した若いオデットにその座を脅かされつつ踊るルースカヤ。
不貞は悪い事だけれど、絶対的な悪が存在しないだけに王子にすがりつくロットバルト男爵夫人が哀れに思える。
初日をご覧になった方々のレポを拝見すると、ルシンダ・ダン演じる男爵夫人は情念たっぷりのコッテコテだったそうだ。
う~ん、ただでさえ第 3 幕はお腹いっぱい。 これでもかと三角関係を見せられてぐったり。
それともやや冗長に感じてしまった第 3 幕が、ルシンダ・ダンの熱演で締まるのだろうか…
あれほど愛想の良かった招待客が逃げるように散ってしまった後、床に突っ伏す男爵婦人が悲しげである。
このままジ・エンドかと思いきや…
休憩なしで突入する第 4 幕は、実体としての湖である。
再びサナトリウムへ連れ去られそうになって逃げたオデットをようやくジークフリードが発見したのが湖畔だった。
白いドレスを脱ぎ捨てたオデットは黒衣である。
白鳥たちもいつの間にか黒鳥へと変わっている。 もちろん心象風景の象徴だろう。
ここではオデットとジークフリードだけの絡みかと思ったら、再びロットバルト男爵夫人が登場。
プティパ/イワノフ版では、悪魔と対峙する音楽が・・・・・もう勘弁してやれや、マジで。
最後の求愛もむなしく馬鹿王子はふたたびオデットの手を取る。
しかしそのオデットとて、ロイヤルウェディング前の無垢な彼女ではない。
ここで円形の斜め舞台がまた活躍す。
ジークフリードの心を取り戻したものの自分自身の心は取り戻せず、湖の底深く沈んでゆく。
円形舞台の中央やや奥にぽっかりと穴が開き、黒衣のオデットはそこから静かに消えてゆく。
気づけば円形舞台とほぼ同じ大きさに黒い布が広がっており、オデットが見えなくなった後の穴に吸い込まれた。
なるほど、オデットの巨大なスカートだというのだな。
王子はその後の生涯で二度と誰かを愛することなく、失ったオデットを悼んで過ごした。
とプログラムにはあるが、それを示唆するものはとくになかった。
オデットとともに誓いのマイムをしたのがそれだったのかな。
3 年前の同演目は観ておらず、発売中の DVD もまさにネタバレになるからと見なかった。
よってほとんど予備知識のないままこの舞台を観たのだが、好印象を持ったもののやはりプティパ/イワノフ版が好き
というつまらない結論にも達した。
古典を上演するあまたのバレエ団がその中心として据えてきた「白鳥の湖」
オデット/オディールの鮮やかな対比が観たい、フォーメーションだけで背筋がゾクゾクするような白い群舞が観たい。
道化の驚異的な身のこなしが観たい、ロットバルトの紳士的な悪っぷりが観たい、トロワの…
と、言い出したらきりがないほど、古典バレエファンにとっては基本のキである。
オーストラリア・バレエ団の「白鳥の湖」であるが、同カンパニーの版が定評あるプティパ/イワノフ版であったなら、
これほど話題になっただろうか。 ひと捻りある「くるみ割り人形」もそうだが、これもカンパニーとして生きる道であろう。
でもオージーのプティパ/イワノフ版も観てみたい気がする。
ちなみに隣で観ていた F 嫁はマーフィー版大好きと申してます。
あいかわらず長くなった上にネガティブなことばかり書いているが、公演自体はおもしろかったのだ。
いろんな発見もあったし。
ダンサー個々のパフォーマンスは素晴らしかった。
詳しい方にぜひお聞きしたいのだが、アンバー・スコットはどうしてプリンシパルじゃないのだろうか。
シニア・アーティストというおそらくファースト・ソリストに値するランクだと思うのだが…
08年昇格だからこれからか。 ユフィ ちゃんのこともあるし、ぜひ理由が知りたいなぁ。
プログラムで名前のわかるダンサーの中では、ソリストのジュリエット・バーネットに好感を持った。
そしてこの直上の写真やトップ写真など「白鳥の湖」の宣材写真を撮った Liz Ham の写真は素晴らしい。
( 一連の白い背景のもの )
日程の都合で「くるみ割り人形」が観られないのが残念。
また意欲的な「版」を持って来日して欲しいカンパニーである。
ルシンダとカラン、なんかダンサーというより役者でしたわ。
それでも演出に関する感想はすごく似ていて、コンテンポラリー好きな私もこの「白鳥」は古典に負けてると思います。
ツイッタでは絶賛の嵐だったので、Fさんの感想を拝見してホッとしました。
1幕は女性陣のドレスも踊りにくそうでしたが、衣装や美術はおおむねセンスよく美しかったですよね。
それでもモンテカルロとかハンブルクとかと較べちゃうと~~
くるみ、売ろうと思っていたのですが友人に止められたので、行ってきます。
私もネット上での好評を見るにつけ、自分の感想が異端に思えてきたところですが、
ogawamaさんにそう言っていただけてこちらもホッとしました。
新しい演出をまったく拒絶するわけではないのですが、古典の魅力があまりにも強すぎるのでしょうね。
くるみはプログラムを読んだ限りではおもしろそうです。
またレポをのんびりとお待ちしております。