フレペッ ナ フ
フレペッ ナ フ
タン エレパシ
フレペッ ナ フ
タン エレパシ
इ॒दं क॒वेरा॑दि॒त्यस्य॑ स्व॒राजो॒ विश्वा॑नि॒ सान्त्य॒भ्य॑स्तु म॒ह्ना ।
अति॒ यो म॒न्द्रो य॒जथा॑य दे॒वः सु॑की॒र्तिं भि॑क्षे॒ वरु॑णस्य॒ भूरे॑: ॥
अति॒ यो म॒न्द्रो य॒जथा॑य दे॒वः सु॑की॒र्तिं भि॑क्षे॒ वरु॑णस्य॒ भूरे॑: ॥
ト゚カムイ イタクハウ
レカムイ イタクハウ
「 人生は スケッチブックと捉えればいいのよ 」
ある日 しじんさんは
おいしい においのする「まんま」を めざして
ふんふん おうたを うたいながら ケモノ道を 駆けてたよ。
・・・matrimimse
するとね しじんさんのおうたを聞いて
くさの茂みから出てきた ケモノさんを しじんさんは 見つけた。
・・・matrimimse
おいしい においのする「まんま」を めざして
ふんふん おうたを うたいながら ケモノ道を 駆けてたよ。
・・・matrimimse
するとね しじんさんのおうたを聞いて
くさの茂みから出てきた ケモノさんを しじんさんは 見つけた。
・・・matrimimse
ぷるぷる 骨と皮の ちっちゃなからだを震わせて 泣いている
それは それは ばっちい ケモノさんの仔だったんだ。
hokokse・・・・・・
しじんさんは なんだか その仔が
むかしのじぶんみたいに思えて とてもかなしくなった。
hokokse・・・・・・
それは それは ばっちい ケモノさんの仔だったんだ。
hokokse・・・・・・
しじんさんは なんだか その仔が
むかしのじぶんみたいに思えて とてもかなしくなった。
hokokse・・・・・・
「 俺は 何やってたんだろ 」
「あなたの魂に 報いてあげて…」
しじんさんね ぴゅーんっと 駆けてって
見つけた「まんま」を たべずに咥えて
かえり道 まだ そこで泣いていた その仔に 分けてあげたよ。
もう 自分をイジメなくていいよ。
無理しなくていい。
君は自由だった。今も自由なんだ。
無理しなくていい。
君は自由だった。今も自由なんだ。
Ononnno! Ononnno!
いっしん不乱にたべて
おなかいっぱいになった その仔は にっこり笑った。
おなかいっぱいになった その仔は にっこり笑った。
ありがとう 大 哥
「どうか すべての人が 苦しまないように…」
しじんさんのおなかは
いつもみたいに いっぱいにはならなかった。
けれど その代わり
胸 が いっぱいになって おなかが いっぱいになるより
しじんさんは 「うれしいなあ 」
「 幸せだなあ 」って 思えたんだ。
いつもみたいに いっぱいにはならなかった。
けれど その代わり
しじんさんは 「うれしいなあ 」
「 幸せだなあ 」って 思えたんだ。
「どうか すべての人が 苦しまないように…」
2023カイ)エセー:一献哥『白昼の海へ』~翰林による「しちく」
( 2019-10-09 公開 / 現在クローズ)より
( 2019-10-09 公開 / 現在クローズ)より
SING LIKE TALKING 「Child In Time (Acoustic Version)」
私に対して、寿命を削って 生命エネルギーを注ぎ、
肉体を離れた 「ある女性の覚醒者」と同様に、私も 寿命を削ることを選択しました。
このままのペースで エネルギーを使えば、寿命が数年を切ってしまう。
冷たいと言われてもいい。今後はリアルに絞ります。
死に直面した人々を相手に、残りの生命エネルギーを 注ぐことにします。
ありがとうございました。
一人でも多くの魂に 平安が訪れる日を祈ります。
2006.10.3 RK
肉体を離れた 「ある女性の覚醒者」と同様に、私も 寿命を削ることを選択しました。
このままのペースで エネルギーを使えば、寿命が数年を切ってしまう。
冷たいと言われてもいい。今後はリアルに絞ります。
死に直面した人々を相手に、残りの生命エネルギーを 注ぐことにします。
ありがとうございました。
一人でも多くの魂に 平安が訪れる日を祈ります。
2006.10.3 RK
・・・・・・このブログを始める前年
私は 自分の 「よみ」を 一から 学びなおした。
私は 自分の 「よみ」を 一から 学びなおした。
学究とは 比較にならない シロウトの浅学だが
普通の人より「よむ」経験は 多いと思う。
普通の人より「よむ」経験は 多いと思う。
「よむ」だけの立場から、 よんだ事を「かく」立場になって
私は 自他の「よみ」に 強い 違和 を かんじた。
よんだ事柄を 各々 イイカンジの
照合、合理化し、理解した ボンクラ の 「イイ」だからだ。
イイ人間だらけの スピ・精神世界関係者の言及を みるがいい。
殆どの者の文法は 目茶苦茶。
意味不明である。それで ヨク 通じあえるのだ。
美辞麗句の常套句を 並べただけの 支離滅裂な論理が まかり通る
通り一遍 ありふれた評論家センセイの ㊙ご高説のオンパレード故
ミミ障りなノイズを 発する 深みのない
知性も 理性も 情緒もない イジョウ な 人間の言葉程
イジョウに 歪み イジョウで あろうとする イジョウに 依拠シタがる
Lady Gaga 「 Bad Romance 」
「清く正しく美しい」
事象、事物や行為に イジョウに 固執した
ワンネス・絶対性なるモノへの イジョウ なる 傾倒は
無意識下にある イジョウ事態の 反映と 推測する。
危機を察した 動物の奇声の如き「ヰ」ジョウは
あくことを しらぬ 我々「イ」きものの 生存本能 に よる。
「清く正しく美しくない」
動物の言葉を ゆるせない 絶対の無辜なる衆生 様 は
「それで 善い」「それが正しい」ゆえに
「覚醒」「真我」「ニルヴァーナ」なる 全きカイトウで スベて よくトク
動物の言葉を ゆるせない 絶対の無辜なる
「それで 善い」「それが正しい」ゆえに
「覚醒」「真我」「ニルヴァーナ」なる 全きカイトウで スベて よくトク
同じ 絶対の言葉をゆるす 同志諸君 を
抱きこんで一体化 、イジョウに 同化しようとなさる。
抱きこんで
私の言葉を 理解できる人は、殆どいないだろう。
頭にスピリチュアルの知識を いっぱい詰め込んだ人は、
「分かったつもり」 には なれるだろうが、本当は分かっていない。
それが 当然だ。
貴方は なにも間違ってはいない。
頭にスピリチュアルの知識を いっぱい詰め込んだ人は、
「分かったつもり」 には なれるだろうが、本当は分かっていない。
それが 当然だ。
貴方は なにも間違ってはいない。
「自分」の 神を作り
「自分」たちの 真理を作り
「自分」たちだけの 「ひのもと」を作る よいニンゲンは
「自分」たちの 真理を作り
「自分」たちだけの 「ひのもと」を作る よいニンゲンは
全て 「自分」の 思いのまま 自分 のまにまに
全て コントロールできる 善き世界 千年王国を 作り上げんとす
全知全能 万物の神に 御成りの 「セイ」者様だ。
全て コントロールできる 善き世界 千年王国を 作り上げんとす
全知全能 万物の神に 御成りの 「セイ」者様だ。
有情の かなしい求めを よまず、み棄てた
汝の 「清く正しく美しい」言葉に しんの真実 の 宿る余地はない。
汝の 「清く正しく美しい」言葉に しんの
何 故 貴方は 自分自身の
Beastars - Don't Forget (Slowed + Reverb)
「 どんな言語テクストに たいして
どんな解釈学的操作を 加えているか 」
本気で「よむ」には「ある高度な 知的作業を抜きにしては 成り立たない」と
古今東西の哲学・宗教を 横断し
独自の 思想を 構築した 井筒俊彦は 言った。
「 複雑で困難、かなりの危険を 伴いかねない 」
聖典・経典 神話伝承、古典作品のコトバと
真摯に対峙してきた 井筒の「よみ」は 様々な言語や思想が 縦横無尽に 飛び交う。
おぼつかない足取りで
彼の難解な言葉 に 必死に食らい付き、その 軌跡 を 追うにつれ
私は次第 彼のひとの言語の海で
波乗りをしているかのような こころよい 心持を覚えた。
彼の難解な
私は次第 彼のひとの言語の海で
波乗りをしているかのような こころよい 心持を覚えた。
よめる。
わかる、か。 ・・・・・・成程。
「難思の弘誓は難度海を度する大船」なるものコトは
ソレで こういう 言葉 で 生ずるのだと 私は感得した。
多くの者は コトもなげに 自他の「よみ」をよく明かし、理解する。
私は その 無感覚 な お目出度い言動 に
リアリティを 覚えることは まずない。
腹を空かせた イタイ 動物のコの 叫喚に 思えてならない。
「わかる」とは 自我の範疇 に あるからこそ イえる謂いだ。
「わかる」基となっている 集合意識、
メンタル体、阿頼耶識は ジガ業因 の 巣窟 だ。
故に 私は 「自分」の「わかる」に 固執したくない。
神仏や 悟り・覚醒なるイイに 拘泥しない。執着するものに 意味は「ない」
私は その 無感覚 な お目出度い
リアリティを 覚えることは まずない。
腹を空かせた イタイ 動物のコの 叫喚に 思えてならない。
「わかる」とは 自我の範疇 に あるからこそ イえる謂いだ。
「わかる」基となっている 集合意識、
メンタル体、阿頼耶識は ジガ
故に 私は 「自分」の「わかる」に 固執したくない。
神仏や 悟り・覚醒なるイイに 拘泥しない。執着するものに 意味は「ない」
不徹底な 「よみ」 が
自他の「わかる」を 広言 し、
理解し得るタグイの人間は 自分自身の言 葉 すら よめてはイまい。
理解し得るタグイの人間は 自分自身の
ゲンザイ 仮想現実空間内に於ける
野放図な「シニフィアン」と「シニフィエ」が シンコウ を 速めている。
「自分」の 神仏、
「自分」たちの 真理真実に よく狎れあえる
同類の精根 を 喰って生きるほかない
ですから 「私」たちはよく 分かり合えるのでしょう 。
・・・・・うすうす かんじては おりました。
此処 にある 各々のイイが
「ナニか」を 発現させる、召喚 に なってしまう、と。
藝術 は もともと 私の得意とする分野でした。
言葉では いい表せない 物事の「あわい」を
私は 非言語媒体 で あますところなく 表現 して みたかった。
ナーダ・ヨーガ的世界観で みますと
実体のないものが 現れる際発話 により 「そのもの」は
その音に 制限 されます。
制限により「そのもの」は 何らかの 質 を 有する。
生じたチに 則した イ質を 帯びるコトに 成ります。
この発話 が 文字として書かれる 書記言語 次元に 入ると
その質・性格は さらに 一変 いたします。
記号や 印、シンボルに 留め置かれるコトになる。
特定の形態 に 「そのもの」は 限定されてしまうのです。
発話者 の かんじた
言葉だけ
藝術 だけで 「全て」伝えることは 不可能。
『時間と物語』で 著名な哲学者の
ポール・リクールは これを「状況の脱落」と言いました。
此処は 物事が 変化する世界 です。
ココでは 伝えたい 「そのもの」は
そのまま 伝わらない。伝えられない。
言葉や藝術 で 表すコトのできない「なにか」です。
語れないものは 語ることができない。
この自明を 識るものは 語らない。 無記 「沈黙 」 するでしょう。
沈黙のことばで 伝え、
沈黙のことばを 解したものは 沈黙で 応える。
私は その「沈黙」を かいてみたい。
野放図な「シニフィアン」と「シニフィエ」が シンコウ を 速めている。
「自分」の 神仏、
「自分」たちの 真理真実に よく狎れあえる
同類の
空腹のワレわれは みな
イジョウな動 物 のシタイを いきているから。
イジョウな
Hozier「 Movement 」
チの利に憑かれると
よいひとほど精神 のない 煽動家 に なるようですね。
お飾りの知識 に かまける
精神 のない私たちは みな「オタガイ」様。
よいひとほど
お飾りの
ですから 「私」たちは
私は このブログで 文字だけでない
画像、映像音楽など 非言語媒体 を 積極的に 活用しています。
画像、映像音楽など 非言語媒体 を 積極的に 活用しています。
・・・・・うすうす かんじては おりました。
「ナニか」を 発現させる、
言葉では いい表せない 物事の「あわい」を
私は 非言語媒体 で あますところなく 表現 して みたかった。
ですから、出来る限り 毎回 テーマに即した
テイストの 全くコトなる私 様 に「ある」よう 努めます。
テイストの 全くコトなる
「よむ」だけでなく
「かく」にも
「 複雑で困難、かなりの危険を 伴いかねない 」
深刻な問題を 抱えております。
私のいる この世界で「そのもの」が
「そのもの」のまま 伝わることは 「ない」からです。
「かく」にも
「 複雑で困難、かなりの危険を 伴いかねない 」
深刻な問題を 抱えております。
私のいる この世界で「そのもの」が
「そのもの」のまま 伝わることは 「ない」からです。
久米田康治 draws 野宮真貴「東京は夜の七時」| EGAKU #21
「私」というものは 何らかの媒体を いくつも経由して
イきている 「自分」です。
イきている 「自分」です。
ナーダ・ヨーガ的世界観で みますと
実体のないものが 現れる際
その音に 制限 されます。
制限により「そのもの」は 何らかの 質 を 有する。
生じたチに 則した イ質を 帯びるコトに 成ります。
神は「光あれ」と言われた。
すると 光があった。(創世記 1:3)
すると 光があった。(創世記 1:3)
この
その質・性格は さらに 一変 いたします。
記号や 印、シンボルに 留め置かれるコトになる。
特定の形態 に 「そのもの」は 限定されてしまうのです。
「そのとき」の 色や 匂い、手触り、熱
「そのもの」の ライブ感、いのちの躍動を
「そのもの」の ライブ感、いのちの躍動を
言葉だけ
『時間と物語』で 著名な哲学者の
ポール・リクールは これを「状況の脱落」と言いました。
ピカソに『二十世紀最後の巨匠』と称された
画家バルテュスは 自然光の下でしか 絵を描きませんでした。
画家バルテュスは 自然光の下でしか 絵を描きませんでした。
コの表現媒体の特性を
よくワカっていらっしゃる アタマのよい皆サマ方は
イジョウ に lineや X 、youtube,TikTok 等々、SNSの 実況 ナマ 配信や
セッションや セミナーなどの ライブ に こだわるでしょ。
よくワカっていらっしゃる アタマのよい皆サマ方は
イジョウ に lineや X 、youtube,TikTok 等々、SNSの 実況 ナマ 配信や
セッションや セミナーなどの ライブ に こだわるでしょ。
いつでも、どこでも、何でも 即シたい ヨクしたい
とても ココロヨイ 自分 で イタイ方なんですね。
とても ココロヨイ 自分 で イタイ方なんですね。
神童: モーツアルトによる カミ曲 「 Leck mich im Arsch 」
此処は 物事が 変化する
ココでは 伝えたい 「そのもの」は
そのまま 伝わらない。伝えられない。
言葉や
語れないものは 語ることができない。
この自明を 識るものは 語らない。 無記 「
沈黙のことばで 伝え、
沈黙のことばを 解したものは 沈黙で 応える。
私は その「沈黙」を かいてみたい。
私は、あなたたちの10倍は 「やった」 と言ってよい。
それだけは 自信を持って言える。
私の財産は、ただそれだけだ。
他に 何も無い。
それだけは 自信を持って言える。
私の財産は、ただそれだけだ。
他に 何も無い。
・・・・・・「そのもの」を カタることは 大罪 なのです。
そんな 大罪を 犯してまで
語れない 何かを カタり「かく」ものは デスから
一字一句に 命を 燃やす。
一つの線 一つの色を得るために 命を 尽くす。
自分が 「ナニモノ」か よく識っているからです。
スピリチュアル・ 精神世界観で
全て「わかる」「わかりあえる」ものなんか どうでもよかった
私は そんな 何でも「わかる」
「わかりあえる」よい貴方も 神も仏も 要らない 自分 だった。
全て「わかる」「わかりあえる」ものなんか どうでもよかった
私は そんな 何でも「わかる」
「わかりあえる」よい貴方も 神も仏も 要らない 自分 だった。
逢佛殺佛 逢祖殺祖
逢羅漢殺羅漢 逢父母殺父母
全て「わかる」「わかりあえる」モノと 関係せずに イる
私は ここにある 「なにか」 で イマしたから。
逢羅漢殺羅漢 逢父母殺父母
全て「わかる」「わかりあえる」モノと 関係せずに イる
私は ここにある 「なにか」 で イマしたから。
harha 「アンデルセン」