![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/0d/7e78638bb661b6f8b62349a9acf16ec0.jpg)
お城前に設置されている 怪獣『タラスク』
アヴィニヨンの横を流れるローヌ河本流が
西南西に30kmほどで
アルルの横に至る
その中間点あたりの
左岸に『タラスコン』右岸に『ボーケール』
という二つの町が
ともに川岸に巨大な城を構えて
向かい合っている
この『タラスコン』には
伝説あり
その昔『タラスク』という怪獣が
毎年現れては町人を喰らい収穫を荒らし
多大なる厄災をもたらしていた
それを「マルト」という少女が退治して
『サント・マルト』
と聖女に列せられたそうな
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/4e/23bf10f3d9b1f0a446eb55c71b64d275.jpg)
『タラスクを討ち果たす聖マルト』パオロ・ウッチェロ
16世紀ルネサンスの巨匠が作品に残している程
この『タラスク伝説』は
昔から有名だったようだ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/77/4fbc0ad1ad6056ca4224ff98f477de35.jpg)
19世紀のレリーフ
まずお城ですが実に
威風堂々
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/a8/2212c00ec8446c1e5c502eb0410c20b0.jpg)
ローヌの対岸から見た『タラスコン城』
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/aa/1c5761e2af80393e5d5fa5eeb3872479.jpg)
川岸からの城の横顔
正面に行くと
まさに「胸衝く」という形容がぴったりの頑丈な威容に足がすくみそうになる
本丸というか
天守というか
中核となる躯体は平面図が正方形で四隅に丸い塔
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/15/b127f006f6a3408e2e03bf3f2f42586f.jpg)
この手の城塞は
敵の攻撃による内部へのダメージを最小限に抑えるために
外壁には窓は最低限度しか開けなかった
ここに見える窓の大半は
戦国の世が終わった後に開けられたもの
お約束の
戦国時代の城の構造ですから
中庭も正方形の筈
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/a2/d40a1ce51da2149f9a94c2dda9aa2b48.jpg)
場内に入るには
空堀の橋を渡る
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/fe/549fbe1263b37629785147d3a508deec.jpg)
四角い本丸と
それに接して作られているであろう庭を囲む城壁
の境目あたりから入ることになる
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/0b/9ab5f9e66a488f93702aa0896e2a1dee.jpg)
庭園はこんな感じ
本丸の中に入ると
建物の高さに対して中庭が狭いので
見通しがききにくい
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/15/459d56bcc8eb68cb31ea3f2c1c324b27.jpg)
しかし
内側にはさすがに窓が多い
そして
本丸の中はほとんど何もない
地元の若手画家の抽象画の展示があったりするだけ
最上部まで登ると
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/2d/c94729d5c4a13aa6ad78e73f62bce1e6.jpg)
庭園を上から見下ろせる
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/74/950bac49c73090e10f5157bf24ebbb46.jpg)
ちょっと角度を変えると
ローヌの流れも目に入る
ところで
毎年八月が『タラスク祭り』
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/5e/57072f36b21212c0740443b4b8fffd0a.jpg)
『山車(だし)』に当たるタラスクが
当日まで
お城に「つながれ」ています
それで
いい年のおじさまがたが
必死の形相で駆けずり回るのは
世界中
どこの祭りも同じでありまして
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/a4/f47a9b304a578025bac1068b63a37d4e.jpg)
こうなるわけでございます
祭りが終わると
次の年まで町のフェスティヴァル・センターに飾られます
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/12/ce659f1fe699bdd5a1bc4340cdaa8da6.jpg)
でも
実は『タラスク伝説』は
ヴァレンシア
あたりにもあるらしい。。。
しかし
発祥の地はタラスコンだから
名前がタラスク
なんですけどね
街中に
聖女マルト
に献堂された教会堂があります
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/63/f520134986f04ed7c2f6194d34cfae4c.jpg)
16世紀建設の市役所にも
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/e1/768c1c4ab5a74af64f2e15b7d4828fba.jpg)
正面中央の上の方に
聖マルトが飾られています
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/c1/4a9926d7a1cbe790a76a2793f66aee01.jpg)
町自体は
祭りの時期を覗くと極めて静かです
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/5c/5b7206a67cc956ec60cf07cdb829f591.jpg)
お約束のアーケードもあり
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/91/af505acbd6623f7cabc5b0dd1aa1b25e.jpg)
アーケードの中
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/45/9903efe077d007146463baa7cde81e51.jpg)
こんなカラフルな家並みも楽しめます
この色彩感が
『プロヴァンス』なのです
タラスコンの街自体
取り囲んだ城壁が少し残っていて
要所要所に城門が保存されている
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/e4/562ddeaa5a7a7c51e89e5918e017d269.jpg)
町の中央門に当たる
『コンダミーヌ門』
そして
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/27/2a7677b95d5e50c20b27c34964c48c29.jpg)
『南の門』
※
では
せっかくですから
対岸の『Beaucaire ボーケール』にも
行ってみましょうか
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/f0/ec676aac62132b65fb98b6458d91f03f.jpg)
対岸のタラスコンと違って
ここ
ボーケールの城は
河岸ではなく背後の高台にあります
高台の方が責められにくく
防ぎやすい
タラスコンの側には
残念ながら高台がないのです
だから
城自体を極めて頑丈に作った
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/b8/8f78de9789fe1969409e8b2b0f09e25b.jpg)
こちらの城は完全に廃墟
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/0f/15023f9c33df174cd22b47b095c65348.jpg)
城山も
この辺り独特の石灰台地
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/c3/976777aaa26943f3f911eb266238ffcd.jpg)
タラスコンからローヌを渡ると
町はローヌから水路を引き込んで運河となり
港町になっています
昔は
多くの物資を輸送する手段は船しかなく
ヨーロッパ全域に
大河を結んで運河網が発達しています
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/a2/eb00a48041609cd3562ab2770dde4883.jpg)
写真奥の道路が高くなっているのは
ローヌを渡る橋につながるからです
その後貨物列車が登場し
今の時代はトラック輸送が主体ですから
港は
プレジャー・ボートの係留値となっています
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/34/b432edb40b068f51239de5c7ac9c73fe.jpg)
伝馬船も
すでに運搬用ではなく
ローヌ巡りのクルージング用か
船上生活用の住居
ところで
ここ『ボーケール』は
郊外に
ユニークな修道院の廃墟があります
岩山を掘り抜いて構造体とし
細部に切石を積んだ
中東のキリスト教修道院や
中央アジアの仏教遺跡
の様な形式
『Abbaye St-Roman 聖ロマン大修道院』
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/5a/12e461dadb47b9b15094eda698004a0a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/21/d99d1251a7fb36b17aedc099df37fe33.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/b1/c9e0dcf96ac38faa86c23eda87ccbe17.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/53/2c4644ee83b4892b160aa7cfd1e29c04.png)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/55/4d36ce5edce2aec42de398a0938f6a1e.png)
石を
必要な位置毎のブロックに切って積み重ねる
普通の建設方式も大変ですが
岩盤を
削り抜いて形にして行くのも
気の遠くなる様な工事であったことでしょう
そして
極め付けは
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/96/3e7ad0715ccc81734e69a8a2acd45e83.jpg)
墓地
石で棺を作るのではなく
岩の盤面に
棺の形でくり抜いて
修道僧たちを葬ったのです
初期中世の修道院は
世俗の世界を断ち切って修行に没頭するために
人里離れた場所に造られた
切り立つ峰に頂上や
降りる道とてない深い谷の底とか
人の住まない礫漠などに
この様に
岩山の横っ腹をくり抜いて
など。。。
すごいと思われませんか?
では
次回をお楽しみに
= = = = = = = = = = = = = = = =
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