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ぽんぽこタヌキの独り言 Solilokui dari Rakun Pompoko

日本を見て、アジアを見て、世界を見て、徒然なるままに書き記す、取るに足らない心の呟き

面白い「重ね言葉」いろいろ

2008年10月06日 22時10分01秒 | Weblog
日本語では複数あることを表現するために「重ね言葉」を使用することがよくある。即ち、「ひとびと」(人々)「むらむら」(村々)「やまやま」(山々)などである。これはインドネシア語でも同様であり、各々「“Orang-orang”=オラン・オラン」(人々)、「“Desa-desa”=デサ・デサ」(村々)または「“Kampong-kampong”=カンポン・カンポン」(村々)そして「“Gunung-gunung”=グヌン・グヌン」(山々)といった具合である。「たんたん狸の・・・・・・」の歌で揺れる様は「ブーラブラ」だけれど、インドネシア語で「“Belah-belah”=ブラ・ブラ」は「たくさんの亀裂」ということになる。また、酔っ払って足元がおぼつかない様を、日本語では「ふらふら」と表現するが、インドネシア語で「“Hula-hula”=フラ・フラ」は「フラダンス」の意味になり、「“Hura-hura”=フラ・フラ」は「楽しみに耽る様子」を表す言葉となる。道路のことは「“Jalan”=ジャラン」というけれど、これを重ねて「“Jalan-jalan”=ジャラン・ジャラン」になると「散歩する」という意味になる。「ゆっくりと」という副詞は正式には「“Perlahan-lahan”=プル-ラハン・ラハン」だけれど、口語では「“Pelan-pelan”=プラン・プラン」であり、従って「ゆっくり散歩する」と表現する場合は、正式には“Jalan”と“Pelan”の間に前置詞の「“Dengan”=ドゥガン」を挟むのだけれど「“Jalan-jalan pelan-pelan」で意味は通じるのである。 食べ物では「“Gado-gado”=ガド・ガド」というのがあって、これは「森のバター」といわれる「“Abogado”=アボガド」を中心に盛り付けられた野菜サラダのことであり、「“Agar-agar”=アガル・アガル」は「寒天」の意味となる。そしてまた、「“Onde-onde”=オンデ・オンデ」は蒸し団子のことである。男のことを「“laki-laki”=ラキ・ラキ」、「幼児」のことを「“Kanak-kanak”=カナッ・カナッ」といい、「“Laba-laba”=ラバ・ラバ」は「蜘蛛の巣」、そして「“Anting-anting”=アンティン・アンティン」は「イヤリング」のことを意味するのである。「“Oleh”=オレッ」という語彙は単独で使うと、英語の「“By”=バイ」と同じ「~による」という意味なんだけれど、これが重なって「“Oleh-oleh”=オレ・オレ」となると「みやげ物」という意味になる(当然ながらこれは「オレ・オレ」詐欺とは全く関係ない)。「“Langit”=ランギット」は「空」のことだけれど、これが重ねられて「“Langit-langit”=ランギット・ランギット」となると「天井」を意味することになる。単独では「最も」という最上級を意味する「“Paling”=パリン」であるが、重ねて「“Paling-paling”=パリン・パリン」になると「プロペラ」を意味する単語になり、ドラえもんの「タケコプター」は「“Paling-paling bambu”=パリン・パリン・バンブ」(竹のプロペラ)ということになるのである。「ほんの少し」の「ほんの」にあたる「“Cuma”=チュマ」という単語の場合、これが「“Cuma-cuma”=チュマ・チュマ」になると「無料」という意味になる。また、「調子はどうですか?」と聞かれて「まぁまぁです」と答えることがあると思うけれど、そういった場合、インドネシア語では「“Sedang-sedang”=スダン・スダン」と答えることになる。この「“Sedang”=スダン」という言葉を単独で使用する場合は、動詞の前につけることで「現在進行形」を表現することになるのである。人間や動物の目のことを「“Mata”=マタ」というけれど、これを重ねて「“Mata-mata”=マタ・マタ」になると「スパイ」という意味になる。宮殿の広場のことは「“Alun-alun”=アルンアルン」といい、ジャワ語で「“Alon-alon”=(アロン・アロン)」というと「ゆっくり」という意味になる。インドネシア語で「賑やかな様子」は「“Ramai-ramai”=ラマイ・ラマイ」とか「“Rame-rame”=ラメ・ラメ」とか言い、「嘲り笑う」場合は「“Olok-olok”=オロッ・オロッ」と表現する。また、英語の「“Pretend”=プリテンド」は「~の振りをする」という意味だけれど、インドネシア語では動詞の前に「“Pura-pura”=プラ・プラ」という単語をつけるとその意味が出てくるのである。インドネシア語には動物や生き物にも「重ね言葉」となっているものが幾つかある。海の「くらげ」は「“Ubur-ubur”=ウブル・ウブル」であり、「烏賊」は「“Cumi-cumi”=チュミ・チュミ」であり、「ちょうちょ」は「“Kupu-kupu”=クプ・クプ」、蛍は「“Kunang-kunang”=クナン・クナン」、そして「羊」は「“Biri-biri”=ビリ・ビリ」というのである。また、アメリカ発のアニメで「“Ninja turtles”=ニンジャ・タートルズ」というのがあり、ニューヨークの下水道で暮らしていた亀がバンダナを巻いたり、ヌンチャクを使ったりして、忍者として犯罪者や「“Alien”=エイリアン」と戦うストーリーであったが、インドネシアのテレビ番組では「“Kura-kura ninja”=クラ・クラ・ニンジャ」という題名で放映されていた。即ち「亀」のことは「“Kura-kura”=クラ・クラ」というのである。動物で「馬」のことは「“Kuda”=クダ」であり、「“Kuda-kuda”=クダ・クダ」は「複数の馬」を意味する場合もあるけれど、場合によっては「架台」とか「三脚」を意味することもある。タガログ語の中にも「重ね言葉」があり、「“Dami-dami”=ダミ・ダミ」というと「たくさん」という意味になる。また「“Loko-loko”=ロコ・ロコ」は「気違い」のこと、そして「“Kanya-kanya”=カニャ・カニャ」というと「割り勘」を意味することになるのである。一般消費者を支える食料品などの生活必需品を販売する店のことを「“Sari-sari store”=サリ・サリ・ストア」といい、この「“Sari-sari”=サリ・サリ」は「重要で不可欠な」という意味の語彙である。1521年に上陸してきたスペイン人、マゼランを撃退したセブ島の「“Barangay”=バランガイ」(最小行政単位)の首長の名前は「“Lapu-lapu”=ラプ・ラプ」といい、その名前は現地では英雄として崇められており、現地で捕獲される高級魚の名前にも「“Lapu-lapu”=ラプ・ラプ」という名称が付けられている。タイ語のことは詳しくないけれど、確か一般大衆の乗合自動車に「“Tuk-tuk”=トゥク・トゥク」というのがあったように記憶するのである。

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