
「朕(チン)は国家なり」はフランスのブルボン王朝、ルイ14世の言葉であり、彼は「太陽王」といわれている。この「チン」はルイ14世が自らを示す「私」ということである。また、「空手」などの急所の1つとされる「顎」も「チン」と言われる。それでは「チンチン」は何かと聞かれたら、日本語の場合どうしても「下の話」を連想してしまうけれど、日本語では擬声語の「チンチン」もあるわけで、今ではあまり見かけなくなったけれど、「チンチン」という鐘の音を鳴らして走る「チンチン」電車も存在するわけである。インドネシア語で「チンチン」と言えば「指輪」を表す単語であり、タイ語では「本当」という意味になる。これが、スペインやポルトガルやイタリアなどでは「乾杯」という意味となり、パーティーの席でグラスを合わせる時などは、会場のあちらこちらで「チンチン」「チンチン」と叫ぶわけであり、我々日本人としても、顔を赤らめて俯いてしまう暇もなく、やはり大きな声で「チンチン」と叫ぶことになるのである。ちょっと言葉は違うけれど、ベトナムで「チンボコー」という言葉を耳にしたら、それは「鳩」という意味であり、インドネシアで「マンコッ」という言葉を聞いたら、それは「茶碗」を意味するのである。また、タイ語でパンティー(ペンティー)という言葉を聞いたら、それは「地図」の意味であり、「おっぱい」という言葉を聞いたら、それは「外出する」ということである。実際には「“Ook”=オーク」(外へ)と「“Pai”=パイ」(行く)の組み合わせで「オーク・パイ」なんだけれど、会話の中では「おっぱい」と聞こえてしまうのである。「“Chuu”=チュー」と言えば、日本語では「キス」か「ネズミの鳴き声」を連想するけれど、タイ語では「名前」という意味になる。「“Cop”=コップ」というと英語では「警察官」、日本語では「グラス」となるが、タイ語では「カエル」の意味になる。また、「“Banci”=バンチ」というと、インドネシア語では「オカマ」を意味し、マレーシア語では「国勢調査」のことを意味する。また、日本語では住所についている「番地」であり、タイ語では銀行などにおける「口座」という意味になる。この「番地」と「口座」については、「数字のすぐ傍にある単語」であり、そういう意味では同根の「遠い親戚」と言えるかもしれない。最後に、タイ語で「トット」というと「おなら」のことであり、これはインドネシア語の「おなら」を意味する「クントゥット」と少しニュアンスが似ている。ところで昔、黒柳徹子さん著で「窓際のトットちゃん」というベストセラー本があり、これが既にタイ語に翻訳出版されたかどうかは知らないけれど、もし、そのまま翻訳してしまうと「窓際のおならちゃん」ということになってしまうのである。
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