
小学校の教科書か地図帳か地球儀を見て、初めてインドネシアという国を知った時、その国はジャワ島、スマトラ島、ボルネオ島、セレベス島という大きな4つの島からなる国だと認識したことを覚えている。小中学校の教科書の中で、インドネシアがクローズアップされるのは、ポルトガル、オランダ、イギリス、フランスがインド航路が発見された後に、アジア地域に来訪しだした大航海時代といわれる時期で、丁子や唐辛子などの香辛料を求めて行ったいわゆる香料貿易が活発に行われた時代だったように記憶する。現在、地球儀なんかでインドネシア主要4島の呼称を見ると、以前のボルネオ島はカリマンタンに、そしてセレベス島はスラウェシに変更されている。これがいつから変更になったのかは、はっきり記憶にないけれど、自分としてはいつの間にか呼称が変わったという印象が強いのである。ということで、その辺のところを歴史的に見てみようと思う。まず、ボルネオという名称はどこから来ているかというと、これはブルネイ王国に由来するものであり、そのブルネイという国名は、マレー語の「“Buni”=ブニ」(亜麻)または「“Buah Nyiur”=ブアッ・ニウル」(ココナッツ)に由来する。一方、「“Kalimantan”=カリマンタン」は「“Kali”=カリ」(川)と「“Emas”=ゥマス」(金)と「“Intan”=インタン」(ダイヤモンド)の合成語である。このボルネオ=カリマンタンは、インドネシア、ブルネイ、マレーシアが国境を有する、世界で3番目に大きい島である。マレーシアもブルネイも歴史的に見てみると、イギリスと深い関係がある。ブルネイは1888年にイギリスの保護領となり、マレーシアの地域では1896年に、その前身であるイギリス領マラヤが成立している。1942年にはいずれも隣国のインドネシアとともに日本の占領下に入ることになり、日本はイギリス領マラヤをマライと改称した。日本の敗戦後、インドネシアはすぐに独立を果たしたが、マライとブルネイはイギリスに返還され、1957年にマラヤ連邦として独立し、1963にシンガポールと北ボルネオ(サバ、サラワク)を統合してマレーシアを成立させた。ブルネイはこれに加わらず、イギリスの保護領としての地位を1984年の独立まで継続している。その後、1965年に、華僑人口比率の高かったシンガポールがマレーシアから独立することになる。そして、この同年9月30日には、隣国のインドネシアにおいて、その独立の父、スカルノ大統領失脚のクーデター「“GESTAPU”=ゲスタプ」が発生しているのである。即ち、以後32年の長期政権によりインドネシアを大きな発展に導いたスハルト大統領の出現に繋がる歴史的な事件が発生したわけである。私見であるが、現在のマレーシア、シンガポール、インドネシアが確定したこの1965年あたりで、何か政治的、経済的、外交的な力関係に変化が生じたために、この島の呼称変更が行われたのであろうと推察されるのである。ブルネイは豊富な原油を産出する豊かな国であるし、インドネシア領においても、木材のみならず、金やその他金属などの埋蔵も豊富であり、南カリマンタンのマルタプラではオランダ統治時代からダイヤモンドの採掘が行われており、露天掘りをしている場所もあるらしい。真夏の森林火災の「ヘイズ」は森林近くにある露出炭の太陽高熱による自然発火によるものであり、問題はあるけれど、開発のやり方によっては無尽蔵の石炭が算出されるであろう。恐らく、「カリマンタン」と言う名称は、豊かな鉱産物を有する島の特徴を前面に出そうとする何らかの意図が働いたのだと推測されるのである。
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