ひつじのさんぽ

気の向くままゆっくりのんびり。出会ったひと・もの・ことを書きとめてみます。by ポポ

トイレットペーパー

2010-05-24 09:36:49 | ひつじのポポのひとりごと
お店のトイレとか。
駅のトイレとか。

入ったトイレのトイレットペーパーが
もうすぐおわりかけだったり、
なかったりすることが、よく、ある。

ないですか?そういうこと。

なんだか、多いんです、そういうこと。
これを「はずれ」というのか、「あたり」というのか…


前の人はどうしてカラのままいっちゃったんだろう…
どんな気持ちでいっちゃったんだろう…


そんなことを思うわけです。
そしてちょっぴり、ソンをしたような気持ちで
トイレットペーパーを入れ替えるんです、カタンって音をたてて。

今はワンタッチで替えられるからとても便利だな~とか思いながら。

でもよくよく考えてみたら、
私が使っているトイレットペーパーも、だれかがカタンって替えてくれてるんだよなぁ。


なんだ、全然ソンしているわけじゃないんだ、私。


順番なのね、順番。
ただ、なくなったら、替えておきたいとは思うけど。


何事もめぐり合わせ。
ひとも、ことも、トイレットペーパーも。


そして今日もトイレに入る。
ちょっとくじを引くような気持ちでね。




「幸せになったね」

2010-05-22 11:53:48 | ことば日記
4月の終わりに『ほめ言葉のシャワー』というワークショップに行ってきました。

はじめて訪ねていく場所、はじめて出会う人々。
ちょっと緊張しながら、ひかえめに期待をして、
「さぁ、これから私は何を受け取れるのかな?」とかすかにわくわくする。
なるべく、自分はからっぽでいようと心がける。


約3時間くらいの時間の中で、まず、ひとりひとり、色画用紙を折りたたんだ
小さな本を手にとって、そこに名前を書き、自己紹介を書いて、シェアをしました。

お話を聞いたり、小さなよかったことを思い出したり…そんなことをしつつ
おわりに近づいた頃、きれいな色とりどりの小さな折り紙に、
自分がほめられたい言葉を3つ書いて、みんなの書いたものと一緒に
一面に並べてみました。

色とりどりのほめ言葉たちが、楽しそうにちらばって、それだけで
「わぁ~」という感じ。

そしてその中から、ひとつ、これだ!と思うものを選ぶのですが、
私が迷わず受け取ったほめ言葉は

「幸せになったね」

でした。
もう、これこれ、これだぁ~って感じ。
これ、言われたいの、言ってあげたいの、自分に。

今が不幸だとか、苦しすぎるから、幸せになりたいから、とか
そういう理由ではなくて、いち日、いち日、一時間、一分、一秒、
その積み重ねの人生の中で、「あ、私いまちょっと幸せになった!」
って感じられる自分がいいな、って。

たとえ、どんなことがあってもね。
もっと言ってしまえば、死ぬ間際の自分に言ってあげれたら
ほんとうにうれしいと思った。

「幸せになったね」ってことばから、自分がこんなふうに思っていたことを
気づかされてちょっとびっくり。

でも、とてもすがすがしい気持ちになれて、
最初にいただいていた小さな本の最後のページに、「幸せになったね」と書いて、
私、今日はこのことばを受け取りにきたんだなぁ、と思ったのでした。


そんな素敵なワークショップをしてくださった、
『紅茶の時間』を主宰されている水野スウさん。

そして今回の会場とワークショップ主催してくださった
『冷えとり雑貨の店 Candy Kate』さん、そこに集まったあったかい方たち。

出会いに感謝です、ありがとうございました。



はっぱたち

2010-05-17 08:12:39 | ひつじのポポのひとりごと

さくらが散って、葉っぱがでてきて、
やさしいピンクからみどりの季節になったよ。

公園に行ったら、葉っぱのみどりがグラデーションになっていたよ。

おひさまにあたって、キラキラキラキラ、
みどり色が濃くなったり、薄くなったり。

「みてみて、ぼくたちはこんなに元気。
 おひさまのひかりを ひとつぶのこらず うけとるんだ。
 そうして さきへ、さきへ、伸びていくんだよ。
 おおきくなるためにね」

葉っぱたちはみんな得意そうだったよ。


ドウゾ、オスワリクダサイ

2010-05-13 10:41:33 | ことば日記
夕方の、混み始めた日比谷線。
六本木から恵比寿まで乗ったときのことです。

中のほうはけっこう空いているのに、
入り口付近は乗り込んだ人たちがなぜか踏ん張っていて混んでいて。

たった2駅のことだったけれど、「すいません、すいません」
と人をかき分けながら奥に入りました。

ちょっと乗るだけだったし、疲れてもいなかったから
何気なく空いたつり革につかまったら、

前に座っていた外人の青年がふいに立ち上がって、

「ドウゾ、オスワリクダサイ」

と、カタコトノ日本語で席を譲ってくれたのです。

え?え?え~っ?


妊婦に見えた?
疲れた顔してた?
これはお国柄的文化としての、レディに対する礼儀なの??
それとも私が美しすぎた??!(笑)
もしかして老婆に見えたのかな…

ものすごい速さで「席を譲られる」理由を探してる私。


外人さんは余裕のにっこり笑顔。
その灰色がかった、奥に笑みをたたえている美しい瞳にうながされ、

「ど、どうも、ありがとうございます」
と、こちらもたどたどしい日本語を言って、
とにかくこの「もてなし」を受け取らなければならない、という義務感的なものもあり、座ったのです。


席を譲る、ということはしたことはあっても、
理由らしきものがなく、「席を譲られる」という行為にまったく慣れていないもので、座ってからもしばらくドキドキしていました。

みんなが知らん顔して乗り込んでいる車内という空間の中で、
なんだかひとり目立ってしまってような居心地の悪さもあって、
それをまた悟られないように、平気な顔をしてみたり…

外人の青年はずっと背中を向けたまま、次の駅で降りていきました。
私は心の中で「サンキュー」とつぶやいて見送りました。


たくさんの人たちが乗っている電車の中で、席を譲られたこと。
青年に出会えたこと。


これって、もしかしたら宝くじに当るような確率なんじゃないのかしら?
これって、とてもラッキーなことなんじゃないのかしら?


そう思えたら、理由なんてどうでもよくて、
ただ「席をゆずられた」ことをうれしくおもって、
ハッピーな気持ちになっていた私なのでした。






公園と人形とアコーディオン♪

2010-05-10 15:56:10 | ことば日記
5月2日、代々木公園に行ってきました。

人形遣いのYUKI☆さんと、アコーディオニストの伊藤ちか子さんによる
ストリートパフォーマンスデビューを見届けるため。


GWが始まったばかりの日曜日、
原宿駅からごった返す人の群れをかきわけて代々木公園に到着。

久しぶりに天気がよくて、芝生でゴロゴロしたくなる午後。

舞台になる小さな箱と、何も言わないけどおしゃべりな操り人形たちと
ちょっとすました、かっこいいアコーディオン。

5月のさわやかな風に乗って、アコーディオンから軽やかな音が流れ出して、
人形たちが思い思いの物語を動きだけで語りだすと、
かけ寄ってくるこども、お父さんとお母さんたち。
彼女と、彼。友だちと、友だちたち。

広い広い公園の片すみの、一本の木の下で出会った人たちと
そのときだけ、小さな小さな物語を一緒に過ごす。




そんな様子を見ていると、なんだか映画のワンシーンのような気がしてきたのです。

だれかが、今日のこのことを覚えているのかな?

アコーディオンの音色とメロディーと、人形の愛らしい表情は
忘れられたとしても、記憶のどこかにきっとしまわれていくんだろうなぁ。


YUKI☆さん、ちか子さん、すてきな時間をありがとう。