うるしブログ

漆原良成のブログです

少年少女国際使節団⑧

2006-09-30 19:33:20 | Weblog
暫く更新をサボっていたら、少年少女使節団の続きはどうした?

とほんの数名の方からご意見を頂きましたのでもう少し
続けてみることに・・・

1992年、1月の京都会議も無事に済みいよいよ
少年少女の募集活動

まずは身内からということで、日本JCの役員で
該当年度の子供がいるメンバーは半強制的に子供たちを
参加させていただいた。

当時、大阪のある常任は男の子3人参加。
今と違って、参加費も1人45万くらい
何と参加費だけで135万。恐ろしいことだ。

この岸和田3兄弟、後日談があって、旅行中、兄弟の1人が財布を
落としてなくしてしまう。全財産ではなくて良かったけど
よくよく金のかかる兄弟だった。

埼玉からは熊谷の梅○堂のKさんがやはり常任で、ここも男の子が2人参加。

でも、役員頼みだけでは到底人数が集まらない。

全国から集まったメンバーが各地でPR活動。

私も、群馬ブロック会員会議所会議へ群馬県から出向しているメンバー1人
と共に2人でPR。
見ず知らずの群馬のブロ長以下役員、各地理事長専務のお歴々の前で
今と違ってビビリまくってPRしてきた。

そんなこんなのPR活動が功を奏し、全国から120名の子供たちが集まった。
秩父からは2名の参加をいただいた。

しかし、120名も集まってしまうと逆にプレッシャーが大きくなってしまう。
本当にこのメンバーで子供たちを無事に連れて帰ってこれるのだろうか?
日が近づくにしたがって緊張度が増してくる。

そんな緊張感と共にやるべきことはしなければいけないので
メンバー募集PRと平行して、○TBとの打ち合わせ、予算書作成、
班編成と訪問先の検討等スムーズにこなしていく。

ユニホームも決めなきゃあということで
子供たちはおそろいの紺ブレ、更に出費が増える。

大人は子供たちから目立たなければいけない。
何色にしようか・・・・

委員長曰く「前回のドイツのときはエンジだったから今度はピンクでいこう。」
これで決定。

ここからが日本JC的
「ピンクでダブルのブレザーなんて既製品ではないだろうから
作らなくっちゃなあ。」
といことで仙台JCのメンバーのアパレル屋さんが委員会のある日に上京してきて採寸。

2ヵ月後の委員会に納品。オーダーメードのユニホームの出来上がりである。

98年以来秩父JCの団長が着ているブレザーの誕生でもある。