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ビビリな『はな』の~ぉとぼけ日記~べこも一緒♪

ちょっぴり臆病なMブルテリア はな(鼻)たんとお調子者の姪っ子ベこ(Veco)の犬物語

ラジオリスナー

2011年04月22日 | 大地震と原発のはなし

最近よくラジオを耳にしているかぁたんです。

(池の桜)

(花開きました)

仕事中は有線の音楽(おもにJPOP)を聞いてたんけど余震が続いた日なんかは逆に緊急速報を耳にしないと不安になったりしてたので、最近ずっとお世話になってるのはもっぱらNHKラジオ第一放送

ラジオが店内に流れている変な店だけど...この時期OKかと (かぁたんの都合で選局します)

 

仕事してても耳から入る情報や音楽は結構好き

ラジオから流れる音楽のフェイドアウトも今は好き

若いころラジオから音楽をよく録音してたけどフェイドアウトやパーソナリティの声が入るのはNGだったよ

 

 

昨日、突然のスーちゃん(田中好子さん)の訃報に驚いた方は多いかと思います

私もキャンディーズ世代よりはちょっと(?)下だけど、ほとんど歌えますよ~

なぜなら~~~キャンディーズ世代の姉の影響が大きかったから・・・・ちなみに父さんは女優=田中好子のイメージの方が強いみたい

キャンディーズ シングルメドレー

春一番のように空を渡ってしまったスーちゃん

あまりにも早い死.....まるで落ち葉が散るような本当の別れですね

今日のラジオもキャンディーズヒットメドレーが流れて思わず姉と口ずさんでしまった。

スーちゃん笑顔をありがとう!(ご冥福をお祈り申し上げます)

 

そして毎日の通勤で聞くのは すかがわ災害FM(JOYZ2AD-FM)
(4月7日に開局 周波数80.7MHz 須賀川中町より半径30キロ圏内で放送中)

先日、須賀川に志穂美悦子さんが来てくれた時に

持参した長渕剛さんのメッセージがラジオから流れて感動したの。

やっぱり長渕剛ってすごいな~って思ったよ。言葉が勇気をくれるってこういうことなんだと・・・・

須賀川市役所公式HPからメッセージが見れるし聞けるよ

記事や写真の転載禁止なのにYouTubeで見つけたしまった(HPと同じです)

須賀川にも来てほしかったけど長渕剛も動き出したね

 

そして今や福島の応援ソング。。。

最初は[猪苗代湖ズ]なんてローカルなバンド名でう~~~~んって思ったけど

ついつい口づさんでしまうふくしまうたです(有名人も何人か参加してるので6分と長いけど興味のある方は見てね)

「I love you & I need you ふくしま」猪苗代湖ズ

なんとな~く心温まるメロディ 本当にふくしまが好きだな~って思うかぁたんです。

 

 

崩れた池の法面に動く物体が・・・

 

鴨(ガー子)さんが一羽 悠々と泳いでたっけ

 


ただいま復興中♪

2011年04月21日 | 大地震と原発のはなし

早いもので4月もすでに三分の二を経過。

来週はもうGW入りなのにね、時間だけはしっかり過ぎているんだな~と実感してしまう今日この頃。。。

毎日変わりもしない風景に、街全体の復興には相当時間がかかりそうだな~ってしみじみ感じてしまいます。

 

そんななか

4月17日にJR東日本(黒磯ー郡山)復旧したと言うニュースを耳にしたの。

(迂回するようになってから毎日通る道)

翌18日の朝、ビックリ~踏切の信号が点滅してて遮断機が下りてたよ。(警報音は鳴らなかった)

なんとな~く嬉しくなっちゃって思わずカメラ向けちゃった

とってものろのろの徐行運転、以前だったら通勤時にイライラするだろうけど・・・

ゆっくり列車を眺めてるかぁたん、なんとな~く顔がほころんでいました~

頑張れJR

 

 

震災後、るるちんと ののすけは姪っ子まりの仕事の自宅待機が多かったせいか

託児所にはあまり顔を出さなかったの。

わんころ達が今後も安全に暮らせますようにと...かぁたん部屋の模様替えをしました。

 

なぜなら~~~べこのハウスを掃除していた時見つけた爪痕。(今だから話せるかな)

 

あの時べこのハウスの上にいっぱいいっぱい物が落ちてきたんだって。隣に昔で言う茶ダンスがあったからね。

怖くて、ハウスから逃げ出したい一心だったと思う。

あの時間、姉が休憩中でわんころ達と居てくれたんだけど、べこはハウスでお休み中

 

あまりの恐怖でハウスの隣に作ったトイレのケージを飛び越えたんだって

(ここから)

身軽なべこだから出来たこと。鼻だったら・・・・と思うとぞっとしちゃうし誰も居ない部屋にわんころ達だけだったらーーーっと思うと...考えるのはよそう

その後、茶ダンスのガラスの引き戸がべこのハウスに落ちてきたりして

かぁたんが部屋へ向かった時は姉がわんころ達をガラスの破片の方に行かせまいと必死に押さえてた。

 

鼻は当初はひっつき虫になってたけど今じゃ揺れると我先に反応してワンワン言うし

 

べこなんて元気良かったから爪痕に気づくのが遅かったかぁたん

最近の大きな揺れでも姉が直後に見に行ってくれるとシッポ丸めてるべこが居るんだって。

性格は激しいべこでもまだまだお子ちゃまだったんだよね。

 

と言う事があったからの模様替え

隣の部屋に全員引っ越し(この部屋は落ちる物が無いから大丈夫かな)

今までは鼻とるるちんはフリーだったんだけど、留守番中は皆ハウスの中。

マット(カバー)は近所のおばちゃんの支援物資

 

今まで居た部屋はケージが無くなったからスッキリ

 

赤い敷きカバーも近所のおばちゃんからの支援物資でイメチェン

みんな仲良くがんばっぺね

毎日わんころ達の賑やかな掛け声?あふれるドタバタ劇場は幕を開けていますよ。

 

 

余震が少なくなったな~って油断してると、また揺れがやってきます。

テレビの画面上に福島中通り 震度〇と出ますが

日本で3番目に面積の大きな福島県は前にも話したように縦に三等分されます

福島中通りと言っても

北は福島市から南は白河市や矢祭町といくつもの市町村でくくられています。

県北の福島市と県南の白河では大いに違うのです。

速報画面に「須賀川」の文字が出なかったら我が家はダイジョウブです。。。。からね~

 

 


がんばっぺない

2011年04月10日 | 大地震と原発のはなし

「がんばっぺ」 「がんばっぺない」 こちらの方言で(頑張ろう!!)の意味

 若い頃は標準語に憧れて福島なまりが嫌だったけど

最近では一日に何度も合言葉のように「がんばっぺ」「がんばっぺない」って言ってるかぁたんです。

 

今日はぽかぽか暖かい日曜日

3月の季節が思いっきり消えてしまったので急に春になってビックリって感じ。

散歩コースなのになかなか行けなかった商店街へ郵便局を目標に散歩に出かけたよ

下を走る東北本線(黒磯ー安積永盛)(福島ー北上)水郡線(上下)運転見合わせ

でも東北新幹線は(那須塩原ー福島)4月12日運転再開予定、今日も関係者が新幹線のチェックしてたよ(ちなみに須賀川駅には新幹線は止まりません)

 

 

須賀川の中央商店街は私たちが学生時代はそれはそれは栄えていた通りだったのですが、

その商店街も営業再開のメドが厳しいホテルやら傾いた銀行、頭上に注意の張り紙の銀行、外壁がはがれているのに「やってます」の張り紙を貼って営業してる店、ブルーシートに覆われた店、一階が倒壊し傾いたビルやら、さら地になってしまった会社、ちょっと歩けば解体予定の市役所と税務署・・・

行政施設や公共施設はすぐに予算が組まれるだろうけど個人のお店などのダメージは深刻問題だよ

この商店街は元通りになるのか?目を伏せてしまう街並みに、このかぁたんもさすがにカメラを向ける勇気はなかったけど...しっかり目に焼き付けてきました。

 

 

今日は日曜日と言うこともあって崩れた瓦礫の片付けや家屋の修理をする姿が多くみられて

犬の散歩してるのが申し訳ない気持ちでいっぱいだったけど、知らない人でも挨拶をして返事がくると嬉しいなぁ~って小さなことがとても嬉しく感じます。

復興に向けてみんな元気に頑張ってほしい。 「がんばっぺない」

 

そして、ここにも復興を待ってる住民達が・・・

我が家の庭から通りに出ると向こうにブルーシートがかけてある部分

ここは毎日通る欠かせない道路、我が家に来るお客さんが駐停車できるスペースの道路

池の法面が無残にも崩れ落ちました

法面が崩れて陥没と言う道路は何箇所か見たけど、ここが一番ヒドイみたい

 

地震があった日、家が心配で一時帰宅でこの陥没を見た瞬間、古い我が家はダメだ~って思ったほどビックリしました

父さんも帰宅途中に国道に面した所に建つ古くて大きな工場が倒壊してる光景を見て古い我が家は絶対潰れたと思ったらしい(でも我が家はしっかり建ち残ってましたよ)

地域住民しか通らない道なので復旧は後回しになりそう。通行止めはしばらく続きそうだし遠回りする道があっただけ良かった。

夜中に見物にくる若者(バカ者)が居てうちの前に車を止めて小さなライトで見に来るけど、車のドアの音に鼻とべこはビックリするし・・・どうせ見るなら日中見に来い!!って感じ

そして3日前の大きな余震で更に陥没が広がったみたいで、さっき測量技師らしき人達が測ってたよ。

いつ頃になるのか(自称:道路の管理人として)毎日チェックしますよ

 

 

そしてここにも大きな傷が・・・

お店の内階段です。家の中に朝日が差し込みます

さすがに昨日は大雨予報だったのでブルーシートで覆いました

鉄筋造りの店にいくつもの亀裂はあるしココ直すとしたら・・・?怖い話になりそうです

 

実家の脇を走る道路も深い傷が・・・

 

震災中77歳になった同い年の両親が盛り上がった庭を整備して駐車スペースにするんだって頑張ってました(街も今こんな光景があちこちに見られます) 

 

 

 

春になったのにすっかり忘れていた池の傍に立つ細々しい1本のしだれ桜は・・・何とか無事でした

 

 

 

自粛ムードもいいけど日本人としての唯一の楽しみのお花見

我が町、須賀川にも・・・福島にも、そして東北にも暖かい春がやってきますね

つぼみが膨らんで来るのが待ち遠しいなぁ~~

鼻ちゃん、べこちゃん。。。一緒にお花見しようね

 

さてもう一つ忘れていたこと

Q、今日は何の日???

           

 

           

 

           

 

A、早いもので、べこが我が家にやってきた思い出の一年記念日でした。

 

 

  


ふくしま大好き!!

2011年04月09日 | 大地震と原発のはなし

福島で産まれ、福島で育ち、福島で鼻とべこを迎え~福島を代表するかぁたんです

年を重ねる度にふくしまっていいところだな~ってしみじみ感じるようになってきたのにね~

 

 

早くから被災者を受け入れ仮設住宅を用意してくれる都道府県の温かい心遣いにはTVのニュースを見ていてホッとします。

各地で福島県の生産者を支援するイベントを開いてくれたり、野菜を買ってくれる消費者の姿を見ると嬉しいです。

いろんな人が応援してくれます。たくさんの著名人が物資を届けて励ましてくれます。

TVを見ながら自分が応援されてる気になって調子に乗ってしまうかぁたんですが、それでも元気が出ます!

 

でも

まだまだ一部の人たちに理解してもらうのは難しいようだなぁ~。

 

以前から福島県と言うだけで民泊拒否・レストランの入店拒否と言う風評被害は耳にしていたけど

先日、知人の友人が「いわき」ナンバーの車で関東圏のコンビニに入ろうとしたら車のナンバープレートを確認した店員が「恐れ入りますがいわきナンバーの車は入店できませんとお断りされたそうだ。

とっさに「すみません」と頭を下げて駐車場を出たそうだが、何故自分が謝らなくてはならないのか?何故こんな仕打ちを受けるのか?腹が立ってコンビニに戻って怒鳴ってやろうかと思ったけど辞めたんだって・・相手にするのもバカバカしくなったって言う話を聞いてヒドイ話だな~って思ったら

 

今度はガソリンスタンドでも給油拒否。福島ナンバーお断りの張り紙まで貼ってあるんだって。

駐車場に止めれば落書きや石など投げられる被害も県相談窓口に届けられてるらしい。

 

2日前のニュースでは「いわきナンバーのトラックで積荷を運ばないでほしい」と取引先から口頭で言われたという運送会社が出てきた。いわきの運送会社に風評被害(NHKニュース)

 

放射能デマと言うのかな?

福島県=放射能

福島県民=汚染者または被爆者と思いこんでる人が多い。

まるで人権侵害や差別、国は知っているのに知らんぷり。

もっとヒドイ話は 若い女性にまで・・・

「胎児に影響を及ぼすから福島県の娘とは結婚したくない」だって~どんな素敵な男性が言ってるのか?顔が見たいものです。

 

それでも、福島県の野菜やお米を食べたいって言ってくれる人や福島ナンバー・いわきナンバーの車を見ると優しくしてあげたい、応援したいって声を聞くと嬉しくなります。

ふるさとは福島県ではないけど「ふるさと納税」は福島県に決めたと言ってくれた方、県を代表してお礼が言いたいくらいよ。

 

ご存じのとおり東京電力福島第一・第二原子力発電所は福島県の浜通りに位置しています。

浜通りには東京電力の発電所のほかに広野火力発電所もあります。ここで発電された電気は、全て関東へ運ばれ首都圏の方々が利用します。
この発電所で作られた電気はいっさい地元の人は利用されていません。

首都圏の3分の1の電気は福島県で作られている現実をもっと知ってほしい報道してほしいな~って思います。

東北電力の電気を利用している私たち福島県民も他県に発電所があるので他人ごとではないと思っています。

 

そして東京電力の関連会社の作業員などは浜通りの人が多いです。雇用の面や補助金で還元されてきたから町の人も文句言えないだろう、と言う話も聞きますが、それは安全と言う事が大前提でのはなし。

それでも作業員たちは町を守るために町の経済を守るために日本を守るために危険の中で働いているのです。その人たちにも家族が居ます。

他人ごととは思えません。町や村に戻りたいって人が沢山います。

 

福島県民は何も悪いことはしていません。家を失い家族も失いそんな状況の人が多いのに

福島の人は「来るな」と言わんばかりの人が居ると言うことは本当に悲しい事実です。

 

何だか福島県から外に出るのが怖くなってしまうよ。

 

 

そんな中この前志穂美悦子さんが我が町須賀川の避難所に足を運んでくれましたよ(あのビジンダーが・・・)

須賀川は古くからゆかりのある町なんだって・・・

志穂美悦子って言ったら長渕 剛の奥さまですよね。

あの長渕さんに「私須賀川に行ってくるわ」な~んて言ったのかと思うとワクワクしちゃう!!

 

支援物資と長渕 剛の直筆メッセージと「俺は福島が大好きだ!!」って生声を録音したテープも届けられたんだって。。。

かぁたんも「福島は大好き!!って今は胸を張って言えるよ~~

ひとりじゃない、みんなついてるから・・・・

 

余談ですが同じ空の下(お隣)に住むGReeeeNのリーダーHIDEのブログ

いち市民(県民)として今回の震災の事を綴ってる日記に顔がほころんでしまったよ内緒だったけどミーハーなかぁたんGReeeeNファンでした

HIDEさんも検死と歯科治療で現地でお手伝いしてるそうです。

 

ど~~~れ、明るく元気にがんばっとぉ~


気晴らしのプレゼント

2011年04月05日 | 大地震と原発のはなし

先日のブログ、姉に「重いよ~」って言われちまいました

たまにはナーバスになりたい時もあるワタクシかぁたんでございます。

 

にっち曜日、ちょっと気晴らしに遊びに行ってきましたよ。

 

震災仕事余震に疲れていたかぁたんに「うちにおいで~」って言ってくれたのはつくしさんコト...ドリの母ちゃん

つくしさんもドリ五郎さんと二人暮らしで心細いはずなのに、ホント明るい母ちゃんで大好きです。

 

とうさんも一緒にって訳だったんだけど

タイヤ交換とか車の師匠といろいろ話すこともあったのだろう。

とうさん的には 女子会楽しんで来い みたいな感じだったんだろうけど・・・

 

久々にドリと会えて興奮気味の女子を抑えるのにちっと苦労したけど楽しかったよ。

 

犬たちがひと遊びしてから、ドリの母ちゃんの手料理の食べ放題タイム。

なんか毎日お粗末な手抜き料理を作ってるかぁたん、とうさんに申し訳ないな~って気持で美味しくいただきました。

 

たらふく食べて、今度は犬たちの時間

ドリの散歩コースに鼻べこも便乗

3匹のパトロール隊は町の治安を守るためにひたすら歩きました

かれこれ1時間半くらい歩いたかな~~~?

 

犬たちが疲れてくれたところで今度はデザート付きの女子会の続き・・・

大地震の話やら、仕事の話やら、ドリ母の甥っ子が自衛隊(東松島)で頑張ってる話とか

避難所の犬の話とか、原発の話、政府や東京電力幹部の悪口と話が途切れない一日だったね

 

その間ちょっと余震があってビビってしまったかぁたんと鼻だけどね

 

夕方とうさんに迎えに来てもらってから、今度は3人でコーヒータイム  ホントありがとう。

長々と居座ちまってごめんよ!ドリ

おおきなあなたの存在にとっても癒されました。

おおきな手で‘‘ちょっとちょっと’’って腕を触ってくれるあなたが可愛いかったです。

またオヤツ持って行くからね~。

待っててねっ   ドリ

 

 

ちなみにとうさんの気晴らしはどッ曜日でした~

4月の解禁日を迎えるのを楽しみにしていたのに大震災に見舞われて半分諦めかけていたようだけど

会津地方は大丈夫だろう~と釣りの師匠と二人で渓流釣りに行ってきたみたいよ

 

新潟に近い会津地方の風評被害は可愛そうな位です。

会津地方は原発からひと山もふた山も三山も四山も5山も・・・・・離れた地域です。

 

 

とうさんが気晴らしに出かけた今年のお初のイワナちゃん

15匹でした。

 

こんなに可愛いお顔のイワナちゃん、福島県産ってだけで敬遠されちゃうのかな~~~

食べたいって方にはぜひ送っちゃうのに・・・(とうさんに軽くプレッシャー)

 

まぁこんな感じで我が家は元気に前向きに頑張っていきます。

まだまだ終息ならない原発やら、風評被害やら、たまには叫んじゃうかもしれませんが応援よろしくお願いします!!

 

 

 


福島の五重苦

2011年04月03日 | 大地震と原発のはなし

福島県は知っての通り地震津波原発風評被害とそして農産物の出荷停止は先日発表されました

 

うちの実家は地元の小さなスーパーです。

全国展開のチェーン店に加盟はしてるんですがね(規模の小さなお店です)

東北の本部である仙台も食品の倉庫とする盛岡のセンターもこの震災で機能を失いましたが、うちの店は震災翌日から営業しました。

あの地震で棚に陳列してあった商品は、がれきの山状態?床に散乱してビン類(酒・調味料)は割れ、とうてい営業できる状態ではありませんでしたが思ったよりも店内の被害は少なく(まわりは要注意な箇所がいくつかありました)兄夫婦が困っているお客さんの役に立ちたいと店を開けたのです。

近くにある何軒かの大手スーパーは被害が多く店が閉まってるところが多い中「開けてくれてありがとうございます。」「頑張ってください」などと声をかけられると勇気がわきました。

福島第一原発から20キロ圏内は避難命令、30キロ圏内は屋内待避と発表された日はさすがに街もゴーストタウンのように静まり返って国道4号線も南に移動する車線ばかり渋滞して、あの時自分たちが置かれている現実が受け止められなくて、まるで映画でも見てるかのようにニュースを見てたのを今でも覚えています。

 

地震・津波の悲しい天災が原発にまで襲いかかって、原発での風評被害、農産物の出荷停止が人災まで生みだしたのは誰のせいにしたらいいんだろう?

私の町の須賀川市の農業を営んでた64歳の男性が「福島の野菜はもうダメだ」とつぶやいて翌朝命を絶った話は本当に悔やまれてなりません。

うちに来るお客さんのお仲間だったようです。

「ホウレンソウが出荷できないなら畑の約7500株のキャベツを少しずつでも出荷しないと・・・」 と頑張ろうとしていた矢先の農産物出荷停止発表。発表と同時に損失の補償まで説明してくれなければ農業を営んでる方にとっては生殺し状態です。

自ら命を絶つのは弱い人間なのかもしれませんが、地元の農家の方は皆声を揃えて同じ気持だ、悔しいと言います。

現に去年収穫されたふくしまのおいしいお米さえ返品されると言う事実。漁業で言えば去年加工したさんまの開きが返品されるそうです。

 

うちの店にもたくさんの野菜が並んでいますが、実家の両親も店を引退してから第三の人生?として野菜作りに一生懸命取り組んできて地産地消を掲げて店に野菜を並べていましたが、その老人の小さな楽しみまでも奪ってしまう原発。

どこまで悪化するか分からない風評被害。

今、一生懸命やってていいのかな?という不安。

毎日、父さんに「叫べぇぇぇ」と言われてます。

今、店内に並んでいる福島県産の野菜を手にして「地元の野菜を食べないとね」と言った声が多く聞こえるようになりましたが、中には「中国産の野菜の方が安心か?」と言う人も居ます。

何だか悲しくてやりきれない毎日です。

 

ちなみに下記は出荷規制の出ている野菜です。農家の方は愕然としますよね

 

摂取や出荷の自粛を要請している福島県産の食品について
(平成23 年3 月27 日現在)

太い文字はお店で取り扱ってた野菜です

非結球性葉菜類(摂取の自粛・出荷の自粛)
ホウレンソウコマツナカキナあぶらなちぢれ菜紅菜苔くきたちな、カブレ菜、信夫冬菜、山東菜、べかな、非結球はくさい、チンゲンサイ、パクチョイ、タアサイ、たかな、かつおな、からしなみずな、たいさい、サラダ菜サニーレタスしゅんぎく、フダンソウ、なばな、さいしん、オータムポエム、かいらん、つぼみな、みずかけな、ケール、しろな、仙台雪菜、千宝菜、のざわな、べんり菜、山形みどりな、わさびなサンチュ、プチヴェール、ウルイ畑ワサビ花ワサビクレソン、ルッコラ、ナズナ、アイスプラント、葉ダイコンふきのとう

結球性葉菜類 ( 摂取の自粛・出荷の自粛)
キャベツはくさい結球レタス芽キャベツ

アブラナ科花蕾類 (摂取の自粛・出荷の自粛)
ブロッコリーカリフラワー茎ブロッコリー

野菜(出荷の自粛)
カブ こかぶ赤かぶ聖護院かぶ

畜産物  (出荷の自粛)
原乳

 小さな春みっけた♪


3.11 東日本大震災

2011年03月31日 | 大地震と原発のはなし

2011年 3月 11日 (金) 午後 2時 46分  

東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)

大地震・大津波などで犠牲になられた沢山の方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 

大地震...あれからすでに20日経ちました。

 

ようやく私もパソコンに向かってみようかという気持ちになってはみたものの夕べも余震がありましたね。

体の緊張がほぐれない日々が続いてます。

 

余震のない時に安定してるときに少しずつ今の気持ちを出していきたいと思っています。

 

私の住んでる福島県はもはや震災の悲しいイメージよりも原発のある怖い県で有名になってしまいました。

福島県は会津地方・中通り地方・浜通り地方と大きく3つに分けられます。

今回の大地震で大きな被害を受けたのは沿岸沿いにある浜通り

 

             

私は中通り地方の須賀川市と言う街に住んでいます

   

 

その中通り地方で最大の震度6強に見舞われた須賀川市・と お隣の鏡石町

須賀川では死者 9名(1名は病死と判明) ・ 行方不明者名(捜索打ち切り) 

 

新聞記事を読んであらためて地震の怖さを実感しました。

 

ご心配していただいた皆さんからの温かいお見舞いメール本当にありがとうございます。

思いもよらない人からの温かい電話本当に嬉しかったです。ありがとう!

 

私達の家は傷跡は残っていますが十分に住めます。

電気・水・ガスも整っています。ガソリンも満タン給油できました。

親・きょうだい・姪や甥・親戚の人たち・ご近所の方も皆元気に生活しています。

私やとうさんの会社も無事に動いています。

今、全て揃っていることに感謝しています。

 

 

近所の土手に根強くつぼみをもった 黄色い水仙

こんな小さな花からも逞しく元気に生きよう!って勇気をもらいます。

 

そしてこの空が皆さんのところにつながっているんだな~って思ったら

 

一人じゃないんだな~って思ってとっても嬉しかった。

空を見上げていたら、ふと笑みがこぼれ目頭にあついものがこみ上げてきた。

 

自衛隊のヘリコプターが飛び交わない青空がきっと来る

いつまでも澄んだ青い空が見られますよう・・・・・・・・

 

 

かぁたんは 笑顔で今日も一日がんばります!!