日本人ならばほぼ知っていると思われるアメリカの俳優「シュワちゃん」こと「アーノルド・シュワルツネッガー」が知事を務めるカリフォルニア州で、元ギャングのスタンリー・ウィリアムズ死刑囚の死刑が決行されたそうです。
このスタンリー・ウィリアムズ死刑囚は、ロサンゼルスの悪名高いギャング団「クリップ」の創立メンバーでして、過去にコンビニ強盗をして従業員など4人を射殺したとされる人物で、死刑判決を受けていますが無罪を主張していたのだそうです。
捕まってからはギャングの一員とは思えない行動をするようになり、子ども向けの本の執筆や電話による説教活動などを通じ、暴力やギャングにかかわらないよう青少年に呼びかけたりと暴力反対を訴え続け、彼のこれらの行動が何と「ノーベル平和賞」や「ノーベル文学賞」の候補に推薦されたと言うのだから驚きです。
で、こんな彼に死刑を執行するというニュースを聞きつけた彼の支援者や死刑反対派、さらにはハリウッドの著名人まで動員してこの死刑執行を撤回するよう求めたそうでさらに驚き。
(結局彼等の訴えは認められず処刑は行われましたが)
「驚き」なんて文句を使っていますから、わたくしの考え方は「死刑は妥当」という事になりますが、その理由は以下の通り。
まず1つ目。
ウィリアムズ死刑囚は今でこそ暴力反対を訴え続け、青少年の非行防止に役立ち、賞の候補にまで上がった訳ですが、だからと言って捕まる前まで行ってきた残忍で極悪非道な犯罪行為の数々は許されるものではありません。
2つ目。
死刑反対を訴える者達が、もし自分の大切な人を彼に殺されたり彼から何らかの被害を受けていたならば、それでも死刑反対を望みますか?俺はそうはならないと思いますが。
3つ目。
ギャングという卑劣な組織に関わった者が辿る結末は「極刑」という見せしめ。
大きく分けてこんな所でしょうか。
だからと言って人命を軽んじている訳ではありませんが、この国際社会において役立つどころか極悪非道な犯罪行為を平気で出来るような輩がのさばっているようでは、どの道世界に平和など永遠に訪れません。こういう危険な組織を壊滅させるには、その構成員全ての考え方が変わらなければ絶対に無理です。
で、当然こういう輩が心の奥まで隅々まで改心する事は非常に稀です。どこの国でもそうですが、生粋の犯罪者気質を持った者は決まって再犯を繰り返します。
誰かを特別な理由無く(自己中心的な事で)殺害したならば、その殺された人と同じ目に遭わせるのが筋ではないでしょうか。でなければフェアじゃありません。理由無く殺された人があまりにも可哀相です。
にも関わらず人権擁護団体は訳の解らない事を言い放ち、殺人犯であろうと極悪犯罪人であろうと助けようとする。そんなに犯罪に荷担したいのでしょうか。人権とは、人として社会の一員として真っ当に生きているからこその権利じゃないんですかね?人命を重く見るならば、殺人犯が犯した殺人行為は何ゆえ容認(もしくは容認と同意義の事)するのか全く持って意味不明です。
擁護団体の構成員が誰かを殺した時にその罪から免れる為にやっているとも思えますな。
どんな犯罪行為であれ、そういうものを容認するorしようとするから犯罪が増え治安が悪くなるのです。人の痛みが解る者ならば容易に他人に攻撃したりしません。それだけ今の世の中は心無い人間が多いのです。
結局人というものは、強固な法に縛られなくては人としての道を踏み外す者が続出してしまうのです。アメリカは「自由の国」と言われていますが、「自由」の意味を履き違え、その「自由」を良い事に何をしても許される訳ではないのです。
どんなに償っても一生掛かっても自分の犯した犯罪行為の歴史は決して消える事はありません。犯罪を犯したその日から犯罪者。良い人だろうと悪い人だろうと犯罪者。模範囚だろうと犯罪者。社会から抹殺されるのが妥当です(冤罪除く)。
暴力反対訴えた元ギャング死刑執行、州知事は助命拒否 (読売新聞) - goo ニュース
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このスタンリー・ウィリアムズ死刑囚は、ロサンゼルスの悪名高いギャング団「クリップ」の創立メンバーでして、過去にコンビニ強盗をして従業員など4人を射殺したとされる人物で、死刑判決を受けていますが無罪を主張していたのだそうです。
捕まってからはギャングの一員とは思えない行動をするようになり、子ども向けの本の執筆や電話による説教活動などを通じ、暴力やギャングにかかわらないよう青少年に呼びかけたりと暴力反対を訴え続け、彼のこれらの行動が何と「ノーベル平和賞」や「ノーベル文学賞」の候補に推薦されたと言うのだから驚きです。
で、こんな彼に死刑を執行するというニュースを聞きつけた彼の支援者や死刑反対派、さらにはハリウッドの著名人まで動員してこの死刑執行を撤回するよう求めたそうでさらに驚き。
(結局彼等の訴えは認められず処刑は行われましたが)
「驚き」なんて文句を使っていますから、わたくしの考え方は「死刑は妥当」という事になりますが、その理由は以下の通り。
まず1つ目。
ウィリアムズ死刑囚は今でこそ暴力反対を訴え続け、青少年の非行防止に役立ち、賞の候補にまで上がった訳ですが、だからと言って捕まる前まで行ってきた残忍で極悪非道な犯罪行為の数々は許されるものではありません。
2つ目。
死刑反対を訴える者達が、もし自分の大切な人を彼に殺されたり彼から何らかの被害を受けていたならば、それでも死刑反対を望みますか?俺はそうはならないと思いますが。
3つ目。
ギャングという卑劣な組織に関わった者が辿る結末は「極刑」という見せしめ。
大きく分けてこんな所でしょうか。
だからと言って人命を軽んじている訳ではありませんが、この国際社会において役立つどころか極悪非道な犯罪行為を平気で出来るような輩がのさばっているようでは、どの道世界に平和など永遠に訪れません。こういう危険な組織を壊滅させるには、その構成員全ての考え方が変わらなければ絶対に無理です。
で、当然こういう輩が心の奥まで隅々まで改心する事は非常に稀です。どこの国でもそうですが、生粋の犯罪者気質を持った者は決まって再犯を繰り返します。
誰かを特別な理由無く(自己中心的な事で)殺害したならば、その殺された人と同じ目に遭わせるのが筋ではないでしょうか。でなければフェアじゃありません。理由無く殺された人があまりにも可哀相です。
にも関わらず人権擁護団体は訳の解らない事を言い放ち、殺人犯であろうと極悪犯罪人であろうと助けようとする。そんなに犯罪に荷担したいのでしょうか。人権とは、人として社会の一員として真っ当に生きているからこその権利じゃないんですかね?人命を重く見るならば、殺人犯が犯した殺人行為は何ゆえ容認(もしくは容認と同意義の事)するのか全く持って意味不明です。
擁護団体の構成員が誰かを殺した時にその罪から免れる為にやっているとも思えますな。
どんな犯罪行為であれ、そういうものを容認するorしようとするから犯罪が増え治安が悪くなるのです。人の痛みが解る者ならば容易に他人に攻撃したりしません。それだけ今の世の中は心無い人間が多いのです。
結局人というものは、強固な法に縛られなくては人としての道を踏み外す者が続出してしまうのです。アメリカは「自由の国」と言われていますが、「自由」の意味を履き違え、その「自由」を良い事に何をしても許される訳ではないのです。
どんなに償っても一生掛かっても自分の犯した犯罪行為の歴史は決して消える事はありません。犯罪を犯したその日から犯罪者。良い人だろうと悪い人だろうと犯罪者。模範囚だろうと犯罪者。社会から抹殺されるのが妥当です(冤罪除く)。
暴力反対訴えた元ギャング死刑執行、州知事は助命拒否 (読売新聞) - goo ニュース
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