今日、本棚を整理していたら6年前の旅日記が出てきました。
6年前は時間が無く私にしては急ぎ足の旅でした。(それでもムアンシンでは5泊)
ムアンシンではセンさんがまだ宿をやっていた頃で
ポンが7歳、ジョニーが2歳でした。(現在は宿はやっていません)
ムアンシン最終日の夜、センさんに明日ウドムサイに行くと告げました。
この夜はほとんど眠れず当日の朝を迎えました。
いつものようにマーケットにカオソイを食べに行ったのでしたが
なぜか涙が出てしょうがなかったのです。
この時はこれが最後のラオスでもう二度とセンさん達には会えないと思っていたからである。
宿に戻りついに出発の時間になりセンさん達に挨拶をして宿をあとにしようとし時
センさんがウドムサイまで行くには時間がかかるので
これを持っていきなさいとお菓子、飲み物、とうきびなどを持たせてくれました。
これほどやさしくしてもらうと今まで抑えていた感情を抑えきれなくなり
ついには声を出して泣いてしまいました。
どんなに涙をこらえてもこらえてもとめどもなく涙が流れて来るのでした。
あの時はどうして最後のラオスと思ったのかは今は分からない。
しかしあの時の心配は危惧に終わり、その後何度もラオスを訪れているし
そしてまた4月2日にはまたラオスに行ってきます。
話しは変わりますが私の職場にセンさんのような優しい女性がいました。
控えめで聞き上手いつも笑顔を絶やさない。

ラオスすてきな笑顔と言う本がありますが、彼女の笑顔もとても素敵なのです。
額に汗し真面目に働いている人が報われないのはおかしいと
ホットスクランブルというラジオ番組(3月30日放送終了STVラジオ)で常々言われていました。
(こちらもどうぞ)
そんな彼女がどんなに頑張っても労いの言葉もないようだが私だけは彼女を正当に評価したい。
数日前、彼女に仕事の視野が広いと言ったことがありました。
彼女は褒めすぎじゃないですかと言ったが
その後の彼女を見ていたらやはりよく考え仕事をしている。
やはり褒めすぎということはなくもっと褒めてもいいくらいである。
私は仕事で彼女にはよく助けられてはいたが
私が彼女に対し何かしてあげたことはほとんどない。
そんな彼女にもう2度と会うことはできないと思うと今となってはもどかしい。
○○ちゃんさようなら。そしてありがとう。
6年前は時間が無く私にしては急ぎ足の旅でした。(それでもムアンシンでは5泊)
ムアンシンではセンさんがまだ宿をやっていた頃で
ポンが7歳、ジョニーが2歳でした。(現在は宿はやっていません)
ムアンシン最終日の夜、センさんに明日ウドムサイに行くと告げました。
この夜はほとんど眠れず当日の朝を迎えました。
いつものようにマーケットにカオソイを食べに行ったのでしたが
なぜか涙が出てしょうがなかったのです。
この時はこれが最後のラオスでもう二度とセンさん達には会えないと思っていたからである。
宿に戻りついに出発の時間になりセンさん達に挨拶をして宿をあとにしようとし時
センさんがウドムサイまで行くには時間がかかるので
これを持っていきなさいとお菓子、飲み物、とうきびなどを持たせてくれました。
これほどやさしくしてもらうと今まで抑えていた感情を抑えきれなくなり
ついには声を出して泣いてしまいました。
どんなに涙をこらえてもこらえてもとめどもなく涙が流れて来るのでした。
あの時はどうして最後のラオスと思ったのかは今は分からない。
しかしあの時の心配は危惧に終わり、その後何度もラオスを訪れているし
そしてまた4月2日にはまたラオスに行ってきます。
話しは変わりますが私の職場にセンさんのような優しい女性がいました。
控えめで聞き上手いつも笑顔を絶やさない。

ラオスすてきな笑顔と言う本がありますが、彼女の笑顔もとても素敵なのです。
額に汗し真面目に働いている人が報われないのはおかしいと
ホットスクランブルというラジオ番組(3月30日放送終了STVラジオ)で常々言われていました。
(こちらもどうぞ)
そんな彼女がどんなに頑張っても労いの言葉もないようだが私だけは彼女を正当に評価したい。
数日前、彼女に仕事の視野が広いと言ったことがありました。
彼女は褒めすぎじゃないですかと言ったが
その後の彼女を見ていたらやはりよく考え仕事をしている。
やはり褒めすぎということはなくもっと褒めてもいいくらいである。
私は仕事で彼女にはよく助けられてはいたが
私が彼女に対し何かしてあげたことはほとんどない。
そんな彼女にもう2度と会うことはできないと思うと今となってはもどかしい。
○○ちゃんさようなら。そしてありがとう。