昭和20年5月31日
台北大空襲
市民約3000人が死亡
総督府(現・総統府)や軍司令部など未曾有の大惨事が発生
多くの建物が甚大な被害を受けた.
台北第二高等女学校は校舎の半分が崩壊した( 5月10日夜?)
殉職された先生方の思い出
1.吉中吾郎一校長
脚長き 教師に淡き 春の思慕
脚長き教師とは吉中先生の事で海軍士官のように颯爽と見え
生徒たちの人気の的になった.
それまでなおざりにしていた数学の勉強に身を入れだしたのは
先生のお陰である.
大正11年着任
昭和17年3月校長として着任
2.稲田尚先生
昭和13年6月着任
丸顔で小柄な先生は愛称クリちゃんとして親しまれた.
洋裁担当でバザー、慰問袋作り等で活躍された
3.広瀬智恵子先生
昭和19年4月着任
家庭科の実習では
校庭で食べられる草を摘んで食材としたり色々と工夫されていた
4.大塚安子さん
昭和16年卒業後
就職した会社が雲母剥ぎを各女学校に依頼していたため
その奉仕作業指導員として派遣されていた.
もうこれ以上は剥げないと思っても
大塚さんは薄く薄く上手に剥いで教えて下さる優しい方でした
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