香典についての Q & A
Q 香典って何ですか
A 香典は香に始まり変遷を重ね「こう」ありたいという形までを次に示す。
1) 第1段階の香典は、香を焚(た)くこと
2) 第2段階の香典は、米を供えること
3) 第3段階の香典は、カネを供えること
4) 第4段階の香典は、葬式費用の一部を分担すること
5) 第5段階の香典は、弔意を表明すること
6) 第6段階の香典は、涙を流すこと
香を焚(た)き、食事し、お金を出し、費用を分担し、弔意をあらわし、涙を流すこと、
それが香典である。
Q 香典の起源は
A 釈迦入滅の際に弟子たちが香木を持ち寄り茶毘に付したとされ、香奠は、
葬儀の際に故人に所縁の深い人が香木を持参し、霊前に焚いて供えたことから始まったものです。
仏教儀礼に欠かせない香は仏教伝来と共に日本に伝えられました。
Q 香典の意味
A 葬儀や法事に参列する時、亡くなった人の霊前にお供えする現金を香典と言います。
香典は、昔は香奠と書き、奠は、すすめること、供えることという意味で、
仏前または死者の霊前に香を供えることでした。
お墓に香花(櫁,しきみ)を捧げたことや仏様を供養する六種供養に由来すると言われます。
六種供養とは、仏様を供養する方法で、華・塗香・水・焼香・灯明・飲食の六種をいい、
中でも、香は仏様を供養し身を浄める意味と、香の立ちのぼっていく煙にのせて
仏様を送り迎えする意味とがあります。
香典はやがて、香の代わりに供える金品となり、香・線香の代金という意味になり、
現在はその意味も薄れ、喪家は葬儀や法事で出費が嵩むため、その一部を香典として提供し、
負担を軽減する意味に変わってきています。
Q 香典の歴史は
A 香典は、最初はお金ではなく、米や麦、野菜などの食物香奠のことであり、
会葬者が故人とともに食事するという意味も込め、食料を持ち寄る風習でした。
元々は近隣の人々の相互扶助の意味合いが強く、遺族の経済的な面を考えて、
村人同士が助け合ったもので、農村部においてそれは長い間変わらなかったのです。
室町時代には、武士が金銭香奠を出した記録があり、明治時代には、金銭香奠が
一般的になりましたが、農村部が金銭香奠に移行し始めたのは大正時代からと言われます。
Q 村八分とは
A 村八分、残り二分は火事と葬式であり、村八分になっていても、火事になれば
類焼防止に駆けつけて消さねばならない。
葬式も、そこから出た魂が村全体に『たたり』を及ぼすと恐いから、葬式を出すかどうかを
見届けなければ安心出来ないので、付き合いがなくても押しかける。
又、その家に余裕がなければ食物とか燃料とかを持って行って援助して葬儀をさせ、
それが香典という形式で今に残った。
Q 香典の義理とは
A 昔は香典帳が保管され、香典を受けた側は、金額と相手を記録しておき、
相手先に不幸があると自分が受けた同額相当の香典を渡し、これを義理と言う。
都市における香典は弔意の表明であり、第三者に対する礼として行われ、
喪家に対し暗黙に自分の礼に対する返礼を求めており、贈答儀礼としての香典返しとなった。
礼とは第三者間の付合いを円滑に処する知恵であり、義理であり、賄賂性が潜在するものでもある。
Q 弔意の表明とは
A 香典は、かつては香奠と書き、香を供える、捧げる、という意味で、本来は弔意の表明です。
香典、供花は贈る側の意思、弔意の表明であり、受け取る側の事情によるものではないのです。
従って、遺族は弔問者の気持ちを汲んで、ありがたく頂く、受け取るというのが自然です。
「香典をもらわなくても葬儀は出せる」「香典返しが面倒だから」といった理由での香典辞退は、
弔意の拒絶ととられ、弔問者を途惑わせるものです。
葬式を質素に簡素にというのは、本人の意思や遺族の都合であって、
長い付き合いの友人・知人の気持ちは、充分配慮すべきことでしょう。
Q 香典辞退とは
A 葬式に行くと
「故人の遺志により香典は堅くご辞退申し上げます」なんて書いてあることがある。
住所の書かれていない香典があると、お返しを送るために調べるのが大変だったりするからである。
香典を出す方にすれば、住所を書けばお返しの催促みたいで、あつかましいような感じがする。
でも、もらった方の立場で考えると、住所が書いてなければ、何とか探し出して
お返しをしなければと思う。
「香典を受け取らないとは何事か!」「受け取ってもらわなければ自分が天国へ行けない」
などと言われ、結局、断りきれずに受け取ることになってしまったり、断る方が疲れる。
頂くものは、お心と思って素直に頂くのが良い。
北海道では、会葬御礼の挨拶状と、数百円程度の品物が香典の領収書と共に即時に渡され、
忌明け時に香典返しを行うことはない。
葬儀には参列できないが、どうしても弔意を伝えたい、というときには、
弔電なら受け取ってもらえるから、人に香典を託すより確実だ。
Q 葬式の本質とは
A 今の葬式は、息子の会社関係者等、故人の生前を全く知らない第三者が葬式に参加し、
この第三者が大多数を占める葬儀社主導の葬式が一般的となりました。
会社に勤務する人にとっては、昼間行われる告別式に会社を休んでまでは出席しにくいため、
勤務後である夜間に行われる通夜にだけ参列して、お葬式に行ったことにする事になります。
本来、通夜は家族、親族が最後の別れを充分にし、心の整理をする貴重な時間ですが、
会葬者も義理で参加する意識が強いので、都合のいい夜の通夜で義理を果たすようになり、
遺族が、通夜の会葬者の接待に追われるようになってしまいました。
会葬者が200人以上にもなってくると、遺族は参列者や会葬者の接待に忙しく、
死者の弔いに専念できないという不満が出てきました。
葬式は本来、死者を弔うものであり、故人を知らない第三者の多数の葬式への参加は、
葬式の本質を歪めるものです。
Q 家族葬とは
A 涙無しには送れない大切な人とのお別れは、どうあるべきか、その答が、
一番最初のQAの『第6段階の香典は、涙を流すこと』に込められています。
家族葬は、葬式を本来の死者を弔うものへ回帰させたいという願いを表明するもので、
ごくごく親しい人だけで静かに行うので、周囲を気にする必要もありませんし、
じっくりと故人とお別れをすることが出来ます。
同じ時間を二度とは持つことが出来ませんから、心のこもった内輪だけの葬儀で、
身内だけで、静かに別れの時を過ごすこの時間を大切にしたいものです。
過去にも密葬は有りましたが、一般的な葬式において参加者に枠を設け、
故人を知らない義理だけの関係者には、来てもらうには及ばない、来てもらいたくない、
という発想は新しいものです。
Q 香典の相場は
A 地域の慣習によっても異なりますが、香典には一般的な相場が存在します。
近隣の人 3,000円~5,000円
一般会葬者 5,000円~10,000円 (友人、勤務先関係、取引先)
関係者 10,000円~30,000円(叔父、叔母、親戚)
親族など 30,000円~50,000円 (祖父母)
家族 50,000円~150,000円
敗戦直後は経済的疲弊で、香典や香典返しは 批判され、新生活運動が起こされました。
今も新生活運動が残っている地域では、近隣の人は一律500円とか
1,000円などと決めているところがあります。
香典袋(不祝儀袋)の値段は中にいれる金額の1~2%が目安です。
Q 受付での香典・名刺の出し方
A 香典は、グレーや藍、紫などの地味な色の袱紗に包んで持参し、
名刺を渡す場合は、右肩に「弔」と書き、左下の隅を内側に折っておきます。
Q 香典の表書きは
A 香典は、亡くなった人にお供えする高価な香木に代る金銭(新札を使わない)を包むものである。
香典の表書きは、一般的には、四十九日までは御霊前、四十九日後は御仏前と書く。
浄土真宗では、亡くなった方は、即、浄土に往生し、霊を認めないので御霊前とはしない。
禅宗では、教義に浄土が無いので成仏以前という考えもなく御仏前とする。
故人に香典を出すのではなく、本尊である仏様に捧げるという意味なら御仏前になる。
香典は、キリスト教では行われていないが、日本では、キリスト教でも香典を持参し、
その場合は、カトリックは御霊前を許容し、プロテスタントは否定している。
御香奠、御香典、御香資、御香料は中立的な表現になる。
キリスト教のお花料、神道の玉串料、御榊料なども同じ。
しかし、会葬者は喪家の宗教・宗派を知らないので、自らの宗旨で表書きを選択してもよい。
なお、自分の持参するものに、「御」をつけて、御香典とは書くべきではない、
と言う人もいるが、これは言葉づかいが丁寧ということで良いのではと思う。
Q 香典返しは
A 現在は香典のそもそもの意味も薄れ、葬儀や法事で出費が嵩むため、
その一部を香典として提供するという意味になっているため、仏事が終わって余りが出れば、
香典返しをするという風習が生ずるようになったのです。
ですから、香典返しは必ず行なわなければいけないということはないのです。
香典の意味は仏にたむける香の代わりですから、お返しをする性質のものではありませんし、
本来、香典は霊前に供える物であるため、香典返しは必要ないのです。
香典は礼として行われ、自分の礼に対する返礼を求めており、贈答儀礼としての香典返しであり、
宗教というより習俗に基づくものです。
香典返しをすることで、義理をその都度精算し、同額返金では意を無にするから半返し、
(~3割返し)などという便法は、出す方も義理なら、返す方も義理という、
死者を弔う葬式の本質を見失った賄賂体質そのものです。
今は賄賂と言われる心付けも、昔は人間関係の潤滑油だったのです。
Q 香典返しの品は何が良い
A 香典返しの表書きは、忌明志、志、満中陰志(中陰とは四十九日のこと)などとし、
香典返しの品は、食品や消耗品に代わって、好きな商品を選べるカタログ・ギフト、
商品券などが利用されている。
昔は死んだ後、土に埋葬されていたから、人間は土に帰る、
という意味を含めて、陶器が選ばれる事もある。
Q 香典の義理立て
A 会社の同僚の父親が亡くなって、香典を出すって、一度も会った事も、
話した事も無いのに、みんなが出すから、出すけど、それが当り前と思っていた。
あの人は行った、あの人は逝かなかった、となったら困るし、
一人で勝手に行かれては困るし、香典の額に差がついても困るし、
一人いくらと決めて、みんな同額の香典を、代表者が持って行けば、義理が立つ。
要は、面倒くさいから行きたくないけど、義理は立てたいって事だが、
考えれば、可笑しな話で、何故そんな義理をしなくてはならないのか、
故人にしても葬儀に見ず知らずの人が来て喜ぶはずもない。
Q お経はワイロ?
A 四十九日とは、人が亡くなりますと初七日・二七日というように
一週間毎にお裁き(裁判・審判)があり、最後の七七日(四十九日)のお裁きによって、
亡くなった方の行き先が決定するというものです。
裁判長は閻魔大王で、閻魔様はすべての人の生きていた間の行実を閻魔帳に記録しているのです。
この最後のお裁きがあるまで、亡くなった方はフワフワと漂ったような存在であると考える訳です。
故人への追善廻向(亡くなった者の代わりに生きている者が善を行い、
亡くなった者へその徳を振り向けること、この場合は経を読むことが善と考えている)が
一般的な中陰の法要となっております。
お経をまるでワイロのように考え、裁判官に甘い判決をお願いしているのと同じです。
亡くなった方は亡くなったその瞬間に大いなるハタラキの仏様となられ、
フワフワと漂う綿ボコリのような存在ではないのです。
浄土真宗にとっての中陰の法要は、この私が、亡き人に導かれて教えを聞く場としてあるのです。
香典の表書きにはどのような場合でも「御霊前」と書かないのが本来の仏教です。
それは霊という言葉には、成仏していないという考え方があるからです。
仏教徒は「御仏前」です。
阿弥陀さまにお供えして下さいと言って差し出すのが御仏前なのです。
「御香典」でも結構だと思います。
お香を供えて下さいという「御香」でもいいです。
僧侶への御布施の表書きはすべて「御布施」で結構です。
「読経料」ではありません。
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