水戸黄門が武田鉄矢で復活
で、思い出したのが
↓
しかし、
2.のdisabilityの種別・特性に対して、
つまり、私の子どもに対して
1.のimpairmentをもつものの中からさえ
ことさらな「社会の否定的態度」があるではないか。
「障害者です」と、印篭をひけらかす逆差別もあるのだ。
私の子どもは、真駒内公園で車椅子マラソンの練習をしていた男から、
「こら、どけ。ばか!! あぶないべ。」と、怒鳴られた。
車椅子の障害者が、その障害を克服してスポーツしているのを邪魔するなという訳だ。
私がどう反応したか解かるだろう。
その通りだ。
「わからなかったもので……」という、
付き添いの「偉いボランティア」の自転車の男を殴り倒した。
解かり易さと、解かり難さ。解かっていたら、どうだというのだ。
子どもは叫べば良かったのか「しょうがいしゃ」が自転車の練習してるから、塞がないでと。
私は「ふくし」は、ボランティァなんぞがすることではないと、考えている。
社会が制度として当然持っていなければならないものと、考えている。
参考HP
* 2017年08月28日の記事のリンク先を修正した