青い日は晴れ

こら下界。お前はゆうべも職をむなしゆしなかった。
そして疲れが直って、己の足の下で息をしている。

読書のカテゴリーにしました。

2008-11-25 22:01:49 | 読書


さて、

パソポンがディスククリーンアップとかいう動作をしていて、

かれこれ一時間くらいウィーーーーン!

とうるさいので、

ブログの空いた日付にコピペでも貼り付けましょう。

貼り付けましょうっていっても打ち込みなんですよね。

でも暇つぶしということで、

というか本当にうるさいぞう。

ゾウはいませんけどね。

パソポンの力に頼りすぎた生活をしているから、

パソポンが使えなくなると不便ですね。

原稿、辞書、テレビ、音楽、

ブログだってそうだし、

ネットサーフィンもできない。

下の二つはパソポン(または携帯)でしかできないことだけど、

上のほう、マイライフに関わることもパソポン一つで

賄わせているから、

パソポンが使えないとやることがないです。

ブログはね、

ウィーーーーン! とうるさくても

なんにも考えないで書けるから大丈夫。

洗濯機回してるし、(洗濯中)

掃除はこの間したばかりだからまだ時期じゃないし、(なんじゃそりゃ)

ご飯は作りおきがあるし、

買物は昨日行ったし、

雨降ってるし。

読書はパソポンがあってもなくてもしているから、

気分にまかせて。

といっても、いつ終わるか分からないウィーーーーン!

が気になって集中できない。

今は家族が解散する小説を読んでいて、

その話を少しさせていただきます。


○○○


もう仕方がない、

テーブルと呼んでしまおう。

テーブルは、

床から生えていると表現してもいいくらい長いこと、

ここにあるのである。

脚と天板が、家具工場でくっつけられて、

何日か後にテーブルとしてこの家に到着した。

着いてすぐに、テーブルとこの家は、

このDKの、この床の上に位置を決められ、

以来、ひと昔に近い長い時がこの場所で経過した。

もう、テーブルを動かしたら、

一本一本の脚の先に根が付いてくるというくらいに

なってしまったのである。

ああ気味が悪い。


このテーブルの表面には、

ビニールの、テーブルクロスと呼ぶにふさわしいかどうか

あらためて考えたくなってしまうような一枚がかけてある。

赤と紺が、白地に千鳥格子の模様をつくっているのだが、

そう言いたくもない。

単なる小汚いビニールである。

熱い茶碗を乗せた跡がいくつか、

輪のかたちになって残っている。

大きめの輪は、いつも魔法びんを置いている場所である。

これは、熱のせいであとがついたのではない。

重たい魔法びんを毎日毎日同じ場所に乗せているので、

その圧力でこうなってしまったのである。

なにも、跡がつくほど毎日同じ場所に魔法びんを置かなくてもよいではないかと、

置く人間も思ってみたことがあるのだが、

どうせ跡がつくものならひとつだけにとどめておきたいと考えて、

このやり方を続けることにしてしまったのである。


高橋源一郎「ニッポンの小説」一部抜粋





○○○


ダイニングキッチンに置いてあるテーブルがあったそうな。

で、この小説の登場人物の一人(父親)が、

西洋風に台所で飯を食うのはやめにして、

日本人なら日本人らしく青畳で食事をしたほうがいい、

と宣言しました。

そうしてテーブルを動かしてちゃぶ台を持ってくるのですが、

このダイニングキッチンに置かれたテーブル、

家が建てられたときから使用しているものだから、

跡が残っている。

それは魔法瓶や熱い茶碗の跡なのだけれど、

毎日同じ場所に置いていたから圧力や熱で輪のかたちになっている。

ちゃぶ台の話をしなければずっと気づかなかったものだけれど、

気づいてしまう。

この、「今まで見えていなかった輪のかたちが見えるようになる」

というのが隠喩(メタファー)になっていて、

(登場人物たちが「現在」を見るようになるメタファー)

解散の話までもっていきます。

(解散って打ったはずがカニサンになった笑)

途中、ちゃぶ台で食を囲むようになったことによって起こる変化、

魔法瓶の変わりにマーマレードの瓶が置かれるようになった、とか、

息子に注意する言葉が出てこない、とか、

そうした淡々とした夕食の、密度の濃い静けさ。

テレビをつけるやりとりなどが描かれていて、

奇妙なことを考える作者の発想がユニークです。



高橋源一郎さんの「ニッポンの小説」では、

文学的ではないと書かれていますが、

文学的ではないのかもしれないけれど、小説的。

といいますでしょうか。

ぼくの浅い文学視点では、

十分文学的だと思うのですが、

巧みな文体、小説を読んでいる間にだけある空間の作りに感心しました。

ぼくも自分が納得できる自分の小説が書けたらいいなあ。

(巧みな文体、小説を読んでいる間だけある空間作りは

「個」を表すのにとっても重要で、

ぼくがもっとも欲しているところなのです)


と考えていたらクリーンなんたらが終わってしまいました。

コピペは……、

また暇なとき、

さぼったときの穴うめに使わせてもらいます笑。

読んだ小説を読み直しながら書いていても、

そのとき読んだ瞬間の感想にはならないんですよね。

文を書くと眠くなる。

これは大敵です。