大地産笑~畑は笑顔を育てる~

新しいスタートラインに立っている今。いろいろなところに目を向けて未来につなげたい。

講演会 『今までの道、これからの時間(とき)』

2005-12-04 21:26:38 | 農ゼミって活動あったよな…
 1日目の講演会を紹介する。講師は農業者大学校30期生信太惇吉氏。テーマは『今までの道、これからの時間(とき)』で話された。予定では1年研修でお世話になった山形県の伊藤幸蔵氏だったのだが仕事の都合上無理になってしまった。

☆講師☆ 
信太惇吉 (農業者大学校30期生) 秋田県大潟村出身
ベジタブルスタイル代表
 
①大潟村の紹介
入植者540戸(2500名) 大潟村全人口の70%
耕作面積地 山手線の中全部の面積に相当する(具体的な数値は忘れてしまった)
大潟村では平年100万俵とれる(昨年は天災被害のため63万俵にとどまった)
(年間1俵米を食べるとしたら、100万俵というと秋田県総人口に相当する。また東京だた10人に1人分に相当する。)

②ベジタブルスタイルについて
 稲作イメージの強い大潟村に野菜生産地としてのイメージ定着させることをねらい設立された。農家として当然な安心・安全な農産物の生産を付加価値とするだけでなく、さらにその上をいく付加価値の形成を目指し、通信販売なども行なっている。基本理念は適産適消(適正なる生産・適正なる消費)、自分たちの「農」からライフスタイルを提案するである。
 また、平成15年に山形で行なわれた「第5回全国米食味分析鑑定コンクール」の若手農業経営部門では「あきたこまち」が特別優秀賞にノミネートされた。
 栽培作目は米(あきたこまち)・ネギ・なす・メロン・トマトで耕作面積は75haである。有機JAS法に基づいた、独自の栽培基準を定めている。年2回土壌分析を行いその結果に基づき施肥設計・データ管理をしている。親父たちは土壌分析しなくてもカンで施肥設計ができるが、自分たちはまだまだ経験不足である。5・6年も農業すれば施肥設計などわかるようになるが、確かではない。またデータ管理をするのは新規就農者に対してマニュアルを渡せるからである。新規就農者との付き合い方を大切にしていきたいと考えている。

③生い立ち
=高卒~平成7年=
 高校までは化学を学んでいた。しかし実験実験の生活に高校の時飽きて文系(心理学)にいきたいと考える。高専卒業し東京の予備校に通う。平成7年に新食糧法が定められ、米の政府買入価格が下がっていくと予想された。親父から農業ではこのままだと食っていけないと言われ、予備校に入って大学進学を目指した。大学受験は失敗。

=平成8年= 
 翌春、親父のもとで営農する。このあたりから農家の手取りが下がっていった。しかし、ある疑問が生じたという。東京で買い物する限り米の値段は変わっていない。なのに、農家の手取りだけが下がる。ここのギャップを感じたという。これからの農業はただ家を引き継ぐだけではダメだ、ちゃんとした経営を学ばないとと思い、この年の冬、農業者大学校入学を決めた。
 
=平成9年=
 大学校入学。このときは有機に興味はなかった。金がすべて。服にもたくさんのブランドがあるから、農産物にもブランドがあったっていいじゃないかという理由で自分の米を服屋で売りたいと考えていた。また百姓の会(現在の日農ゼミみたいなもの)に入って、他大との交流を図っていた。(金:有機=100:0)

=平成10年=
 半年研修。農業者大学校では2年次に半年間の農業研修がある。自分も今半年研修中である。この半年研修では最初の3ヶ月間伊藤幸吉氏の米沢郷牧場でお世話になったという。伊藤幸蔵氏の親父だ。取引先に魅力を感じていたという不純な動機だったという。ここに来るまでは有機に興味を持っていなかった。ここの年あたりではまだ有機農家は宗教染みた感、思想的に濃い感があったという。しかし、ここで働くうちに有機も少しはいいかなと思い始めた。(金:有機=70:30)
 ここでの3ヶ月のあと、和歌山県(口色川)に行った。新規で始めた有機栽培農業者ばかりのところに。ここでの研修は毎日違う農家さんのところに尋ねていった。現金収入が年間100万円以下の方が多く、昼飯も出してくれなかったり、1品だけという日もあったという。しかし、皆楽しそうに農業している、現金収入が少なくても生活が楽しそうだ、と思い有機農業に魅力を持った。ここでの経験が現在の実働につながっているようだ。(金<有機)

=平成11年=
 有機農産物の法律、JAS法が定められた。大学校の講師である山田民夫さんの授業では、毎回特別ゲストとして有機農産物と関係のある方が連れてこられる。有機農産物だけのレストランの人だとか。そのレストランの人のライフスタイルに憧れさらに有機農業に興味を持ったという。もうここでは有機農業に対する嫌悪感が0と等しくなった。この翌春3月、大学校卒業。

=平成12年~=
 地元に戻り仲間と一緒に有機生産者団体『ベジタブルスタイル』を設立。翌年JAS法を活かそうと独自の有機栽培基準を設ける。設立時3名だったメンバーは現在5名に、来年当たり10名に増加しないと生産が追いつかないという。

④有機栽培を続けていくにあたって
 有機の哲学が大切だという。労働が直接現金収入につながるのは農業だけ。農業は大地に働けかけた分、大地からもたらしてくれる。それを永続可能にするには有機農業しかない。同じく大地を相手にする鉱業も大地に働きかけるのだが、得るものは元々大地にあるもの、地球が生み出しているものだから農業とは全く別。

⑤これから農業していく人に対して
 農業するにあたって、大切なものは姿勢・考え・経験だという。みんなと同じことをしてもダメ。個性が重視される。個人の持っている農業分野の性質が大切だ。

⑥おにぎり隊について
 自分が一番興味の湧いたところ。おにぎり隊とは、その名の通りおにぎりを作る。日本で作るのではなく、世界で。この発端は祭り行事・災害援助等で行なわれている「炊き出し」を世界でやろうということから。炊き出しによって文化交流ができると考えたから。世界にはおにぎりという文化がない。日本のおにぎりという文化を広め、世界の食の文化、芸等と交流しようということから。おにぎり隊が行った国ではエリトリア・インド・ミャンマー・ウェールズ・トルコ・パキスタンなど。参加者は毎回違っていて大学生が多いという。これに参加したいと思ったなぁ。信太さんはここのサポート隊員としてお米の提供などをしているという。

おにぎり隊HP 


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