はっきり詳細は覚えてないけど、パニック映画みたいだった。
今朝の夢の話。
働いているらしき施設で爆発(核爆発?)が起きて、私と誰かが3人くらいで逃げている。
後ろを振り向いた時、真っ赤に燃える施設がみえ、途中、煙にも巻き込まれる。
高いところから飛び降りる時、何かの(動物?)助けをもらって無事地上におり、走って逃げていると裸足だったので、靴をもらって履いてまた走った。
次のシーンでは避難した先?の和風の家の中にいた。荷物を何も持ってないけど、たまたま5000円くらい持っていて、それで親に連絡がつく・・・みたいな夢だった。
怖かった。起きた時、なんともいえない気持ちだった。
しかも、今何時だろうと思って携帯を見たら「444」という並んでいた。
もう怖すぎて、ひやあ!って声が出た(笑)。
私はたぶん人一倍怖がりだから、少しでも環境が変わると夢をみがちだ。
思い当たるのは昨日の会だ。新しい人に複数出会った。
その会自体はとても楽しかった。
太極拳の「推手」というものを練習する会で、推手は太極拳の練習法の一つでもあり、型で自分の状態を知る套路練習と共に、相手の状態を知る練習でもある。
また、自分のバランスを保ちつつ相手のバランスを崩すというゲーム的な側面もあって数年取り組んでいるのだけど、その練習を行う女性のみの会に月2回参加している。
昨日新しく参加してくださった方は2名で、2名ともある種の武術経験者だった。
推手自体には慣れていないものの、「人と対戦」ということには慣れている人たちだった。だからこそ、初参加でも結構勝負!という感じにもなった。
私はこの「勝負!」という感じが苦手で力を逃すことに徹していたけれど、それだと自分が危うくなる場面も出てきた。流石に自分も少しは攻めないと、と思ったと共に、自分はなんて怖がりなんだろうと再確認してしまった。
そして攻めはしたが、初めてきた方になんとなく申し訳なくなって、しばらく目を合わせられなかった。
しばらく前から、こんなふうに恐怖心が人一倍強い私に、この「勝負」というのが合わないんじゃないかと思って悩んでいた。
たぶん、それが今朝の夢の要因だと思う。
でもこの夢の後、結論が出た。
恐怖心が人一倍強いのはもうそこにある事実なんだから否定もできない。すでに私の一部だから。
私はとっても怖がりだと認めた上で、じゃあどうやってそれを乗り越えていくかを考えたとき、必要なのは、人一倍、理論的に学んだ正確な技術だということ。力を使わないで攻撃と防御が一体となった正確な技。それは最大の武器になる。
やっぱり今まで通り地道に練習に参加して実践を積み、しかも以前よりもっと意識して理論的に学んでいかないといけないと思った。感覚に頼りがちだったけど、感覚だけに頼りっきりもいけない。再現性がない。
そういえば、ずっと私はそうだったじゃないか!と気がついた。
大学卒業するとき、自分が社会に出てどうやって生きていくか考えた時もそうだった。
コミュニケーションスキルもなく、賢いわけでも容姿が優れているわけでもない。
どうやって生きていくか考えて、大好きな美術をなんとか自分の「武器」にしようと決めたのだった。
あとずっと仕事を続けていける資格を取ろうと思ったから、美術教師の免許をとった。
これだけを特化して磨けば、なんとか生きていけるのではと思った。
なまくらな武器だけど、なんとか美術で20年食べていけてる。
怖がる自分を否定してはいけない。でも怖いからと逃げてもいけない。
理論と練習によって克服するものなんだ。
太極拳とは本能を克服する技だと聞いたことがある。
本来は「力に頼らない」という意味なんだろうけど、私にとっては、恐怖心を技術によって克服する、という意味にも捉えられた。
なんだか勇気が湧いてくる気づきでもあった。
新しい出会いは、何かしら気づきをもたらす。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます