帰りにコーヒーショップに寄って、テイクアウトが日課。
火曜の夜はお店の中もガラガラ。
ちょうど飲みきるくらいの距離の駅で夕飯の買い物をする。
豆乳ラテのときがほとんどだけど、昨日は面談終了でお疲れピークだったので、
甘いものが欲しくてチョコラテ。これが甘くて美味しいんだ!
今日もチョコラテにしてみたんだけど、ミルクから豆乳に変更してのチョコラテ。
昨日より軽めでこれまた美味しかった。
家に帰り着くまでの間に、公的な自分から普通の自分に切り替える儀式のよう。
温かい飲み物でリラックスする。友達からのメールにもやっと返信。
忘年会かあ・・もうそんな季節。
年末は調査書という宿題を背負うから、あんまり遊べない。かなしい。
それにしてもぎょっとしたこと。
美術の制作中に、3年生が話していたこと。
学力のある子たちの話題は大人みたいで、タイムリーに選挙の話題だった。
5人で制作しながら話していたけど、
学年でも成績がトップクラスの一人が言ったことに、あとの4人が絶句してた。
私も驚いた。
「僕はさあ、戦争してもいいと思うんだよね。特需が起こって、国が潤うし。
あと、原子力だって必要だと思うんだよね。それに代わるエネルギーって、
まだないんだし。国力が衰えているときに、
一番パワーのあるエネルギー源削減してどうすんの。」
・・・まじかー。
なまじ知識をかじって、ひけらかすタイプの生徒なら、
人と違う意見を言いたがるので、さもありなん、だけど、
この意見を言っていた生徒は本当に真面目で博識で、
学年でもリーダー格として先生からも生徒からも大変信頼されている生徒。
たぶん、大人になったら世の中を引っ張って行く部類の人になるのだ、
その人が・・・・戦争賛成・・・・・。
「僕に選挙権があるなら、民主党に入れるかな。」とのことだった・・・。
私は「公人」だから、特に選挙に対しての意見を生徒達の前で言うことは本来はできない。
しかし、思わず、
「戦争の前提は、『人が人を殺すこと』なんじゃないの?それがいいことなの?」
とこの生徒に向かって聞いてしまった。
だってそうじゃん???
あと「原子力って、便利でも恐ろしい側面があることは今回の事故で分かったのに、
しかも地震もこの前みたいに突然やってくるのに、
いいの?このままあんな危ないもの使ってても、って思わない?」
とも聞いた。
生徒は「うーん、それはそうなんだけど、でも国があってこそじゃないですかー。」という。
彼は真面目に言っている。
うーん。相容れない。
国よりも何よりも命、生きてこそなんじゃないの?
衝撃的だった。
経済が大切という思想は、大人を通じて子どもにまで浸透しているのだな。
これは、結構厄介なことだと思った。
この子の保護者は、そういえば高学歴の方だった。
たぶん、彼の考えは親からの影響だろうな・・・。
戦争も基本的人権の削除も原子力も、
人の命を危機にさらす可能性のある恐ろしいもの。
でも彼にとっては、経済を活性化させる『道具』にみえるらしい。
そう考えてる人ってたくさんいるんだろうな。
Twitterでは自分の気に入った人をフォローしているものだから、
タイムラインに流れてくる情報ほとんどが『反原発』系のものだ。
私は命を大切にしたいし、そういう考えが世の中に満ちていて欲しい。
けど、現実は違うらしい。
自民党有利のニュースは嘘だというけど、あながち本当かもしれない。
公人の自分にできることは、自分はとにかく選挙に行って自分の考えを表明しておくことと、
何が大切なのかを子どもたちにしっかり考えさせる取り組みをどこかに組み込んでいくことだと思う。
美術で、クラスで何ができるか。
歴史を学んだとき、それは緩やかだけど人が自由へ向かう軌跡だと感じた。
それが後退してないか?今は。
自由は自分も大切にするけど、相手も大切にすること、それでやっと成り立つんだよね。
学活でそういう話もすることがある。
幼稚園や保育園、小学校、中学校で学習することが人生の基盤になるなら、
私たちが自由へと向かう軌跡を後に繋いでいかなくちゃ、とか、
何となく大きな責任を感じたりした。
火曜の夜はお店の中もガラガラ。
ちょうど飲みきるくらいの距離の駅で夕飯の買い物をする。
豆乳ラテのときがほとんどだけど、昨日は面談終了でお疲れピークだったので、
甘いものが欲しくてチョコラテ。これが甘くて美味しいんだ!
今日もチョコラテにしてみたんだけど、ミルクから豆乳に変更してのチョコラテ。
昨日より軽めでこれまた美味しかった。
家に帰り着くまでの間に、公的な自分から普通の自分に切り替える儀式のよう。
温かい飲み物でリラックスする。友達からのメールにもやっと返信。
忘年会かあ・・もうそんな季節。
年末は調査書という宿題を背負うから、あんまり遊べない。かなしい。
それにしてもぎょっとしたこと。
美術の制作中に、3年生が話していたこと。
学力のある子たちの話題は大人みたいで、タイムリーに選挙の話題だった。
5人で制作しながら話していたけど、
学年でも成績がトップクラスの一人が言ったことに、あとの4人が絶句してた。
私も驚いた。
「僕はさあ、戦争してもいいと思うんだよね。特需が起こって、国が潤うし。
あと、原子力だって必要だと思うんだよね。それに代わるエネルギーって、
まだないんだし。国力が衰えているときに、
一番パワーのあるエネルギー源削減してどうすんの。」
・・・まじかー。
なまじ知識をかじって、ひけらかすタイプの生徒なら、
人と違う意見を言いたがるので、さもありなん、だけど、
この意見を言っていた生徒は本当に真面目で博識で、
学年でもリーダー格として先生からも生徒からも大変信頼されている生徒。
たぶん、大人になったら世の中を引っ張って行く部類の人になるのだ、
その人が・・・・戦争賛成・・・・・。
「僕に選挙権があるなら、民主党に入れるかな。」とのことだった・・・。
私は「公人」だから、特に選挙に対しての意見を生徒達の前で言うことは本来はできない。
しかし、思わず、
「戦争の前提は、『人が人を殺すこと』なんじゃないの?それがいいことなの?」
とこの生徒に向かって聞いてしまった。
だってそうじゃん???
あと「原子力って、便利でも恐ろしい側面があることは今回の事故で分かったのに、
しかも地震もこの前みたいに突然やってくるのに、
いいの?このままあんな危ないもの使ってても、って思わない?」
とも聞いた。
生徒は「うーん、それはそうなんだけど、でも国があってこそじゃないですかー。」という。
彼は真面目に言っている。
うーん。相容れない。
国よりも何よりも命、生きてこそなんじゃないの?
衝撃的だった。
経済が大切という思想は、大人を通じて子どもにまで浸透しているのだな。
これは、結構厄介なことだと思った。
この子の保護者は、そういえば高学歴の方だった。
たぶん、彼の考えは親からの影響だろうな・・・。
戦争も基本的人権の削除も原子力も、
人の命を危機にさらす可能性のある恐ろしいもの。
でも彼にとっては、経済を活性化させる『道具』にみえるらしい。
そう考えてる人ってたくさんいるんだろうな。
Twitterでは自分の気に入った人をフォローしているものだから、
タイムラインに流れてくる情報ほとんどが『反原発』系のものだ。
私は命を大切にしたいし、そういう考えが世の中に満ちていて欲しい。
けど、現実は違うらしい。
自民党有利のニュースは嘘だというけど、あながち本当かもしれない。
公人の自分にできることは、自分はとにかく選挙に行って自分の考えを表明しておくことと、
何が大切なのかを子どもたちにしっかり考えさせる取り組みをどこかに組み込んでいくことだと思う。
美術で、クラスで何ができるか。
歴史を学んだとき、それは緩やかだけど人が自由へ向かう軌跡だと感じた。
それが後退してないか?今は。
自由は自分も大切にするけど、相手も大切にすること、それでやっと成り立つんだよね。
学活でそういう話もすることがある。
幼稚園や保育園、小学校、中学校で学習することが人生の基盤になるなら、
私たちが自由へと向かう軌跡を後に繋いでいかなくちゃ、とか、
何となく大きな責任を感じたりした。