murmure de tous les jours

日々浮かぶよしなしごとを書き綴る...公開ひとりごと。

見間違いかと思った

2009-06-27 22:56:31 | 日々のこと(それ以外)
今日はワードの団体参入。夫は前から参加を予定していた。
私は術後2日とあって、当然欠席と思っていた。自分でも。

しかし夫は「一緒に行こう。ゆっくりでいいから」と譲らない。あのー私、全身麻酔で手術したんですけど…。

手術の翌日退院したが、やはり普通は歩いたりせずに車で移動するものらしい。ていうか、ふつう同じ手術をした人は翌日に退院したりしない。1週間くらい入院する人がほとんど。15分程度とはいえ病院から駅まで歩いて帰った私は熱が上がり、下痢が止まらない。こりゃ、明日の神殿参入はやめといた方が無難だな、と思った。

夫に前日夜、その旨を告げると「えー、行くべきだよ!死んでも行こう!だって君のお父さんの儀式の日じゃないか」とあくまで行くことを勧める夫。私もふつうの体なら多少無理して行くわよ。でもさあ…ついには「君が行かないなら僕も行かない」と言い出す始末。

で。行ってきましたよ、神殿に!なんとなく、神殿に行けば痛みはなくなるだろうという気がしていた。果たしてその通りになった!ほんとにあの中ではなんともなくなり、洗いの奉仕もできた。夫が身代わりとなったうちのおやじのセッションにも入れたし。

ずっとおやじのことを考えていた。おやじのあらゆる悪行…じゃなくて、あらゆる思い出がたっくさんよみがえって。おやじのせいで散々苦労した、なんでこんな家庭に生まれたのだろうと何度も何度も思ったものだが。

私は今だけじゃなく、ずっと幸せだったのだと気がついた。実感した。心から。おやじは心の弱い人だったけれど、私もその弱さを受け継いでいるけれど、私の父親はあの人しかいない。どこをどうひっくり返しても、血のつながりはどうであれ、私が「お父さん」と呼び(今じゃおやじ呼ばわりだけど)、記憶の中にがっちり居座っている人物はあの人ひとり。そして、また会いたいと願う父親も、彼だけだ。

おやじ、待たせたけれど、儀式の日に一緒にいられてほんとによかった。と思った。夫にも感謝。「死んでも行くべき」という信仰を示してくれたので。