<桜 @青山霊園 09.3.21>
写真は3月21日青山霊園へ散歩した際の桜のほころび模様。
桜はまだまだで、木蓮の華やぎに目を奪われました。
さて、野菜ソムリエ協会さんが今年の初めに取材に来て下さいました。
その際の記事(後半部分)がネット上にUPされたようです。
パリ・コルドンブルー時代の顔がパンパンな秘蔵写真なども
載っているのでちょっとお恥ずかしいですが笑いの種にでもご覧下さいね。
野菜人・果物人というコーナーです →
http://www.vege-fru.com/column/yasaijin/064_2_090318/
この記事に載っている写真の頃、わたしは毎日夢中で朝から晩まで
パリ15区にあるコルドンブルー料理・菓子学校で学んでいました。
暮らしていたのは学校から徒歩3分ほどのThiboumery通りの古いアパルトマン。
アルノー君という南仏出身のフランス人との共同生活。
(注:アルノは恋人ではなく、兄弟的親友でルームメイト)
当時の彼は大学生。お互い学生でほんとにいま思えば若かった~♪
今年の2月、アルノに初めての子供(長男マテオ)が誕生し、
お祝いメールを送ったら、昨日返信メールが。
「パリで共にシェアしていた頃から今までの歳月、たくさんの谷や峠があった」と書かれていた。。。
アルノがいっぱい泣いて苦しんだ失恋や将来の生き方の悩みなど、
わたしも少しは彼の「谷や峠」を知っています。
彼の人生経路はざっと以下の通り。
パリ大学学生→京都に国費留学→パリ大学助教授→南仏エクサンプロヴァンス大学勤務
そして私は。
パリ料理学校学生→帰国後通訳やアシスタント→ビストロ経営(仏・伊・スイス修行)
→パリ15区料理教室 昭島校開校→同青山校開校
それぞれの後ろに道ができてきたなぁ。
パリで一緒にシェア生活していた頃には想像もしなかった道。
彼は日本の、わたしはフランスの文化に深い関心を持ち、
お互いかなりでこぼこの道を歩んできました。
でもアルノもわたしも思うように生きて、いま自力で拓いてきた道の上に
立っている。
アルノはパパになったからこれからは今までみたいに「好きなように」は
生きられなくなるかもね。
けど、それはそれで愛するパートナーと息子のためになら きっと違う
種類の幸せを味わえるでしょうから 羨ましくもあります(^^)
わたしはまだしばらく「好きなように」生きてみます。
あー、南仏に行きたい。
あ、そうだもしこの夏 アルノと産まれたての息子マテオに
会いに行けたら、ついでに地中海で泳いでこよう!