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アジアの裏側

「ミスコン・ママさん」

2006-12-16 09:52:43 | アジア
タイは美人コンテストの好きな国です。ミス水掛祭り・ミス牛祭り・ミス灯篭流し、といった祭りから冠と取ったりミスチェンマイ、ミス何々大学とあげるときりがない。その頂点にあるのが「ミスタイランド」。
シーウィエン・タンチャイさん67歳、私が取材したタイ女性の中でもっとも好感のもてる人だ。
彼女は40年以上も美人コンテストに関わり普通の女の子をスターに仕上げてきた一人、何度か大きい大会で優勝した経験もある。
「貴女は何故この仕事を始めたんですか?結局ミスコンを商売にしているんでしょう?」「貧しい子供達に夢を与えたいから、商売と言われるのは心外です。このような子供達に教育を受けさせる手伝いをしているだけ、女の子は教育を受け聡明でなければならない、このことは美しいということより大事なことです。」。
シーウィエンさんの家はバンコクの住宅街の2階建てタウンハウス。
ここの2階に地方からスカウトしてきた15才から17才までの女の子12人が住んで学校に通っている。
化粧をしコンテスト用に髪をセットして学校の宿題をしている子、田舎の親に手紙を書いている子、英語の勉強をしている子、シーウィエンさんは「学校の規則でパーマがかけられない子にはヘアーピースをつけさせてコンテストに出場させる。学校もなるべく休ませないようにしている。」という。
彼女達に話を聞いてみた「学業とこの仕事両立できる?」「学校に行きたいけど家にはお金がないから。コンテストが続くと眠いし疲れます。でも、シーウィエンお母さんには感謝しています。」又ある子は「私の田舎では中学を卒業すると女の子は町の売春宿で働く子が多いが私は学校に行かせてもらいきれいな服を着て舞台に上がり皆の視線を集められる、楽しいです。」。
シーウィエンさんは多くの子をかき集めて出場させることで参加料を主催者側からもらえる。これが女の子の安定収入にもなり、シーウィエンさんの収入にもなる。出場の取り分はシーウィエンさんと女の子が半分ずつ。入賞すれば賞金の六割は女の子、四割はシーウィエさんに。悪い言葉で言えば「ミスコン荒らし」北にミスコンがあると聞けば北に行く、南にあるといえば南に行く。朝4時、この日は8人の女の子とメイク担当のオカマさん二人を連れてワンボックスカーに乗り込みラオス国境の県ブッタハンまで10時間かけミス・メコン川コンテスト会場に乗り込む。
この日は2人が入賞したが優勝は地元の子、「地元有力者が手を回したようだ」とシーウィエンさんの表情は厳しい。
彼女がもっとも期待する子トゥイ16才。両親はカンボジア国境のスリン県で手伝い仕事ををしている貧しい家庭の子。
でも、それを隠そうともせず大学に行き福祉関係の仕事をしたいと胸を張って話す子だった。
予選で6人が残り決勝が終わったのは夜11時、期待の星トゥイは準ミス。今回のツアーでは準ミス賞金5万バーツ、全員の出場料の1万6千バーツが収入として入った。
トゥイは私に「優勝できなかったが嬉しい。悔しくはないがシーウィエンお母さんには申し訳ない気持ちでいっぱいです。でも、田舎の親に負担をかけずこのお金で高校に行くことができます。そして、半分は親に送ります」。
タイは貧しい家庭が多すぎる、向学心に燃えた子供達が十分に教育を受けられないケースが多い。

国中をあげてお祭り騒ぎをする「ミス・タイランド」このときは国論を二分する。
優勝アナウスが告げられた瞬間、「今回のミスタイランドは英語も話せない・家が貧しい・大卒ではない・胸が貧弱・このような女性をタイ代表で世界に送り出すのは国の恥だ」この手の攻撃が始まる。「英語の話せる人を送り込みたい」タイ人特有の見栄っ張り根性、日本人旅行者が優しいタイ人とほめる微笑の国の人がである。
あるローカル紙に至っては「準ミスをタイ代表として派遣するよう大会事務所に手紙を書こう」と読者をあおる始末。このときのミスタイランド代表はアノンさんに決まった。
彼女の家は貧しく父親は定職はない。アノンは小学校のとき放課後市場でごみをいっぱいつめたリヤカーを押してアルバイトをし家計を助けた。
彼女は優勝インタビューの中で「そういう圧力には屈しない、新聞が書いていることに私は影響を受けることはない。自分の意見で他人を傷つける事は無意味だし、何事も全ての人を満足させることは出来ない」。同感ですね。
彼女は優勝金200万バーツをもらったが家も新築しなかった。「古い貸家でも自分が育った思い出の家であり、両親の温もりがあるから。」どこまでも地味で好感が持てる女性だ。

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