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アジアの裏側

「買春側の言い訳」

2006-12-17 11:05:21 | 児童買春、児童労働
私は某週刊誌の依頼でプノンペンの日本人少女買春実態取材に来た。
次の日少女売春婦が多くいるサムダッチ・ソテールゥ通りとトゥールコック通りに行くと昼間なのに日本人のおじさん、若い人が店の椅子に座ってビールを飲んでいたり中には客引きしている若い日本人がいたのには驚いた。
そして情報収集のためバックパッカーに有名なキャピタルホテルのコーヒーショップに行き安部進(仮名)52才と知り会い取材の趣旨を説明し協力を求めた。
彼は「私と今一緒に住んでいる人、アパートの外観の写真は絶対に撮らないこと」で話が決まった。
彼は栃木県(この部分茨城県から栃木県に訂正しました)小山市でかなり手広く農機具販売店を経営し年数回カンボジアのプノンペンに来る少女買春常習者。
次の日、私は取材場所である阿部氏のアパートに日越通訳を連れて行きインタビューを始めた。
ここに取材時のメモがあるので一問一答を書きます。
「あなたはいつから何故買春をするようになったのか?」「40代の時、農機具メーカーの招待旅行でタイに行った。そのとき10代後半の女性を買った、タイ人女性はきれいでスタイルも抜群、そして、日本で買うより安かったのでその後二ヶ月に一度ぐらいタイで買春していた」「少女買春したきっかけは?」「3年前の12月、成田空港の本屋でカンボジア女性との遊び方を書いた本に『プノンペンはタイよりも買春の値段安い、殆どが少女』と書いてあった。来た当初はスワイパーに毎日通いました1回5ドルだから」「その子は何才?横にいる人は誰?母親?」「おとといトゥールコック通りにある行きつけ店でオーナーから『新しい経験のない15歳の子が入ったから連れて行かないか、一週間泊り込みで1000ドル。ただし母親も一緒に連れて行くことが条件』といわれここに連れて来た。」母親が一緒に来たのは客が足抜けさせるのを防止するためだ。
「15才って犯罪じゃないの?」「犯罪?ベトナムの田舎じゃ13才ぐらいで結婚すると聞いているよ。俺は彼女を助けてんだよ、ベトナムで1000ドル稼ぐのに何年かかるかあんた知っているのか?母親も一緒にいるから問題ないんだよ」と突っかかってくる。「カンボジアは例え親の了解を取っても未成年買春は重罪ですよ、警察に捕まったらどうするの?」彼はふてくされた様子で「店が警察のトップに賄賂払っているから心配ないとオーナーが言っているよ、他の日本人も買っているんだ、お前にお説教されるいわれはないよ」これ以上のインタビューは無理だと思い私はソンの母親に通訳を通して話を聞いた「なぜ娘を売ることになったんですか?」母親は小声で「だれも自分のお腹を痛めて産んだ子を売ろうとする親はいない。でも祖父が病気になって高利貸しから借金をしてしまった。娘には申し訳ないと思うが1年間我慢してもらうしかない。私も10代のときベトナム戦争当時米兵相手に売春をしていた、家族を養っていくために。でも娘の始めての客が日本人で好かった沢山チップくれるし」。
ベトナム人少女ソン15歳は5日前母親と一緒にベトナム・ホーチミンからバイクでカンボジア・プノンペンにあるトゥールコック通りの売春街に来た。
家は中部ベトナム・プレイクの村で畑仕事を手伝って生活している。家族は祖父母、両親、兄弟5人の末っ子。
はじめソンの母親はホーチミンの売春ブローカーに会った。「プノンペンに行けばいい稼ぎになるよ、娘はまだ若いし500ドルを今払います。客からのチップが毎月200ドル以上入り奉公は1年間」もちろん母親は仕事の内容が売春と知っている。
でも、ソンの家は約1700ドルの借金をしているので500ドルでは足りない。
それで母親は直接プノンペンの売春宿に行って娘を売ることにした。
そして、通りでは中堅クラスの店のオーナー(中国人)に母親は800ドルで娘を売った。ソンが15才になって一週間後のことである。
取材が終わりバンコクに帰って2週間後、日越通訳から電話があった「安部が未成年者買春で逮捕された」。
次の日私はプノンペンに行き警察署で彼に面会した。
阿部は私に「助けてください、反省しています。お金は払いますからここから出れるよう警察と取引してくれませんか。」と悲願した。
「若い日本人と少女の取り合いになり阿部の事を警察に通報した」と取調官は話してくれた。
*スワイパー
おもにベトナム人女性が売春に従事し、少女売春が公然と行われていることで知られています。一部の外国人旅行者にとって楽園的存在だったようで、日本人同士のいざこざが絶えなく現在は閉鎖されています。

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