アジアニュース

アジアの裏側

「日本人女性の人身売買」

2006-12-18 09:13:49 | ドキュメント
ソムヨット26才彼が同年代の他のタイ人男性と少し違うところは彼は働かない。一家の稼ぎ手は彼の妻で、彼は髪結いの亭主だ。ソムヨットは金持ちの家に生まれたわけではないが、P村で周囲を圧倒する外国風の家に住み、新車を乗り回す贅沢な暮らしをしている。
デン69才はソムヨットと同じP村に住む百姓だ。彼はソムヨットより大きな家に住んでいる。
建築費だけでも二百万バーツ(約六百万円)十年前はおろか今でも想像できない金額だ。
この村で二人だけが一夜にして富を得たわけではない。この同じ村で同じ二十世帯以上の豪邸がある。
文字通りのボロ屋からテレビ、ビデオ、ステレオ、冷蔵庫、洗濯機付きの豪邸に引っ越した。
ボロ屋を敷地に残したまま不釣合いな豪邸が建っている。
全てが整っているにもかかわらず村には何かが欠けていた。女性がいない。若い女性がいないのだ。
ここの郵便配達も「この村は女日照りだ。ここで嫁さんを探すのは至難の業だ」と苦笑いした。
なぜ、若い女性がいないのか。バンコク、日本、台湾、香港に出稼ぎに行ってしまっているからだ。
この村には毎月二百万バーツが海外送金されてくる。特に4月、タイ正月の時には一千万バーツ以上にもなる。

大場良枝(仮名)27才関西出身、京都の某大学卒業後家電メーカーに勤めるが上司との不倫が原因で1年で退職し、在学中スタデーツアーで来た事のあるチェンライでNGOの手伝いをしようと思い一人で来た。
チェンライに来て半年後、タイ人の男Sと知り合い同棲、彼がタイ人女性を日本に送り出しているブローカーと知るには時間がかからなかった。
彼女はタイ人女性が騙され日本で売春させられていることを知っていたがSから「同じ体を売るのなら少しでも儲うけて家族に送金させた方が良い」と説得され犯罪とは知りながら協力することを承知した。
取材メモからの一問一答です。
私は「何故この仕事に手を染めるようなったか、いつから?」良枝さんは「Sから説得されたから。この仕事を始めてから約4年です」現在Sは薬物所持の現行犯で逮捕されチエンライ刑務所に収監されている。「あなたの事を『人身売買ブローカー』と言う人もいますが、誰がタイ側のボスですか?」「自分では人身売買とは思いません、何故なら彼女達は売春目的のために日本に行くことを知っているからです。ボスはいません。今は地元の警察官と共同で送り出しています」チェンライ県メーサイ郡は色白の美人が多い事で知られ地元警察の中には斡旋業を本職にしている警察官もいるという。「未成年の女性を送ったことがありますか?それと女性を集める方法は?」「何度か未成年の少数民族少女をタイから出国させた事があります。もちろん彼女達は国籍がないのでパスポートは取れません。だからチェンマイに行きタイ国籍を3万バーツで買い年齢を18才以上にしてタイの旅券を申請します。タイ国籍を持ち18歳以上であれば旅券取得には問題はありません。女性を集める方法で一番早いのはお金です。女性の親・旦那さんにお金を見せて日本で働けば毎月三万バーツ送金できる、と言いそれでも渋る人にはP村に連れて行き豪邸を見せれば殆どの人が承知します。」「日本入国にはビザが必要だが取得する方法は?」「三つの方法があります。1.タイ→シンガポール→日本→アメリカまでの航空券を買い日本に着いたらトランジットで空港近くのホテルにチェックインし日本側の人が迎えに来てその人の住んでいるところに行きます。2.本人の銀行残高証明・日本出国航空券・日本の会社から招弊状・保証人、これは正規で取るビザです。3.タイ人男性と偽装結婚し旅行代理店を通して新婚旅行で日本に行く方法。最近は違う方法を使いますが言えません」タイから日本に行くタイ人女性は一年で五万人という記録がある。出国記録が残っているのは約三万人でその差が日本国内にとどまっていることになる。
「何割が日本入国に成功するのか?入国出来なかった場合は?」「最近は6割ほどが上陸できます。入国審査で上陸不可と判断された場合国外追放になり、多くの場合日本出国の航空券を持っているので次の国に行くことになります」日本の場合ビザは外務省、日本入国は法務省管轄なので例えビザが下りても日本入国が絶対に可能ということではない。「貧しい彼女達が日本に行くためには幾ら位の借金を背負うのか。また貴女は一人送り込むといくら儲かるのか?」「日本行き希望の女性たちは、前借・旅券代・ビザ代・往復航空券・出国前バンコクでの生活費・ブローカーの手数料など約四百万円。その中から私に入るのは一人につき五十万円弱です。入国できない女性はバンコクの日本人クラブでホステスとして働き使った経費だけ返してもらいます」バンコクには約三百軒の日本人カラオケクラブがあり売春も行われている。
「運良く日本に入国できて借金を全額返すのに何年ぐらいかかるのか?借金を返すまでタイに送金はできないのか?」「約一年半、客に囲われた子は借金を肩代わりしてもらうので早く自由になります。彼女達に売春代は入りませんがチップが収入となりそれを地下銀行を使って田舎に送金します」地下銀行とは日本にいるタイ人が良枝さんに電話し彼女がジャパゆきさんに代わり家に送金するので日本とタイの間ではお金は動かない。
「今までに何人日本にタイ人女性を送り込んだか」「月平均三人、四年で約百五十人」
「今後もこの仕事を続けるのか?同じ女性として心が痛まないのか?」「日本に行きたい女性がいるかぎり続けます。殆どの女性は日本での仕事が売春だということを知っています。タイ国内で売春の値段は一回千五百円から外国人を相手にしても一万円です。私は彼女達が売春することを止めることはできません。それなら日本で一回三万円以上稼いだ方がいいのではないですか」
最近ヤクザではなく会社からリストラされたり定年退職後の日本人がタイ人女性と組み日本に女性を送り出しているケースが増えてきているという。
貧困が性的搾取につながっていることは、ある程度真実である。しかしながら、貧困が売春の根本原因であっても、それを正当化する口実にはならない。人々を人身売買に押し込んでいるのは貧困だけではない。通常はもう一つ別の原因がある。例えば大場良枝のような海外送り出し業者とか売春斡旋人などだ。言い換えれば、貧困プラス何かなのである。

「日本人教師と15才少女の結婚」

2006-12-14 11:02:47 | ドキュメント
団塊世代が大量に定年退職する2007年をまじかに控え、老後の生活が大きな関心事となっている。こんな時期、タイ・ミャンマー国境地帯の小都市チェンライで楽しい老後を過ごしている日本人がいる。
タイ北部の都市チェンマイからさらに北、ミャンマー国境の山岳地帯にあるチェンライは気候も温暖で、果物などがおいしい穏やかな地。
この、チェンライの郊外にある山岳少数民族のに日本人の男性が住み着いている。
いかにものんびりとした暮らしぶりだが、聞いてみると現地の若い女性と結婚し、第2の青春を存分に楽しんでいるというから、何ともうらやましい限り。
ここに住んでいる東京都出身の吉田孝雄さん54歳(仮名)に話を聞いてみると、彼は東京都にある中学の元数学教師。奥さんは同年代の同僚教師、25歳と23歳の息子2人の4人家族であった。妻とはセックスレスの生活が続き、何となく男としてはつまらない生活を送っていたところ、同僚5人とタイ旅行でチェンライに来た。
旅行も終わりに近づいた夜、チェンライ・ナイトバザールに行き家族のお土産を買っていたところ30代の男が近づいてきて「少数民族の少女を欲しくないか、安いよ」と話しかけられた。
その夜は食事の時、地酒(メコーン)を飲んでほろ酔い気分だったので同僚5人と一緒に男の車に乗り30分ぐらい走ったところにある大きな一軒家に行った。
一階の大きな部屋に通され3分ほど待っていると13才から18才ぐらいの少女8人が恥ずかしそうにうつむき横一列に並んだ。
男は「さぁ好きな子を選んでくれ、朝まで部屋代込みで4千バーツ、子供だから高いよ」。
始めは同僚も迷っていたが一人が決めると皆それに続き私は色白の15才ぐらいの子を選び部屋に行った。
次の朝、置屋を出るとき男から「チェンライにきた時電話をくれ」と携帯の番号を書いた紙を渡され夕方の便で東京に帰った。
東京に帰った後も少女の事が頭から離れない、学校に行っても女子生徒の体を盗み見るようになった。
半年後、再度タイに行くことを決心。妻に離婚を申し入れ親の遺産と彼の貯金2800万円を渡し自分は学校を辞めた退職金1300万円を持ってチェンライへ。
翌日、置屋の男とホテルで会った。男から「国境近くの村の娘達が日本人と結婚したがっている」と言われ4時間かけてミャンマー国境の村に行き男に3人の少女を紹介され。その中のナー15才を選び両親と交渉した。
結納、結婚式費用として65万バーツで話がまとまり男には手数料として5万バーツ渡した。
式は村の長老を前に両親、私とナー置屋の男がすわり、長老が生きた黒豚の腹にナイフを突き刺し肝臓を取り出し色形を見て「新郎は75才、新婦は65才まで長生きし子供は5人出来る」と言った。
村の人口は約300人、主に生姜・トウモロコシ・野菜・陸稲を作ってチエンライの市場に持って行き生計を経ている。村に住んで1年経つ。豚と鶏を飼いながらのんびりと暮らす毎日だが、月に一度は彼女が開いている駄菓子屋の仕入れに町へ行き日本レストランで食事をしながら新聞、雑誌を時間をかけて読む。
彼は「妻のことは忘れた、でも、ここに来ると本当に日本が恋しくなる」という。
私は彼が席を外した時ナーに「彼とは年齢が違いすぎるけど本当に後悔していないのか?」と聞いてみた。
彼女は「隣村に住んでいる同じ歳の男に好意を寄せていたが親にお金が必要だから、と説得された。今の気持ちは半分は彼のことが好き、でも半分はお金のため」。ナーの言った事は本心だろう、ここでも子供は親の所有物、子供の人権?いつになったら議論できるんだろう、この話題をこの村で。
この話は本人にインタビューし某週刊誌に記事を記載しました。

「カード破産そしてタイで売春」

2006-12-13 12:05:28 | ドキュメント
タイ・バンコクの日本人専用歓楽街「タニヤ」で日本人ホステスがいるとの噂。しかも、彼女らは条件によっては売春にも応じるというから、タイ人ホステスに飽きた日本人駐在員に大もてなのだとの噂。しかし、ビザの関係で日本人が働くのはあくまで秘密。彼女らの存在を確かめるべく、タニヤに潜入取材。あらゆるつてを辿ってめぐり合えたのは大阪出身の浅田由香さん(仮名・25歳)。
現在はタニヤから離れて、別の所で仕事をしているが、なぜタイに来て、この仕事を始めたのか、彼女は実に明るくインタビューに応じてくれた。彼女は大阪の中堅商社の経理課員。同僚に誘われてホストクラブに行ったのが病み付きとなった。店の若いホストに入れあげて、彼の歓心を買うために1本10万円もするドンペリを毎晩あけるような状態となってしまった。
最初はカードで支払っていたが、一OLの給料では到底追いつかず、サラ金で借金。つにはそれも追いつかなくなってしまった。業者から風俗を紹介されたが、稼いだ現金を持ってホスト通い。ついにどうしようもなくなった。業者からバンコク行きを勧められ、否応なくタイに渡ってきた。
日本人ホステスは珍しがられ、一晩1万バーツ(3万円・タイ人の3倍)で日本人駐在員に売春。随分ともてたが、そのことが噂となり、無許可で働いている事を警察に密告されて、2ヶ月ほどで店に出られなくなった。が、借金はまだ残っており、店の支持でタイ人の金持ちが通う高級クラブで売春をするようになった。ここではタイ人だけではなく、アフリカ人、アラブ人、インド人などあらゆる国籍の男達と一晩1万5千バーツでホテルに行く。どうしても肌に合わない人種がいるが、断ることはできず、ほとほと嫌気がさしているが、借金を返すためにはあと1年以上ここにいなければならないという。
このような状態の女性の存在はもう一人確認できているが(神戸市出身の24歳)、カード挟んで東南アジアに流れ着いた彼女達の日常生活を24時間密着取材したが、日本人女性のたくましくも悲しい現実が見えてきた。

「あるボランティアと不法滞在」

2006-12-11 09:03:25 | ドキュメント
長野県に住む医療技術者のYさん(47)は数年前に東南アジア医療研修ツアーで初めてタイを訪れた。
その時の東北部の農村地帯での体験がきっかけでタイに興味を持つようになり独学でタイ語も習得した。
地方都市である長野県に外国人の姿が目立つようになったのは10年以上前のこと、フィリピン人に次いで目に付くのはタイ人である。
同県には現在3~4千人ものタイ人が住み着いているという。
Yさんは今、多数の在日タイ人を個人的にボランティアとして面倒を見ている。
その中には観光で来日し約1年間の不法就労の間に極度の心労で精神分裂症になってしまい自力では歩くこともできない重症患者もいる。
しかし、彼らもタイを出発する前は『日本は夢の国』と信じて疑わなかった。
在タイ日本領事館I領事によると毎日約500人が調査申請に訪れるという。
リンダさん(22)は、工場の仕事を斡旋するとの約束を信じて来日したが、強制的にスナックで働かされていた。
Yさんに「タイに帰りたいけどボスやヤクザが怖い」と訴えて涙を流していた。
その後、Yさんにリンダさんが警察に捕まったとの知らせが入った、前のボスが彼女を別の店に売り、その店に警察の手入れがあったのだ。
手続きを経てタイへ強制送還されることになった彼女達は自由の身になったことと、帰国できる喜びで一様に笑顔を浮かべYさんとタイでの再会を約束して連れられて行った。
しかし、彼女達の例は少数派だろう、殆どは仕事内容を承知の上で来日し不法滞在・就労している。
20代のK氏は不法滞在のタイ人女性、Pさんと将来を誓い合い生まれて間もない子供がいる。
子供の国籍の問題から正式に入籍しようとしたKさん前にはいろいろな障壁があった。
外国人との入籍は調査の如何に関わらず可能であるが、それには相手の婚姻要件具備証明書といって重婚等を防ぐため、入籍相手から法律的に婚姻が可能かどうかを本国に証明してもらうための書類が必要である。
これは在日タイ大使館でも発行してもらえるが、それには正式な調査所持者という条件がある。
そのためPさんは入籍に必要なこの証明書を日本国内で申請することができない、タイの彼女の出身県でしか取得できないのだ。
日本に住む外国人配偶者には通常、配偶者査証が発行される。
この査証は他の査証と違い期限内の就業にも制限がなく、日本国内で期限の延長もできる上、長期に渡れば日本国籍を取得することも可能である。
しかし、入籍ができないK氏とPさんの場合は夫婦として認められないため、たとえ子供がいようとも配偶者査証の申請は受け付けてもらえない。
二人はYさんと共に2度、東京にある入国管理局へ赴き、事情のある不法滞在者のために特別に査証を発行している部署へ申請したが2時間にも及ぶ事情聴取にも関わらず未だ許可はおりない。
しかも保釈金として20万円の支払いを命じられた。
係官から「支払いに応じられない場合は乳児と共に局内にある拘置所へ泊まっていただくことになる、」と言われた。
係官は「一度彼女を帰国させ改めて正式な査証を取り直して来たらどうか」と勧めるが不法滞在で強制送還された外国人は最低1年間は新しい査証を申請することができない。
日本領事の言葉を借りれば「自分が蒔いた種だから、誰を責める事もできない」。
K氏はついに家族でタイに渡り、1年後に配偶者査証を取得して帰国することを決心した。
そして、それが可能かどうかとりあえず自分だけでタイへ事前調査に行こうと考え、その相談を受けたYさんも随行することになった。
マハーサーラカーム県にあるPさんの実家で彼女の両親を始め親戚一同に歓迎され、家族での来タイを約束したK氏だったがバンコクに戻って来てから厳しい現実に遭遇しその決心が鈍る。
家族でタイに住むためにはK氏が働かなくてはならない。
しかしタイ語を解さないK氏にできる仕事は少なく、更に労働許可証の取得の難しさを知った。
タイ人女性と結婚している日本人に会って話を聞いたり、日本人会へ行って仕事を探したりしたが人に会えば会うほど現実の厳しさを認識するばかりであった。
大勢の人に頼られているYさんだが、本業の病院勤めとボランティア活動で帰宅はいつも深夜。
時間帯が合わないため子供と顔を合わすことも少なく、家族揃っての食事は月に1~2度しかないという。
妻は「人助けをしている本人が家族をないがしろにして子供が可愛そう。普通の家庭に戻りたい。ボランティアって一体何なんだろう、と考えたくなる」、2人の子供は「もう慣れちゃった、でも時々寂しい」といっている。
Yさん本人も「できればやめたい」という。
「しかし国が法律的に弱者の彼らに無関心でいるかぎり、私はやめたくてもやめられない」
ある1人のボランティアにかかっている負担は今や限界に近い。

「死を待つ少女ダー」

2006-12-10 10:08:15 | ドキュメント
チェンライ県ミャンマー国境の村に住むアカ族の少女ダー(16才)。
彼女はエイズの末期症状で一人死を待っている。
ダーの家族は父母、3人の妹の6人暮らし、父親は薬物使用で3度刑務所に入っている。
タイ国籍がないダーは学校にもいけない、そのため正規にチェンライ県から出ることはできない。
彼女が14才の時、村にタイ人の人買いブローカーが来た。
「バンコク郊外のレストランで仕事をすれば毎月1万バーツ以上になるし少数民族の子も沢山いるよ」。
そしてブローカーは父親に前金として二万バーツを渡し村の娘3人と一緒に車でバンコクへ行った。
ダーは始めて見るバンコクに驚いた、同じ歳の子たちが綺麗な服を着て映画館に行ったり買い物をしている。
「よし私も沢山お金を稼せごう、そして綺麗な洋服着て村に帰ったらみんな驚くだろうなー、家族にも沢山お土産を買っていこう」。
だが、次の日連れて行かれた所はレストラン兼売春宿だった。
店の表は食堂になっていたが裏の部屋にアカ族、ラフー族、ミャンマー人の13才から18才までの少女16人が住み込みで働いていた。
客はここで女の子を選び小さな部屋で買春をする、店からコンドームを渡されたがお客が嫌がるのであまり使わなかった。
初めてのお客は中国系タイ人、ブローカーから「父親に2万バーツ渡したんだから」と言われ黙って耐えた。
店から「3人のお客までは処女を装うように」と言われその通りにした。
それからは早く借金を返したかった彼女は自分から客に媚を売り毎日朝から晩まで客を10人以上取った。
ダーの売春の値段は1回300バーツ、ブローカーと店で半分ずつ彼女の収入は客からのチップだけだったが毎月家族に3000バーツ仕送りをした。
半年後、店に警察の手入れが入りブローカーと一緒にチェンマイの売春宿に行くがお客が少ないため3ヶ月でパヤオに移り(この県で2軒の店で仕事をする)その後チェンライの店で1年仕事をした。
ここでは日本人のお客も多かった、ママさんから「日本人は金持ちだコンドーム使わないと沢山チップをくれるよ、」と言われその通りにした。
チェンライの店で仕事をして1年後、また警察の手入れがありNGOに保護され寮で生活しながらエイズ検査を受ける、検査結果は陽性、信じられなくて3回検査を受けたが結果は同じだった。
寮には彼女と同じ保護された少女が20人近く住んでいたが10日後、家族に会いたかったので彼女は村に帰った。
でも両親はエイズに感染した彼女を家には入れてくれない、しかたなくNGOが建ててくれた小さな小屋に住む。
914タイ国営ラジオ放送局、この局は毎朝少数民族10の言葉で生活情報を放送し電波はミャンマー、中国まで届く強力なもの。
例えばDJが家族に宛てて「ミャンマー側ラフー族パーミィー村のエーちゃんがNGOに保護されています、何月何日何時にメーサイの国境に来て下さい。」と。
通信手段のない少数民族の村にはこの方法がもっとも有効である。
この方法でアカ族のDJは5年間で約400人の少女を親元に帰したという。
DJは少数民族少女売春婦があまりにも多いためダーをラジオに出演させた、「お父さんお母さん娘達を売春婦にしないで下さい、お金は稼げるが私のようにエイズに感染し死を待つばかりです」と語らせた。
局では名前を出さなかったが声でダーと分かった村人は「村の恥を曝してしまった」と、彼女を村八分にしてしまった。
この村の男達はアヘンを吸い昼間から酒を飲み仕事はしない、現金収入は娘達からの仕送りだけ、だからダーがラジオで話した事を許せなかったのだ。
ダーは私に「私は仏様を恨んでます、皆と同じように生まれて来て何故私が死ななければならないの、家族を助けようとしただけなのに」、と言っていた。

「気ままな不良中年」

2006-12-09 10:12:21 | ドキュメント
バックパックを背負った日本人の学生が、若さのみを武器に怖いもの知らずで世界各地を歩き回っている姿は、今や何ら珍しくはなくなった。
中には現地で配偶者を得たり、住み着いてしまう者も少なくない。
タイでもヤワラー(中華街)やカワサン通り周辺の安価で泊まれるゲストハウスには、そのような各国の若者達が自国で得られない束の間の開放感を満喫している。
M氏もタイの魅力に取り憑かれたそんなタイ病患者の中の一人だが、彼は自由気ままな若者達とは少し違う。
彼には責任を持つべき妻も子供もある40代後半の中年なのである。
M氏は日本では手っ取り早く稼げる肉体労働で汗を流し、その資金を元に来タイする。
航空券は前回の旅行時にバンコクで購入したディスカウント・チケットを利用している。
ビザ期限一杯の3ヶ月間は帰国しない。
そのような生活をもう3年以上も続けている。
M氏がいない間、日本でパートタイマーとして働いている奥さんには、将来計画している貿易の調査のと偽って来タイしているという。
そんな彼の生活は、あるいはバックパッカーの若者たち以上にみすぼらしいかもしれない。
ヤワラーにある一泊250バーツの旅社に泊まり、一杯30バーツの汁そばか焼き飯を食べ、酒はメーコンを愛飲しており、無駄使いは一切しない。
タニヤやスクンビット、シーロム通りなどには行ったことはない。
長期滞在している割には、一般の日本人旅行者と出会うことはほとんどないし、旅社にいる同じような目的で来ている若者と食堂で出会って会話することもあるが、年齢差のためそれほど親しくなることもない。
それでM氏は毎日何をしているのか。
どうしてそれほどタイに執着するのかというと、彼のタイでの目的はとにかく女性のみ。
まるで日課のように毎日欠かさず遊んでいる。
妻子持ちでお世辞にも良い男とは言えない彼にとって、若い女と気兼ねなく遊べるこのタイはまさに天国にも思えるのであった。
しかも彼はヤワラーでタイ人相手に商売をしているような女としか遊ばないので、料金も200バーツ強と格安である。
悪い女に持ち物を盗まれたり、可愛そうな身の上話を涙ながらに語られ、巧みに金銭をせびられたことも何度かあるが、今まで大した問題もなく快適なヤワラーの旅社生活を送ってきた。
だがそんな彼も決して家族を忘れてタイにのめり込んでいる訳ではない。
滞在期限が来て帰国する際には普通の父親に戻り、妻子のために沢山のお土産を買って帰り、日本では子供とよく遊ぶいい父親であるという。

「奇妙な三角関係」

2006-12-04 10:13:02 | ドキュメント
チェンマイ出身のグンは19才の時にタニヤにある日本人カラオケ・クラブに始めて勤めた。
色白の日本人に似た顔立ちをしたグンはそこで知り合った日本人Y氏に何度か誘われ、そのうち一緒に生活するようになった。
Y氏は自分で会社を経営しており在タイも長い50才後半のビジネスマンで日本には25歳の娘と28歳の息子がいるがそれぞれ独立して生活していた。
妻は10年以上も前に死に別れており、そういう意味ではグンとの新しい生活には問題はなかった。
彼女にとって彼は父親以上の年齢だったが愛情を持って尽くしていた、住居はスクンビット(高級住宅地)にある1ヶ月7万バーツのY氏の高級マンションだったが今まで通りホステスの仕事を続けていた。
Y氏との同棲も1年を過ぎた頃彼女はお客で20代後半の駐在員から何度も付き合って欲しい、と言われる。
Y氏に悪いとは思いつつ彼に惹かれている自分を否定できないグンはもともと真面目な性格だったので正直に全てをY氏に話した。
話を聞いて驚いたY氏だったが若い彼女がいつ気変わりしても不思議ではないと思っていたで、とりあえず相手の男性に連絡を取り会う事にした。
彼女は決してY氏の事を嫌いになった訳ではない、本来なら後から横恋慕した若い男の方が身を引くべきだが20代後半と50代後半の男二人は自分の立場や主張よりもまず彼女が幸せになれる一番いい方法について話し合った。
ここまではどこにでもある話しででも、ここから先はチョッとお目にかかれない。
そして出た結論は彼女を今いるY氏のマンションから新たに別のアパートに住ませ生活費としてそれぞれ毎月15000づつ援助してあげることにした。
彼女も戸惑ったタイにも一夫多妻制(正妻とおめかけさんが一緒に住む)のようなものはあるがその反対は聞いたことはない、でも二人の男性を同時に好きになったのでとりあえずこの方法に賛成した。
また彼女と会う日を曜日で分けてお互いかちあわないようルールも作った。
こうして始まった奇妙な三角関係はそのうちルールもあやふやになり、時々3人で旅行に行ったりする事もあるという。
ある日Y氏の娘と息子が日本から遊びに来た。Y氏は現在の状況を子供達に隠さず全部話した。
すると二人は口をそろえてこう言った。「今までお父さんは私たちのために散々苦労してきたのだから、これからは自分の人生を満喫してください、お父さんが蓄えた財産も私たちに残そうとは思わず全部使い切ってください」。
てっきり変態親父と罵られるとばかり思っていたY氏、これを聞いてえれらく感動してしまった。
その後、彼女を中心にすっかり仲良くなった彼らは今、タイの田舎の海岸に小さなペンションを3人で経営しょうと計画して若い男は今年タイの任期が終わったら会社を辞めるつもりだという。

Y氏は私の釣り仲間です、彼からこの話を聞いた時「あんた狂ったんじゃないの」とつい言ったが当事者達が幸せなんだから他人がとやかく言う筋じゃないしね。

「ヒモになった日本人」

2006-12-03 09:56:16 | ドキュメント
あるフリージャーナリストの日本人男性(37
才)はタイに在住してもう数年が経つ。
彼は20代の時に2週間ぐらい観光でタイに来たことがあり、その時の印象が忘れられず30代になって再び来タイした。
当初は3ヶ月の滞在予定だったが、かの有名なタイ病にかかってしまい、そのまま3年以上も不法滞在をしている。
ジャーナリストとはいっても実はあまり才能の感じられない物書きでどこかの雑誌社と契約しているわけでも定期的な依頼があるわけではない。
送った原稿が採用される事は滅多にないのでそれだけでは決して生活はできない。
それなのに他の仕事もせず有名なジャーナリストを目指して日夜売れない原稿をコツコツと書いている。
彼にはタイ人の彼女(21)がいる、不法滞在のきっかけも実は彼女と付き合いだしたことが大きな理由だったが仕事も収入も殆どない彼に代わって彼女の方がタニヤ(日本人専用クラブが約130軒ある場所)の日本人カラオケ・クラブのホステスとして働いている。
http://www.soi-japan.com/index.html
↑参考まで
つまり彼はいわゆるヒモの立場にある。
ある日彼は打ち合わせのために、どうしても日本に行かなければならなくなった、やっと巡ってきた大きな仕事のチャンスである。
何とかしてでも帰国したかったがタイ人女性に養ってもらっている身では当然のようにオーバーステイの罰金、飛行機代を含む諸経費を捻出することなど出来なかった。
日本には親兄弟や親戚もいることはいるが日本を出る時にいろいろと問題があり現在は勘当同然なので頼ることもできなかった。
彼女にはそれとなくこの仕事の話をしていたが日本行きはほとんど諦めていた。
そんなある日、彼が彼女のハンドバックを何気なく覗くとコンドームが入っていた。
彼女は普段、避妊薬を使っているのでコンドームを使った事はなかった。
またその頃からいつもは夕方になってから仕事に行っていたのが昼過ぎから出掛けるようになり土日曜も外出することが多くアパートには殆どいなかった。
彼はどうも客を取るようになったらしい、と感じていた、昼間いないのは客とデートした後同伴出勤しているからだった。
日本食が好きだが金銭的に中々食べる機会がない彼のために彼女はお客とデートする時に日本食レストランに誘い母親が寿司が好きだから、と偽ってお土産用の折を頼んでは彼の元へ持ち帰っている。
彼女の様子で事情を察した彼だが自分の面倒も見れない今の立場ではどうすることも出来ず相変わらずアパートに籠って売れない原稿を書いている。
彼女は彼がいつかは有名なジャーナリストになることを夢に見て彼のために毎日一生懸命働いているが、まだ彼が日本に行ったという話しは伝わってこない。

「河に散った恋」

2006-12-01 10:12:48 | ドキュメント
この話先輩カメラマンの実話で10年以上前の話です。
30代前半のある日本人カメラマンN氏が日本の出版社からタイの少女売春宿の取材を依頼された。
彼はそれまでに3回ほど来タイの経験があったので地理や事情にもわりと詳しく、観光気分で成田空港を発った。
しかし売春宿の取材というのは思うほど簡単ではなかった。
写真を警察やNGOなどに持ち込まれる恐れがあり、タイ人でさえ写真撮影はできない、それをフラット来た訳のわからない外国人にそう簡単に許可を出してはくれない。
しかし仕事を依頼されて来タイした以上写真が無いことには話しにならないので仕方なくN氏はある売春宿に毎日のように通い取材対象を当時13才のSちゃんに絞り指名し続けた、勿論買春行為はしていない。
その甲斐あって売春屋のオーナーと顔なじみになりやっと取材することを許され条件は宿の外観、看板、宿の前の道などは絶対に撮影しない、店の従業員の顔も撮影はだめ。
取材を受けているうちにSちゃんはN氏を本気で好きになってしまった。
彼の方もSちゃんのけなげな気持ちに気付き愛しく感じていた。
まだ年端もいかないSちゃんが今後もこの売春宿で働き続けることを考えるとN氏の心は痛んだ。
何とか救ってやりたい気持ちはあったが、それにはSちゃんの両親がエージェントから借りている多額の借金を返済しなければならない、しかし彼にはそんな余裕はなかった。
一大決心の末N氏は唯一の財産である撮影機材を全部売り、そのお金でSちゃんの借金を返済し店を辞めさせ彼女の実家があるチェンラーイに連れ帰へりそこで二人は3ヶ月間の穏やかで幸せの日々を過ごした。
生活費がなくなった事をきっかけにN氏は次の来タイを約束し彼女に当座の生活費を渡し日本へ帰っていった。
帰国後も彼は異国のSちゃんを思いながら必死になって働きタイ行きの為のお金を貯めながらも毎月Sちゃんの実家に5万円ずつ送金した。
それから3ヶ月経ってやっとN氏は再びタイの地を踏むことができた、そして早速チェンラーイのSちゃんの実家へ行くがそこにSちゃんの姿はなかった。
両親にやっと聞き出した話によるとN氏が帰国してから1ヵ月後再びエージェントから借金して嫌がるSちゃんを無理やりバンコクの元いた売春宿へ送り込んだという。
Sちゃんはかなり抵抗したらしいがタイの田舎の貧困の子供が親に反抗することはできない説得されて再び仕事をするようになったという。
非難するN氏に両親は「畑やバイクを買うお金が欲しかった」と言い訳した。
彼は幼くして重責を背負わされたSちゃんの運命を哀れみながらもとにかく急いでバンコクに戻り初めて出会った売春宿へ向かった。
売春宿に行きSちゃんを指名しょうとしたが彼女には先客がついていた。
彼はいたたまれない思いを押し殺しながら控え室でSちゃんを待っていたところ仕事を終え戻ってきたSちゃんがそこに見たものは愛しい彼の姿だった。
その時のSちゃんの気持ちは今となっては知る術もない、SちゃんはN氏の顔を見るなり泣きながら外へ走り出して行き追いかける彼の目の前でチャオプラヤー河に身を投げ帰らぬ人となた。
それから10年以上の月日が流れたが今でもN氏はSちゃんの命日には必ずタイを訪れその河に花を投げ込み幼い魂の冥福を祈るそうです。

胸触って300万円

2006-11-23 18:34:01 | ドキュメント
この事件は現在公判中です。
日本人女性A子さん30才、彼女は旦那さんのタイ赴任で一緒にバンコクに来ました。
ところがA子さんはタイに来る前から体調が優れず病気がちで、ある日バンコクでも有名なS病院(外国人患者が多い)で日本留学の経験があるT先生に診察してもらった。
数十分後別に異常が無いので一週間後際診察をするのでまた来るように、と言われ服を着て帰ろうとした所いきなり後ろから抱きつかれ胸をわしづかみされた。
驚いたA子さんは大きな声で悲鳴をあげたので診察室の外に居た看護婦達が部屋に入って来て先生の痴漢行為がばれてしまった。
その後A子さん、T先生、病院責任者の話し合いになりT先生が診察が終わり診察室を出ようとした彼女の胸を触ったので診察の一貫だと言い逃れできず犯行をその場で認めた。
病院側の責任者はこの話が外に出るのを恐れ何とかお金で解決をつけようと思い明日再度話し合いましょう、とその場を収めた。
A子さんは家に帰り帰宅した旦那さんにこの事を話したとたん旦那は慰謝料として100万バーツ(日本円で約300万円)を病院側が払わなければ裁判に持ち込む、といきまいた。
A子さんの旦那さんは日本人ではなく白人(ヨーロッパの人)でした。
次の日A子さんと旦那さん二人そろって病院側の責任者に会ったところ責任者は慰謝料5000バーツでこの事は無かったことにしてくれ、と言った所旦那が慰謝料として100万バーツ払わなければ裁判に訴えこれから報道関係者を集め記者会見をする、とやってしまった。
責任者はまさか100万バーツ請求されるとは夢にも思わなかったのでこの事件はT先生個人の問題であり病院側としては責任は無い今後は先生と話し合ってくれ、と一方的に今後の交渉を拒否してしまった。
二日後A子さんと旦那さんが小型録音機器を持ちT先生と話し合いをした、でも先生はただすみません、を繰り返すのみで慰謝料の金額まで話が進まなかった、でも彼女と旦那さんはT先生が罪を認めて謝罪したので裁判に持ち込んでも絶対に勝てる、声も録音したし。
でもここに落とし穴があったのです、T先生は私はA子さんの胸を触ってしまいすみません、とは言わずただすみませんを繰り返しただけです。
これではこのテープを裁判に持ち込んでも証拠として使えません(A子さん側の弁護士の話)。
病院側は裁判の不利にならないようにT先生を解雇しました、先生は臨時雇用ではなく病院の常勤だったので公判で不利になり病院側の責任も問われます。
今タイは観光客、ロングステー、病気治療ツアー(タイは治療費が安いので)外国企業などを政府が音頭をとり呼び込んでいます、その時期にこの様な事件が明るみに出ることは何としても避けたいのです。