日本の首相がウクライナ大統領に会いにいく向こうで、中国の主席は国際手配されたロシア大統領と握手をし、話し合いをしてる。
ウクライナから空母まで買い入れた中国はウクライナを助けない。
さて、長持ちする選択は結果で見れそうだ。
彼の煽動は死者を生む素地を提供した。煽動なくば、今に生きていられた人がいたのだ。それを思うと「なにもなし」であることは、正義ってものの沽券に関わる。ないがしろにすれば不平不満は乗数計算の勢いで社会不安を醸成するのだから、現在のありようを手抜かず完遂して欲しい。
国家を統率できる立場のものが、かかる犯罪になんの抑制の意思も見せず、むしろその首謀に位置している事にためらいも見せなかった。沢山の人の人生が破壊され、損なわれ、回復を為せない悲惨を重ねた。
「もっと他の事ができたはずのロシア」は、この国家の大統領に率いられてこうなったのか、ロシアがそもそもそうした文化的下地を有した国なのか、裁かれて明白にせねば、国家規模の人への迫害は憤りのやり場をなくしてしまう。
これからも「あり続けたく」真に願うのなら、今回起した事態を真摯に向かい合うべきではないかしら。
これってさー
こんだけのことしといてさー、しかも2機も。
まさにこれですよね。
ウクライナ問題について反論する際に、決してウクライナの話をせず、「アメリカは過去にひどいことをしてきた国だ」という話の一点張りをするように心がけているようだ。
ごくごく自身らに利する「部分」の切り取りと同時に、不利となる一切を「ないものとする」姿勢の一貫だけで恥じない。卑怯なんです。
「貴方の行動はおかしい」と指摘されても、自らの行動の正当性の説明などは行わない。代わりに、ただ、「お前だって悪いことを沢山してきただろう」と言い続ける。それが、いわゆる「お前だって論法」である。
議論の実質内容では勝ち目がない場合に、敗者の戦術として用いられるのが「お前だって論法」である。自分を非難する相手の弱みに話を移して、自らに都合の悪い事柄から話をそらしてしまおうとする画策である。「お前だって論法」を繰り返しているだけでは、議論の実質で本当に優勢になることはない。ただ負けが濃厚であるがゆえに、何とか引き分けに持ち込もうとするだけの態度である。「お前だって論法」を繰り返していると、「自らの行動の正当化はできないのだな」、という印象はかえって高まる。したがって、真剣な議論の場では使うべきではない。
本当にこころが腐ってる。