正しいか誤ってるかをさておきまして、感じたのは「従来まで『お約束』で通せてた事柄」が、世間の動向や気配から『言わずもがな』で排斥される側になっちゃってる「際」のとき、芸人だとサバイバル術として「意向を忖度する」鼻が利くのであって、そこ由来で生き残って来れたことが、今や先取生命を途絶えさせかねないとこまで、急激に追い込みはじめた感がものすごく強いです。
こうした空気感のうつろいに「無茶振りを請け負うがための重宝」出会った存在が、諌められ続ける景色は正直怖いものを感じます。今回のは今回として謝罪もありましたし、終焉としませんか?ペンギンにはこわかっただろうけれど、ごめんなさいってことで。
コンプライアンスの怖さは「声をあげてはおいた」がいつ適用されるかは恣意的で任意で大変にゆるく見つけにくい。「その場・その際」にいたが為に、無用に過剰な避難を浴びせられるのが芸人だとしたら、トカゲの尻尾切りのようで弱いものいじめの様相そのものにも映るんです。春日を責め潰す話とも違う気がします。
空気先行で「とっちめれるところをとっちめにいく」のは、そこも怖いかな。