懇意にしている方に誘われたので、美味しい串焼きを頂戴しながらお話しさせていただきました。年齢も性別も生活も異なる方々と話してて、ふいに結論が「お母さんは一番心配するものだから、大切に」という話になりました。
子供の頃にこれを聞くのと、年季が入ってきてからこれを聞くのでは、言葉面はおなじようでも、迫ってくるものは全く深さも甘さも意味合いも変わるものです。この年になってそういわれると、慈愛のような、鼻の奥に甘いものをか香わせるなにかがあります。
「大事にできるもの」がそこにあってくれるだけで、ああよかったってなるようになってきます。「ずっとある」はずだったものは、ずんずん減ってしまうのです。ある時気づきます。なくなってせいせいするものもわかってきます。経験を通さないと、その味わい方は上手にならないのかもしれません。
誰もがお母さんを通って、生まれます。お母さんという生き物があってくれたからこそ、自分の命はこの地面の上にあります。「自分を通じて世界に生まれた生き物」である母にとっての「子供」は、やっぱり特別です。黙ってても「何とかしてあげよう」とします。
なにか返さなくちゃって、生まれ来たことの返礼が「大事にする」なんだな。
ありがとうって、たくさんいうだけでもうれしいと思うんですよ。うん。
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