なんなくおわかりいただけてない気がするのですが、今の刹那に吉本の内々の話なんか聞きたくない。以前の吉本ならそれでもいい。でも今は、ちがう。
吉本、ひいては大阪芸人がみせる、その内々な結託感が「芸人擁護・ファースト」が過ぎる印象です。
万博などの公共の催しに参与する国内産業の一翼を目して振る舞うにしては、いたたまれなさが強く残る。
今回の騒ぎにしても「もしかして被害者側が困難な状況を被った」に思いを全く馳せた感じがしない。なら、そう済むローカルな発想が過ぎてる。
大阪の感性のままで「押して参る」のなら万博みたいな国家事業相当相応な振る舞いは慎むべきだし、否応無しで囲う芸人さんを事由如何によらず擁護するなら、公の顔つきを諦め、一貫すべき(余力ないでしょうから)身内根性で示して怯まず、であるべきでしょう。
これではただの「欲しがってる」だけの無為な存在にしか映らない。