前回までの話⇒
しばらく雨上がりのベランダにいてこの街を眺めた。私の住むマンションは駅前エリアの第一商業地域に立つだけあってワンフロアに高さがあり、用途に汎用性を持たせている。ゆえに7階のベランダはかなりの高さだ。高所恐怖症の私がベランダに出ることは殆ど無い。排気ガスが上がってくるしビル風もある。だが雨が洗った街はきれいだ。デ・ニーロの『タクシー・ドライバー』に、ハンドルを握りながらそんな台詞をはくシーンがあったと記憶している。今このベランダは風の音が聞き取れるほど静かだ。
街全体の風景はどこにでもある東京郊外のベッドタウンだ。駅を中心に再開発が加速度的に進み、今も建設中の高層マンションが空に向かって何本も伸びている。三十代、四十代のファミリー層が一気に増えていた。ここにいるのは大半が新住民たちだ。
CDのボリュームをいっぱいにして車が走り抜けて行ったのだろう。B'zの「 LIVE-GYM 2012」のフレーズが風とともに舞い上ってきた。
この街に来て10年以上になるのに、未だに地域住民の意識が全く湧いて来ない。おそらくそれは、皆が同じ方向を見ていると感じるせいだろう。必要以上に貯蓄することの無意味さを知ったうえで、自分たちのタイムリーな生活部面における‘質’を重視している。その目に映っているのは、すでに入手済みの、比較的贅沢な個のテリトリーの景色、というのが共通点だ。だから交わることが無い。
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駅のコンコースから雨に濡れずに行ける敷設面積の広い全面ガラス張りの新ビル。その3階から7階を占めるのが、友人の精神科医がメンタルヘルスの専門医として週1回来る、最新医療技術の粋を結集させた、財団法人運営の総合医療センターだ。恩師筋からの依頼で断れずアルバイトで来ている、と言っていた。本来の勤務先では夜勤もあるため、むしろここでの仕事は楽勝だとも。
だだっ広いロビーに置いてあるパンフレットには、
‘医療を取り巻く環境の変化に対応し、今後の新しい医療施設のあり方並びに健康診断システムについて、地域及び職域における健康管理のあり方に関する調査、研究、開発への助成とその振興を図るための事業を行い、もって国民の健康保持増進と福祉の向上に寄与することを目的としております。各科専門医・認定産業医・ドック認定医と医療技術職員が、最先端の検査機器や技術を駆使して健康診断を行っております。この施設の機能とご利用結果は、各種の癌や生活習慣病、またその早期発見・早期治療のほか、健康保持や健康づくりの一助となると自負しております’
とある。
この手の総合医療センターは大都市にあると街にひしめくライバルたちと激しい戦いを展開する羽目になるが、平凡なベッドタウンとなると、都会まで出かけなくても最先端技術を施してもらえる、という郊外在住者の中央主義をくすぐるアドヴァンテージを得て、かなり存在感がある。
シンガポールあたりの豪華ホテルでよく見る、高層の最上まで一気に吹き抜けにしたタイプの、空が見えるラウンジのような待合室。受診者はゆったりと雑誌を読んだり、目を閉じたり、携帯に目を落としたり、思い思いにくつろいでいる。背の高い南国系のプランターがソファの合間合間に、バランス良く配置され、我々の姿を適度に隠す。正面には大画面TV、BGMには「アメージンググレース」が静かに流れている。
黒革のソファに沈み込むと体全体が包み込まれる。心地好い。いかん、また眠ってしまう。
そのとき、私の番号が呼ばれた。
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「要するにうつ病ってのは‘上司の顔色より、自分の顔色が心配なんだ’ってことだよ。」
友人の精神科医は開口一番こう言ったものだ。さらに、
「TVゲームみたいに簡単にリセットできるバーチャルな世界と違って本当の対人関係では、一度けんかをすると修復作業がすごく必要になる。そういったトレーニングをしていないと、周囲とのコミュニケーションに問題が発生しやすくなる。」
とも。
「でも悩みが形を変えるだけなんだよね。人間て足りなければ足りないことに悩んで、あればあるで、失ったらどうしようって悩むんだよ。」私も件の感想を述べた。
「相変わらず断定的にものを言う。だけど、澄んだ目の奥にいつもゆるぎない自信を感じさせるから相手は圧倒され、納得してしまう。その自信はどこから来るんだろう、って昔も思っていたよ。」
それは予知夢に裏付けされた近未来を私が知ることができるからよ。そう、それが今から君に相談しなければならない私の秘密なのだ。過睡眠とも関係ある、これから君に相談しなければならないこと。
・・・続く
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