「今」というこの時に集中して、今日という日を大事に生きたい。
その気持ちが高まれば高まるほど、うまくできないことに気づかされます。
今日が人生最後の一日だと思って生きる。
日々その気持ちを継続していくことは難しいけれど、時々そのイメージを思い起こしながら過ごしてみると、今を大事に生きる訓練にはつながりそうな気はします。
ただ、突然今日が人生最後の日という考えには至りにくく、他にもなにかいい方法はないかと考えてみたところ、私の場合は、未来の自分の目で今を見る、という方法がしっくりくる感じがします。
たとえば、10年後、20年後の自分から今の自分を見れば、まだまだ若い、と思えるだろうし、年齢的にその頃には亡くなっているかもしれない人が今ならまだ生きている、ということにも気づかされるかもしれない。
私は自分の人生に関しては、やり直したいことはないと思って生きてきましたが、このところ、もっとああしておけば、こうしておけば、ということはたくさん見えてきました。
たとえば、「学生時代にもっとしっかり勉強しておけばよかった」ということ。
それは、怠けていたから社会に出てから困った、ということではなく、せっかく十分に学ばせてもらえる環境にありながら、まるで与えられることが当然と思っているかのように無駄にしてきたことも多く、恵まれていた自分に気づかなかった、という後悔。
このことは、教育面だけに限らず、両親や親戚、近所の大人達がしてくれたすべてのことに関して言える気がするのです。
そのことに気づいたのは、ずーっと後になってから。
ここ数年のうちに深く気づき始めた感じです。
人は振り返って過去の自分を見ない限り、自分の全貌は見えないものなのかもしれない。
なので、今の自分から今の自分の全貌はみることができない。
だからこそ、今の自分の全貌らしきものを見るために、未来の自分の目らしきものを作って、そこから今を深く実感したいと思うのです。