亡国の坂道

日蓮大聖人の云く、「仏法漸く転動しければ世間も又濁乱せり、仏法は体の如し、世間は影の如し、体曲がれば影斜めなり」と。

師弟子の筋道も誤ると堕獄することになる

2013年04月29日 09時14分47秒 | 亡国の坂道 
「顕正会の悪義を破す」(P.13~15)に、次のようにあります。これは、妙観講の大草一男が、先に妙信講の浅井甚兵衛講頭と浅井昭衛本部長を誹謗中傷するために「持ち前の我が儘と頑迷さ」が、末寺を転々とする原因を作り出したとする話の続きです。

云く『宗開両祖の時代から、本師ー小師ー講中信徒という筋道によって師弟の筋目を厳格に立ててきた日蓮正宗にあって、信徒がこのように勝手に所属寺院を転々とするのは、きわめて異常なことです。

この師弟の筋目について、第二祖日興上人は「この法門は師弟子を正して仏に成り候なり。師弟子だにも違い候へば、同じ法華を持ちまいらせ候へども、無間地獄におち候也り。うちこしうちこし直の御弟子と申す輩が、聖人の御時も候しあひだ、本弟子六人を定めおかれて候。その弟子の教化の弟子は、それをその聖人の直の弟子と申すやから多く候。これが大謗法にて候也。御講衆等この旨をよくよく存知せらるべし」(佐渡国法華講衆御返事)と。

つづけて第九世日有上人の云く「私の檀那の事、それも其の筋目を違わば、即身成仏と云う義はあるべからざるなり。その小筋を直すべし」(歴代全書一巻)と仰せられ、檀信徒は小師との師弟関係を正さなければ成仏できなくなる、と示されています。

しかるに、浅井甚兵衛ら妙信講は、日蓮正宗の信徒であった間も、その筋目(小筋)を貫くことができず、気に入らないことがあると寺院を飛び出す、ということを繰り返してきました。こうした自己中心の信仰姿勢が、必然的に後の異流義をもたらした原因である、といえましょう』などと、妙信講、浅井甚兵衛講頭と浅井昭衛本部長の信仰姿勢を悪意を込めて糾弾しています。

つづけて日蓮正宗に於ける信徒が他の寺院へ移籍を許される理由として、次の四項目を挙げています。

云く「①本師たる御法主上人の御命による場合。②婚姻・養子縁組の場合。③小師が本師に違背して邪義に堕した場合。④信徒を退転に至らせぬための特例的な措置----という四つの事由に限られます」等と。

大草一男が垂れ流すごとく、浅井甚兵衛講頭、浅井昭衛本部長を妙縁寺が受け入れたのは、④の特例的な措置だったとしているのでありますが、妙信講の浅井甚兵衛講頭並びに浅井昭衛本部長が、妙縁寺に迎えられたのは、決して大草の云うような、④による特例的な措置などではありません。

それは、第一に妙信講の気一本の純粋な信心と、浅井甚兵衛氏並びに浅井昭衛氏の二人のお人柄と、妙光寺の住職の傲慢にして横暴な寺の経営を、遠くお山から、あの英邁な日淳上人猊下が、ジーっと見ておられていたのであります。日淳上人猊下は、これからのお山のことと、遠くは、広宣流布のための布石として、妙信講の指導教師に、猊下の次席にあられた謹厳実直な、松本日仁尊能師をわざわざ本山から派遣されて、妙縁寺への所属替えを断行されているのであります。

妙信講が顕正会と名前を改めたある日、浅井昭衛会長が妙光寺の住職の勤行の姿勢を、それとなく、感慨深げに洩らされたことがありましたが、こんな風に言っておられました。

「妙光寺の住職は中々の世才家で、己の出世のことばかりを考えていた僧侶だった。朝夕の勤行が始まると、導師席に座った住職は決まってメモ用紙を取りだしては、傍に侍る所化小僧にそのメモを経机の上で何枚も書いては渡す。真剣に御本尊様を見つて勤行をした姿など見た事が無い。殆どがそれの繰り返しで、勤行が終わるとメモを書くことはしない。それは、宗門政治の事と御供養の上がりのことしか頭になく、如何にしたら宗内で権力を握り出世できるか、如何にしたら供養が集まるか、そのようなことしか考えのない住職だった」等と、面白おかしく感慨を吐露されていたことからも頷けるのであります。

さて、話を本題に戻すことにしましょう。上記の御開山日興上人が「佐渡国法華講衆御返事」の中で仰せられる「師弟子の道」と、第九世日有上人の仰せられる「小筋を直すべし」等の信心の筋目は、正宗信徒が踏み外してはならない絶対の掟のように見えますが、此れとて一往の教戒なのであります。

御開山日興上人が「佐渡国法華講衆御返事」で仰せられた師弟子を正す信心と、日有上人が仰せられた、信心の筋目、即ち小筋を直す御教示は、いずれも師弟の関係が一体不二の状態にあることが、大前提になっている上での話であります。

それは下記の日有上人の御教示が示す如くであります。云く「手続の師匠の所は、三世の諸仏高祖已来代々上人のもぬけられたる故に、師匠の所を能く能く取り定めて信を取るべし、又我弟子も此くの如く我に信を取るべし、此の時は何れも妙法蓮華経の色心にして全く一仏なり、是れを即身成仏と云うなり」(聖典 P.974)と。

また云く「師弟相対する処が下種の体にて事行の妙法蓮華経なり」(聖典P.978)と。

これ等の御教示は、師弟相対・一体不二の関係がどこまでも貫かれ、正しく持たれた唯授一人の血脈相承の秘術を仰せられた御教示であります。即ち仏法(三大秘法義)が大聖人様以来、聊かも曲がっていない事を大前提の上で、仰せられた御教示なのであります。

依って、第三十一代日因上人も「日蓮聖人乃至日因に至るまで三十一代、累も乱れず相伝これなり」と仰せであります。

然しながら正系門家日蓮正宗の教義が、富士の清流を聊かの汚れもなく、広宣流布の暁に本門寺の戒壇=国立戒壇を建立して、国を安んずる御本仏大聖人様の究竟の御願業を、清く正しく令法久住されて来た歴史は、第六十五世の日淳上人の御代で、完全に終わりを遂げたのであります。

あの英邁な日蓮正宗第六十五世の日淳上人猊下は「蓮祖は国立戒壇を本願とせられ、これを事の戒壇と称せられた」(富士一跡門徒存知の文について)と、堂々と国立戒壇の正義を宣揚されておられます。

つづけて『この元朝勤行とても、二祖日興上人が宗祖大聖人の御遺命を奉じて国立戒壇を念願せられての広宣流布の勤行を伝えたものであります。大石寺大坊棟札に「修理を加え、丑寅の勤行怠慢なく広宣流布を待つ可し」とあるのが、それであります』(大日蓮 昭和34年1月号)と、元旦勤行の謂れを紐解いておられます。

つづけて「真に国家の現状を憂える者は、其の根本たる仏法の正邪を認識決済して、正法たる国教樹立こそ必要とすべきであります」(大日蓮 昭和32年1月号)と叫ばれ、御本仏大聖人様の立正安国論の大精神を高らかに宣揚されているのであります。

その後を継いだ六十六世の日達上人も御登座直後には「富士山に国立戒壇を建設せんするのが、日蓮正宗の使命である」(大白蓮華 昭和35年1月号)と、富士の清流そのもので、正しい御教示を垂れていたのです。

ところが信徒団体の創価学会の身に余る奢侈に溺れ、諂いが高じて圧力に屈するや「国立戒壇というのは本宗の教義ではない」(大日蓮 昭和50年9月号)というように、真逆な邪義を垂れ流すように豹変しているのであります。

更には「我が日蓮正宗においては、広宣流布の暁に完成する戒壇に対して、かつて、国立戒壇という名称を使っていました。しかし、大聖人は、世界の人々を救済するために、”一閻浮堤第一の本尊、此の国に立つ可し”と仰せられている。このことからすれば、国立戒壇という名称は本来、不適当であった。明治時代には、国立戒壇という名称が一般の人に理解しやすかったので、本宗でも使用したが、もとより、明治以前には、そういう名称はなかったのである。よって、いらぬ誤解を招いて布教の妨げとならぬよう、今後は、国立戒壇という名称は使用しないことにする」(要旨 昭和45年5月3日)などと、とんでもないことを宣言し、御本仏大聖人様の御本願たる国立戒壇を永久放棄して、三大秘法義を根こそぎ破壊してしまったのであります。

このように、先師の日淳上人の仰せられる広宣流布の暁の本門寺の戒壇=国立戒壇を、真っ向から反対する悪僧日達には「佐渡国法華講衆御返事」で仰せられる「師弟子の道」あるいは、日有上人が御示しの「小筋を直す」等の信心の筋目は、完全に破壊されている故に一切通じないのであります。

悪僧日達の場合は、③小師が本師に違背して邪義に堕した場合どころか、一宗の貫主自らが御本仏大聖人をはじめ、先師、日淳上人に真っ向から背逆しているのであります。

御開山日興上人は、長い広宣流布までの道程には、本宗の貫主自らが仏法を曲げることがある事を予見されて、二十六ヵ条の置文を用意為されているのであります。この置文こそは、決して忽せにできない正系門家の道しるべとも云うべき、末代の日蓮正宗僧俗が護らなければならない、憲法とも謂われる最も大切な戒文であります。

云く「富士の流義聊かも先師の御弘通に違せざる事」
云く「時の貫首為りと雖も仏法に相違して、己義を構えば之を用う可からざる事」と。

このように、一宗の貫首たる者が三大秘法の戒壇義を曲げて、仏法を破壊しようとする時は、その貫首の云う事を用いてはならない。と云う重大な戒めであります。

いま日蓮正宗の三大秘法義は、あの六十六代の日達から六十七代の日顕を経て、六十八代の日如に至るまで、曲げられたまま、依然として宗門七百年の清らかな富士の清流が蘇る兆しすら見えないのであります。このように御本仏大聖人様の三大秘法義が破壊され、教義が歪曲された時代であれば、御開山日興上人や日有上人が先に仰せられた「師弟子の筋道」あるいは「小筋を直す」信心の大事も破られて当然で、寧ろ、例え貫主の云う教導であっても従うべからず。用いてはならないと仰せでありますから、御開山上人の置文の仰せに信伏随従すべきなのであります。

冒頭に大草一男が主張するように「本師ー小師ー講中信徒という筋道によって師弟の筋目を厳格に立ててきた日蓮正宗にあって」の信心は、本師たる貫主が曲がっているために、小師も講中信徒も自ずから曲がってしまうのであります。是れを称して「師は針の如く弟子は糸の如し」というのであります。 

御抄に云く「源濁れば流清からず」と。また云く「根本滅するに於いて、豈枝葉栄へんや云々」と。

かくのごとく宗門に連なる僧俗信徒は、須らく功徳を喪失し、成仏も夢うつつの話となってしまったのであります。

現今の「本師ー小師ー講中信徒の筋目なるものは、小師たる末寺の住職が信徒を従属させるための、悪しき宗規以外にはなく、小師が食うために、信徒を小師のお囲い者として利用しているに過ぎないのであります。

世間で云うお囲い者と云えば、妾と檀那の関係を云うのでありますが、この場合は、旦那がお囲い者の妾を養い、それなりの経済を保障して関係を維持するのが常ですが、小師と講中信徒の関係は、まったく逆さまの関係ですから、信徒は骨が折れるのであります。

このように御本仏大聖人様の根本教義たる三大秘法抄で仰せられる「事の戒壇義」が悪僧日達以来曲げられているなかで「本師ー小師ー講中信徒の筋目」ばかりを強調するような化儀の展開は、下手をすると法主本仏論へと教義が傾斜して行く危険性をはらんでいるのであります。その顕著な顕われが、邪義を展開する本師や小師に対して「猊下様」「御住職様」「執事様」などと、よそよそしく諂って、尊称を付けて呼んでいる姿を見かけますが、とんでもない見当違いであります。

大聖人様の仏法を曲げ、教義を歪曲して邪義・邪説を垂れ流した揚句、純真な信徒を地獄の底へ突き落すような坊主は、間違いなく悪知識なのであります。大聖人様は「悪知識に於いては怖畏を生ぜよ」と仰せであります。それを、良くもまあ気恥ずかしくもなく、何故に、○○様呼ばわりして諂わなければならないのか、平仄に合わないとは是れであります。

しかしながら近き将来、宗門に御本仏大聖人様のまことの本眷属たる、英邁な貫首上人がお出ましになられ、大聖人様の究竟の御本願は、広宣流布の暁の国立戒壇にあることに目ざめ、本門寺の戒壇=国立戒壇が日蓮正宗の公論となって蘇る時、本師ー小師ー講中信徒の筋目は、即功徳の源泉、成仏の直道へと生まれ変わるのであります。

その時、本宗僧俗信徒の希望と歓喜と躍動の渦巻く、まったく新しい力強い広宣流布への闘いがはじまるのであります。

なんと希望に満ちた血涌き肉躍る素晴らしい時代の到来ではありませんか、これこそが、日蓮大聖人様が御誕生になられた根本の妙国、日出る国、日本国の真の夜明けであります。此処から愈々日本民族としての力強い興隆と、日本国の躍動みなぎる時代の勃興が始まるのであります。





1 コメント

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はじめまして (トチロ~)
2013-04-30 06:08:35
以前どちらかのコメント覧で少々やり取りさせて頂いたトチロ~です。

こちらでは「はじめまして」ですね。

今回の記事にある“妙光寺”とは、“法道院”の間違いではないでしょうか?

少しばかり気になりましたもので…。

また、ここで引用されている“浅井さん親子が所属寺院を転々と云々”は「元妙信講問題について」が情報源なんでしょうが、あの執筆者は浜中和道氏であり、後に正信会に行かれた御僧侶ですね…。

確かにこれが執筆された当時は正式に日蓮正宗の御僧侶ですから、引用しても良いのかもしれませんが…。

私だったらやりませんね…。

少しばかり気の利いた顕正会員でしたら突っ込んでくるでしょうからね…。

しかし、それに突っ込みを入れられない現在の顕正会員さん達は何とも情けないですね。

http://houonbou.blog.fc2.com/
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