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近江湖西会家族会へようこそ!

精神障がい者の家族と支援者の集まりです。

入院の手記

2018-04-23 09:49:55 | いろんな想い

先週金曜日に家族会の集会が実は行われていたのです。

ですが大した収穫もなく、書きそびれているうちに日にちが過ぎていました。


その家族会の会員の一人の方に春先になってかいろんな問題が起きて

それが何とかうまくいくように会員の方が自分であちこち奔走して解決の道が開かれました。

そのいきさつを書いたと言って見せてくださったのですが

ここにそれを掲載させていただきます。

もちろんかなりの個人情報が書かれています。

でも書かれた方は誰にでも読んでほしいと言っておられるので出すことにしました。


精神疾患の状態や家庭の事情はそれぞれ違っています。

この方の場合はかなり特徴がありすぎて一般的ではないかもしれません。

けれども障がいを持つことで大変な苦労を強いられることには変わりません。

この「息子」さんは精神のほかに全聾という障害を持っておられるのでよけいに大変です。

障がいを持つものが出来る限り生きやすい環境でいられる世の中に

少しでも早くなることを祈ります。




      「息子の入院」

    
 昨年の冬は本当に寒かった。息子は早朝に風呂に入りまたどこかへ行く。夜中に入っていることもある。
「なぜ?」と聞いたら
「寒いから」と言う。
 風呂を上がって外出したら余計寒くて風邪を引くのに困った人だ。私が後から入りたくてもチャンスを逃してしまう。困ったことはいっぱいあるが言い出せばきりがない。

 Yさんに生活費のことを相談した。光熱費や食事代など細かく書いて示し、Yさんから息子に「だから月四万円をお母さんに渡すように」と言ってもらってやっと振り込んでくれるようになったけど。
 何しろ貯えがないので急な支出があると忽ち底をつく。現金で渡されると少しずつになって結局足りないままになる。
 昨年冬にストーブが壊れた。火事になると困るので社協で借金して買った。すでに赤字で苦しかったが、鉄屋と社協に月五千円ずつ払わねばならず、「泣きっ面に蜂」である。

 食料はなるべく安い店で買うが、荷物が重くて「ハアハア」言いながら駅まで歩いてバスに乗る。それが体に負担だったのか、三月一日の夜から左の背中が痛くなり、朝になったら治るだろうと思ったが、朝起きたら背中全体に激痛があり、病院へ行った。
 先生は「スジや!」と言って何の説明もない。内臓を見るとかで「CT」を撮る。痛み止め薬を二週間分貰って帰る。あくる日も激痛に耐えられずKさんに車で送ってもらい救急で診察してもらった。「二週間で治る」と言われたが薬を呑んでも傷むので、一週間後にまた診察を受けた。先生は「もう整形は終わり」と言いながら薬を二十日分くれた。
 結局一カ月で薬はやめられたが、4月に入ってもまだ「ドシン」とした重さを感じる。強烈な痛みに耐えながら買い物や炊事もしなければならず、ついに息子に「お母さんはもう八十八歳だし、もう二人で暮らせない」と告げた。息子はさすがに「無理なのだ」と悟ったようで「入院する」と言った。

 三月十七日、サークルに行く、と言って出たが帰らず、どうしたんだろう、と心配していたら、二十一日の夜中二時半ごろ長浜病院から「足が痛いから迎えに来てください」と電話があり、明けてからYさんが長浜の役所へ連絡してくださり、
「電車の切符を貰って帰られます」
とのことで待っていたが帰らず、夕方、敦賀の図書館より電話が入りびっくりした。「何故?」と思った。
 仕方なく警察に保護願いを出した。「どうしよう」と思案したが結局Fさんにお願いするしかなかった。とても心苦しかったが
「お疲れなのにすみません」と言ったら
「心配しないで」と言ってくださり、敦賀の警察まで迎えに行ってくださった。夜十一時無事に帰ることが出来た。

 三月三十日、BクリニックのF先生に診察を受けた。結果は
「入院する状態ではない」と言われた。
「強制入院でお願いします」と言ったが駄目だった。
 もうK先生にお願いしよう、と思い、
四月二日T病院で診察していただき
「入院してもよいよ」と返事を頂いてホッとした。
 家に帰ろうとしたが息子がいない。家に帰ったんだろうと思っていたがとうとう帰らず、またしても家を出たのだった。
 あくる日、近江八幡の医療センターから電話があり、
「家へ帰るように言った」とのこと。
 待てど暮らせど帰らず、あくる日また長浜病院から電話があり
「賤ケ岳で足が痛くなり、救急車で病院へ運ばれた」とのこと。またしても長浜市役所でお世話になった。
「車いすに乗っておられます」とのこと、どこまで心配をかけるのか、と情けなかった。
 今度は今津駅まで切符を貰い送っていただいた、とのこと。今津からはCさんとYさんにお世話になり家まで送り届けてもらった。
家で息子に話してくださった。
「今津までの電車賃は払ってくださいよ。家まではタダやけどこれからはお金をためて電車に乗って行きなさいよ」と注意してくださった。
 今度もまた大変ご迷惑をかけてしまった。もう絶対入院させるしかない、と思った。

 K先生の水口病院での診察は五日と六日なので予約の電話をしたら
「急に来られても入院できませんよ」と厳しかった。
 しかしいつかの診察日に何としても入院させるつもりで行った。娘にはいい辛かったが、Yさんが電話してくださったようで、娘からFAXがあり、堅田駅で待っているから、と約束してくれた。
 水口病院は大きくて綺麗な病院だった。
「今日が初診なので診察が終わってからになります」との事で、二時半から診察してくださった。
 先生は息子に「何故入院したいと思ったの」と聞かれた。
「お母さんは料理が出来ないから僕は食べられないから」と言った。
 まったくその通りかもしれないが、何ということだろうと思った。
 が兎も角、入院させてくださる、ということで一安心した。
 その後担当の人から入院についての説明がいろいろあり、また、三階の病室に行ってからは詰所で看護婦さんから説明があり、いろいろと聞かされたり、持ってきたものは家は持って帰って下さい、とのことで、例えば剃刀、靴、スリッパ、カバンなど持って帰り、新しくプラスチックのコップ、部屋履き、ズボンなどを売店で買って届けた。看護婦さんが
「今日はお風呂の日なので入ってください」と案内された。
 新しい服に着かえた息子は何とも言えない寂しげな顔だった。今生の別れでもないのに何とも切ない思いでいっぱいになる。

 今回のことは娘が協力してくれたので大助かりだった。手話で息子に説明してくれたので納得したようだった。朝早くから出て、帰りは病院を出たのが五時過ぎで、私をK駅まで送ってくれた。T駅では最終のバスは済んだので、A駅までJRに乗り、タクシーで家まで帰った。娘はSの義姉さん宅で泊めてもらい、あくる日また家まで迎えに来てくれた。
 SAの本庁へ行って書類の手続きなどいろいろとありお昼まで掛った。二日連続で娘も私もずいぶん疲れた。娘は特に遠い所から来てくれて、本当に苦労を掛けて済まなかったと思い感謝している。三か月後にはどうなるかわからないが、祈るしかない。
 あくる日は久し振りにゆっくり風呂に入り寝る。天気の良い日に布団を干したり部屋を片付けたりする。今はただ、息子の回復を祈るのみである。

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