デミング博士のニューエコノミクスって

デミング博士の”ニューエコノミクス”に書かれた内容と,それに関連する内容を,「マターリ」と理解するページ

レッドショルダーのマーチ

2005-10-23 18:39:22 | その他
 先週,本屋さんで,「開発の現場」という雑誌? Vol.2にて「反・デスマーチ 大研究」という特集が組まれている本を立ち読みしてみました.その内容が凄まじく,かつ面白かったので,思わず買ってしまいました.
 「デスマーチ」というのは,プログラムの開発現場等(特に携帯電話の開発現場が凄い事のなっていたりします)で,短納期や低品質なマネージメントのため,技術者が,「プログラムマダー? チン・チン」というプレッシャーの中で,凄い勢い(2徹・3徹当たり前!!残業時間 月300h突破!!)で働き,そんな中で,下手をすると,鬱になって会社を首になったり,突然無断で会社を辞めたり,もっと恐ろしいことが起きたりする事のようです.

 特に,この雑誌の中で,"【軍曹が】携帯の開発の現状【語る】"という2チャンネルの書き込みをまとめたサイトを引用した記事が面白く,私も思わずこれらのWebページを(仕事中にも関われず)ググッて読み込んでしまいました.

 こんな中で開発をしていたら,低品質に向かうのは当たり前です.でも世の中の会社にはあるんです.(軍曹さんのような凄まじい事は稀でしょうが)

 私もここまでは酷くなかったですが,精神的なプレッシャーに追い詰められ,(まあ残業は単月140h突破程度なので,ほかの人たちよりは酷くないです.)「このクソ会社のマネージャ全員地獄へ落ちろ!!」と思った経験が何度かあります.

 その中で,「これは,他の人はさすがに経験無いだろう」と言うような,私のかなり古い品質管理での体験(脚色してますけど)をさらします.

1.現地工場

 えらい人より,海外の現場への出張命令が降りていた.どうやら,今回は協力会社が設計した製品ラインの立ち上げのようだった.だが,今回は仕様書や,図面も渡されていない.現地にて受け取れとの命令であった.
 俺は現地へ向かった.相変わらず一人だ.他社は,ラインの立ち上げには,10人程の色々な部署の人間で構成されたチームを組んで工場へ向かうものである.しかし,俺の会社は大抵,品質管理の人間の単独であった.
 現地の工場に着き,俺は早速仕様書や,図面をチェックを行った.少しプラスティクが薄そうであったが,品質には影響ないであろう.ただ,この製品に採用されているセンサを使った設計で,以前,後輩が嵌っていたのを思い出した.但し,今回は,センサ信号をデジタル信号に変換する回路はASICに変更されている(=きちんとした技術者チームが設計している)ので,問題ないだろうと判断した.俺は,気楽になった.
 「さて,まずラインを確認しましょう.」
 その工場(孫受工場)で管理を行っていた協力会社の日本人技術者に声をかけた.
 「はあ……」
 なぜか,その技術者は疲れていた.

 俺と,その協力会社の技術者(ここでは仮にMさんとしよう)とでラインに向かった.

2.戦場で

 「こっ・これは……」
 その光景を見た瞬間,俺の耳元には,ボトムズの「レットショルダーのマーチ」が聞こえてきた.
 「Mさん……何ですかこれは……」
 ライン上に,まるで活け花のように,抵抗のリード線が切られずに半田付けされた基板が次々と流れてきた.
 「ええ……チップ抵抗*1 が手に入らなかったので……」
 なぜか,Mさんは照れていた.
 「いや……,ケースの中に基板が入らないのでは……」
 Mさんは,いきなりその場でしばらくフリーズしていた.

 「ラインを止めましょう!!」
 俺はMさんに声をかけた.Mさんは,ラインリーダっぽい男に声をかけていた.しかし,ラインはなかなか止まらない.
 「どうしたんですか?」
 どうやら,Mさんは現地の言葉がわからないようであった.
 俺は,そのラインリーダっぽい男に片言の現地語と筆談で,ラインを止めるよう話した.
 「で,ここ(の工場)のマネージャ連中は?」
 俺はMさんに尋ねた.どうやら,このトンでもない状況においても,やつらは事務所に閉じこもっているようであった.
 俺は事務所に行き,日本語と英語で,マネージャたちに話しかけようとした.だが,連中はきょとんとしているだけであった.そう,彼らは現地語しかわからないのであった.
 ここにいても仕方がない.俺は,ラインに戻りMさんに日本語の通訳にここに来て貰いようにお願いした.しかし,その通訳自体,他の仕事を兼任しているので,なかなか来る事は出来ないようであった.
 俺は急激に「以上」感を覚えた.

*1:チップ抵とは,米粒大の大きさの四角い(筒状ももありますが)「抵抗」という電気部品です.携帯電話とかにも使用されています.

3.巻き返し

 俺は,日本と俺の会社の現地の駐在事務所に連絡を取り,状況を説明した.だが,あまりの話に,誰も信じてくれなかった.製品の発売日はすでに雑誌に載っているとだけ返事された.ただ,俺の会社の現地社員が,この工場の近くで別の仕事をしていることが判った.彼は英語が俺よりうまく,当たり前だが,現地語は当然ペラペラだ.
 俺は,彼に連絡を取り,翌日朝には来て貰えるように依頼した.
 彼は二つ返事で了承した.少し心の余裕が出来た.
 さあ,巻き返しだ! 俺は気合を入れなおすと,早速このライン上にある活け花のような基板の処理を考えた.何のことはない.チップ抵抗が乗っかる基板のフットパターン*2 に,今ある普通のリード線の抵抗*3 を実装できればいいだけだ.但しプラケースと干渉しないようにしなければならない.
 俺は,手近の基板を10枚ほど引っつかむと,早速改造を行った.今乗っている抵抗を全部はずし,回路図を見ながら抵抗の足を曲げてフットパターンに半田付けし,メルティングボンド*4 で抵抗を基板に固定する.図面に赤ペンで変更箇所を書き込み,作業指示書代わりになるものを書きながらだ.ラインの人たちが判るように,なるべく言葉を使わずに絵で示す必要がある.(俺は現地語が片言しか話せないので,言葉に頼れないのだ.)
 さすがに工場では徹夜は出来ない.治安の問題等があるので,工場は夜10時に閉鎖する.それまでにはこの作業をには終わらせなければならない.俺は,作業中トイレにもいけなかった.
 
 工場の朝は早い.朝八時には俺は工場に入っていた.俺の会社の現地社員のアンディー(仮名)もいた.早速俺は,アンディーに,ここの工場のマネージャ連中と会議できるように依頼した.アンディーは手際よく手配してくれたようだ.日本語の通訳もこの会議に参加できるようであった.
 俺は会議で,どのくらい活け花状態にある基板があるかどうか確認した.なんと数千枚もあるというのだ.俺とMさんと残り2人の日本人スタッフ,そしてアンディーまでが引っ繰り返っていた.
 俺は,自分が書いた作業指示メモと,サンプルとして俺が改造した基板10枚ほどを差し出し,今回のリワーク(て言うの?この状況……)を指示した.
 これで生産が開始できる.まあ,1日半の遅れだ.不良が多くなければそれぐらいは取り返せると踏んでいた.

*2:フットパターンとは,基板上にある部品を基盤に半田付けする箇所です.この場所はレジストという基板上に塗られている絶縁材(普通は緑色ですが,時々青もあります)が塗られていない場所です.
*3:普通のリード線の抵抗とは,秋葉原とかで売っている,丸い棒状で,棒の両端に,金属の線が付いてているやつです.
*4:メルティングボンドとは,熱を加えると溶け,冷えると固まる接着剤です.よく基板等に何か部品等を固定したりする時に使います.

4.さらなる挑戦

 俺はアンディーと共にラインに立ち会った.このラインは酷い.タクトが乱れまくっている.俺はさすがにラインバランスのとり方までわからないので,Mさんとアンディーと一緒にラインを回った.Mさんは,ラインのタクトを合わせるため,色々な指示を俺とアンディーを経由してラインリーダたちに指示していった.さすがにMさんは経験があるのであろう.午後にはタクトがある程度まで合ってきた.ただ,まだ基板の不良率は20パーセントぐらいある.俺は,作業手順等の見直し,検査工程の移動等を指示し,何とか10パーセント前後まで不良率を下げていった.夕方には,不良レポートが上がってきた.他の日本人スタッフが,何とか工場のマネージャに指示して毎日各検査工程の生産数・不良数・不良症状項目のレポートが上がるようになっていた.もちろん報告して貰う内容は,日本人スタッフと俺とが協議しながら作ったものだ.(それまでは,その様なレポート自体なかったようであった.この工場の外壁にはISO9000の文字が大きく書かれていたのに……)そのレポートを元に俺は各種資料を作成し,確認していった.まだ,ラインの直行率は,50パーセントを切っていた.

 その頃までには,俺は,ラインリーダと何とか意思の疎通が図れるようになっていた.何とか片言の現地語と筆談で相手が何を言いたいのかうっすら判るようになってきたのだ.彼は若いためか,動きは早くカンはよさそうだった.いまだに,この工場のマネージャ連中は事務所から出てこない.俺たちは,このラインリーダを頼りにしていた.俺はラインで気づいた点を,この若きラインリーダを通じてフィードバックしていった.ある程度までフードバックを行うと,俺は不良品の山に突っ込んでいった.俺の経験では,こんなに酷い直行率では,不良品の置き場所がなくなり,ラインは自然に止まってしまう.俺は,不良が多い項目から不良解析をしていき,原因を探った.
 その解析は,時間がなかったため中途半端であったが,それでも直行率を80パーセント前後までもっていけそうであった.

 翌日の朝またマネージャ連中を集めてミーティングを行った.もう俺はこのマネージャ連中が何か仕事の役に立つとは思ってなかった.ただ,さすがに連中も,顧客がチョロチョロと工場内をうろついているのは気持ちよくないであろう.俺がフィードバックをしていけば,さすがに妨害はしないであろうと踏んでいたからだ.(というか,それはオマイらの仕事だろう!! と小一時間ほど問い詰めたい!! トコトン問い詰めたい!! ホント,今思い出してもかなり・・・orz)
 その会議で,俺は,生産数・不良数・不良症状・不良原因等を日本語の通訳に訳してもらいながら板書してもらい,全員で対策を考えるよう促した.
 この方法は,俺の後輩と先輩に教わった方法だ.なるべく全員を巻き込むように,一人一人に各問題点の解決策のアイディアや,誰がキーマンになりそうなのかを聞いていった.普通,この方法であると,最後には,自分たちが出したアイディアであるので,キーマンも自分で手を上げて実行を約束してくれる.そして,約束してくれたものは,事故等がおきない限り,実行してくれるものだ.だが,この会議では,マネージャ連中は誰も発言しなかった.発言を促してもずっと押し黙ったままだ.さすがに俺も疲れ果ててきたので,やってはいけない「対策指示」の押し付けをしてしまった.ただ,不良症状が50項目ぐらいあったのでそれでも時間がかかった.
 
5.以上!!

 翌日,工場でアンディーがトンでもないことを発見した.昨日指示していた改善事項がなされていないのだ.俺は早速ラインリーダに事情を聞いた.
どうやら,指示事項が各マネージャから各部署へ伝わっていないらしく(もちろんこのラインリーダにも伝わっていない),簡単な工具すら用意されていなかった.(さすがに,部署間のインターフェースを俺がとるわけにも行かず,指示自体は彼らマネージャから指示が行かないと,マネージャの面子が立たなくなるので部下も動きづらい.)さすがの俺も,これには切れた.
 "Andy!! Call the managers for meeting!!"
 アンディーが事務所に飛んでいった.
 俺は,会議の席で,相手方のマネージャを絞っていた.(このようなときは,日本語の通訳が逆恨みに合うらしいので,俺は,日本語の通訳に俺からの話であることを強調して貰い,さらに,俺自身も片言と板書で同じ事を伝えた.)さすがにその後3日間ぐらいは,きちんと各部署に指示が伝わって行ったようだ.ラインリーダにも指示が伝わっていた.彼はまじめな性格なのか,黙々と管理作業を行っていた.
 直行率も75パーセントぐらいになってきた.出荷検査がやっと出来るぐらいの数量が完成してきた.
 アンディーと俺は,抜取検査を開始した.だが,いつもであれば不良検出などないのに,今回は,ぎりぎりロットアウトになる数まで不良が検出された.俺は,また,不良解析に向かった.
 その間にも,この状況をレポートにまとめて本社に送る必要があった.俺は,10ページほどのレポートを手書きでまとめFAXした.その協力会社及び,俺の会社のマネージャ連中へのいやみをたっぷりとそのレポートに乗せて.そろそろ俺のビザも切れそうなことも含めて.そう,俺は,この国を一度出なければならなかった.それにしてもどうだ.何で,この工場のマネージャ共は事務室に張り付いているのであろう.アンディーも不思議に思ったのか,色々調べていた.アンディーの話では,どうやらこのマネージャ共は,工場立ち上げスタッフが工場を立ち上げた後,すぐに入れ替えの形で来たようだ.それも,中途採用後,ろくな社内教育もなくこの工場に送り込まれたようだった.協力会社の日本人スタッフも同じだ.この人たちも日本の一流会社よりの転職で,技術力や知識はあるが,転職後すぐにブリーフィングもなくこの工場へ叩き込まれたようだ.そのせいで,ここの工場のマネージャのかわりに,購買から出荷手配までを,3~4人の日本人スタッフと通訳が行っていたようだ.どおりで,日本人スタッフに初めて会ったときから疲れ果てていて,この祭りを阻止できなかったというわけだ.
 疲れがたまってきたのか,技術力不足か,なかなか不良解析が進まない.とうとうビザが切れる日になった.どうやら後続に,この製品の設計を管理している設計屋が後を引き継ぐようだ.(かわいそうに……)代わりの人間は,俺がこの工場を去らなければならない時間の10分前に到着した.俺は,今までのレポートのコピーを引継ぎ者に手渡し,タクシーに乗った.そのまま,気絶するように寝込んだ.

 日本に戻った翌日,この製品のアメリカから受け入れ検査の結果がやってきた.結果はロットアウトであった.その翌日に俺は,アメリカに飛んでいた.飛行機の中で俺は「以上」感の中で漂っていた.

参考文献
・翔泳社編集部 編,開発の現場Vol.2,2005,ISBN:4-7981-0973-8
・kudzu,笑わないプログラマ,http://s03.2log.net/home/programmer/

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