じゃらじゃらフォトセラ

箕面の身近な光景、草木や花の造形、神戸・京都などのんびり散歩しています。ゆったりカフェ気分でフォトセラピー(^o^)

ブログタイトルの意味

2009-03-10 | 【 よしなしごと 】
先日、ブログのタイトルを変更しました。
ついでに、ブログデザインも変えてみた。
タイトルにセラピーを謳ったので、デザインもちょっとアロマテラピーにしてみました。
感覚は違えど、五感を刺激すること、癒しになることとしては似てるかな、と(笑)


さて、前回はあっさりと変更の事実をお知らせしただけだったので、一応、少しだけ心つもりなどを。

実際に、“フォトセラピー”という言葉は世間で使用されていて、その概念は以前からあるようです。つまり、一般的な言葉であり、自分の造語ではないです。関係機関もいくつかあり、自分も一度は参加してみたことがあります。実際にはなんの活動もしないままで幽霊会員になってしまい、登録消滅の感じですが。。。



そのフォトセラピーの機関に関わらずとも、自分の中にはかなり前から“写真は癒し”という感覚がありました。自分の写真歴は35年になり、かなり早い時期からそれを意識していたので、多分、協会の発生よりも概念に近づいたのは早いと思う(ホンマか!?)


自分的に、写真には求めるものがあります。

「(写真を)撮るもの、撮られるもの、見るもの、三者全てが喜ぶこと」

これが、自分の中の写真に関する基本。
独りよがりで相手を傷つけるような写真は、基本、ダメでしょ。


よく、悩み事のあるときに、誰かに話を聞いてもらったら、それだけでも気が晴れた、落ち着いたってこと、あるでしょ。美味しいもの食べたとか、気持ちのいい所へ出かけたとか、好きなことに没頭してたら悩み忘れたとか。そういうのはみんな“癒し”になってるんだと思う。

話の聞き上手な人や美味しいものを作って食べさせることの好きな人って、それで相手を癒すいいパワーのある人だと思うな。 専門的な勉強をしたカウンセラーとか、セラピストに限らず、そうゆう力のある人っていると思う。

大抵が、相手との関係を上手く作っていける人だと思うけど、話ベタな人、対人の苦手な人だって中には、いると思う。かくいう自分がそうで(笑)


でもね、そんな人でも、癒しの力のある人はいる。
例えば、花を咲かせるのが得意な人。その人は例えば話しベタであっても、多くの人を喜ばせたりいいパワーを与えることがきっとできてる。絵や文章を書く人もしかり。

自分の目指すのは、そうゆう力を発揮できる写真であること。

見る人にとって、“リラックス”や“和み”につながるものであってほしい。

“三者”が全て喜ぶっていうのは・・・
撮っているとき、自分はかなり幸せです。他のことは一切忘れてる。もう、自分が眼と心だけの生物になったかのような感覚でファインダーを覗いてる。
で、その行為だけで自分的にはかなり癒されてもいるんだけど、うまく写った写真を、誰か喜んでくれる人がいるかな・・・と考えたり、そういう気持ちで人に見てもらうことはすごく前向きなパワーになっています。

その写真に写っているのが人物であれば、その相手にも喜んでほしい。
普段の自分と違った一面が写っていたり、より良く映っていて嬉しく思えるように。ま、自分は人が苦手なので、あんまりそういうのには手を出さないけど(笑)

例えば花なら、その花が、或いは花の育ての親とか、後ろについてる花の精だとか(?)が喜んでくれるもの。

どうぞもっとたくさん見てもらってね、と言われるようなもの。

そんなことが、自分の心の中にあります。
たった「写真」という一言の中に。


以上、つらつらとまとまらない話を長々書き綴ったけど、心機一転でブログの変更したから演説してみました(笑)近所で写真撮って歩いてる時は不審人物の扱い受けること多々あるけど、こんなこと思ってる人間なんだよ・・って、ちょっとワカってよってのもあるかな(笑)


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最近、身近に起きていることで、すごく人の心の力みたいなものに触れる機会があるので触発されたっていうか。音楽や舞踊、演技、絵、芸術的なことって、ともすれば実社会の役に立たない自分勝手な趣味って誤解を受けることもあると思う。職業的に成立していない場合などは特にね。

でも、そんなことないって、声を大にして言っておきたいな。

アナタのその衝動は、きっと誰かの力になっているんだよ、って。
自分だって、そう言ってもらいたいし、それを実感できたらほんと嬉しい。

確か・・・20数年前の寮生活の時、友人とそんなこと語り明かしたっけか・・・・
なんか思い出しちゃったな。。


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