“成人の日” に特にコレと言った思い出は・・・ない。
記憶にないというのではなく。
覚えてはいる。
その日が他の前後の日と、これと言って何も違うこともなく
ただ、流れるように過ぎていっただけの日だったことを。
18歳で家を出て、その頃は東京都民。
文京区に住民票を移していたのでちょっと思いがけないことが、あるにはあったけど。
その頃は自立できるか否か、本当に自分の体だけを資本に生きていたので
アルバイトを三本立ては当たり前の生活していて。
当時から数年間は丸一日の休みというのが全くなかったといっていい状態。
当然、世間が成人の日と騒ぐその日も、アルバイト。
大体が、慣習や体制的なことが嫌いな性格で
当時もせいいっぱいツッパッテいたので
『いまさら、20歳になったってことで何が変わるっていうのさ』
『昨日の続きが今日も来るだけのこと』
そんな風で。
気持ちの中には、
『そんな風に形式や世間での慣習に則らないでも、自分で大人になっていけばいいんじゃないの?』くらいの思いがあったかな。。。。
やせ我慢や“への突っ張り”なんてのも含めてね。
でも実際、田舎の連中など過去との交際は、ほとんど絶っていたし
皆で集まるなんてことも数百kmの遠い彼方のこと、
お祝い、なんてまるで自分のこととは思えなかった。
バイトを終わらせて、もう一つのバイトに出ていると
(居酒屋で働いてました)
常連のべらんめえオッちゃんがひときわ大きな声で呼ぶ
「おい、ショウネン!」
(18の頃から働いてたので、“少年”というあだ名で呼ばれてた)
「はい?」
「お前、今日の新聞に出てたぞ!」
「え???」
(そんな悪いことはまだしてないぞ?)
「お前、今日成人式だってな」
「・・あ、 そうか」
「“あ”、じゃねエだろう。自分の成人式だろ」
「ああ・・・そうですね」
文京区で、新成人になる人というのが全部新聞に出ていたんだそうな。
住民票を移していたからこそ、の出来事。
しかも、その中のたった一個の自分の名前を見つけてくれていた
江戸っこのおっちゃん。
口は悪いが気風のいい人で大好きだった。
「お前も もう“ショウネン”って呼んじゃあ悪いな」
(それ、いまさらかいっ!)
ま、その一言が当時の自分にとって
最大の成人への手向けになったかな・・・
そんなことを思い出した