オトン介護日記~未知の世界へ~

認知症になったオトンの介護日記。
不安と不満を延々ぶちまけます。

とうとう…(その2)

2014-10-31 22:23:49 | 介護日記
きっと、この「とうとう…」シリーズはかなり増えるものと思われる。

で、何がとうとうかというと…。

とうとう
ウ〇コ洩らしやがった…(><)

私が仕事へ行く支度をしていて、オトンの近くを通り過ぎた時、
「ん?」
ちょっと鼻につくぷーんとした匂い。
ちなみに私は家族の中で一番鼻が利く。

オカンを密かに呼び寄せ、オトンに気付かれないように
周囲の匂いが嗅がす。
「…たしかに」
オカンも納得した。

が、小さい子供なら「今すぐにパンツ脱いで!」と言えるけど、
相手は大人だから言いづらいし本人にもやっぱプライドあるだろう…ということでこちらも躊躇してしまう。
私は出勤時間が迫っていたので「とにかく確認してみて」と言い出かけた。

帰宅してオカンに確認したら、やっぱり洩らしていた。

今までの通算、小3回、大1回。
オカンが「あと1回したら紙オムツ穿いてもらうからね」と最後通牒したそうだけど、
今現在そんなことがあったことすら本人は忘れている。


年を取ると赤ん坊に戻るというけど、
赤ん坊ならいつかオムツも取れて、一つ一ついろんなことができるようになるけど、
オトンの場合はオムツは一生ものになり、段々できないことが増えていく。

これマジつらいって。

予定外出費

2014-10-29 23:01:49 | 介護日記
予定外ってより予想外。てか想定外。

オトンが認知症になって、諸々おカネがかかることはある程度覚悟できてきた。
病院代やデイサービス利用代金、オムツ代(まだ使ってないけど)などなど。

こういう、いわばありきたりなものとは別にまさかとコレが…。

スリッパ代だ。
たかがスリッパ。されどスリッパ。どっこいスリッパ。

トイレのスリッパとオトンのスリッパ。
今月だけで3個は使っている。

いままでスリッパなんて、年2回夏物冬物と交換するくらいだったのに。

いやはや、まさかのスリッパ。

オトンが自分のスリッパでトイレに行くまでの間にお洩らしして、ハイ交換。
トイレに行ったら行ったでウォシュレットを溢れさせて、ハイ、トイレスリッパ交換。

ズボンなどの衣類は仕方なしに洗うとしても、スリッパまでは洗いたくないのでゴミ箱へポイ!

そんなわけで、我が家のスリッパ消費率が極端に上がっている。

まさか、こういうのが出てくるとは思ってもみなかった。





忠犬オトン

2014-10-28 23:40:14 | 介護日記
ハチ公みたいなかわいい犬だったらいいんだけどね。

70過ぎたじーさんがこういうことすると、正直ウザイ。

認知症の症状の一つ。
というか最たるもの。
同じことを何度も何度も聞いてくる。

特に多いのが、
「お母さんはどうした?」
「お母さんはどこへ行った?」
認知症が始まってから、オカン依存症になっている。

特にオカンが風呂に入ってる時。
「お母さんはどこへ行った?」
「今お風呂」
「そうか。ところで、お母さんはどうした?」
「だから今お風呂」
「そうか。ところで、お母さんが見当たらないんだけど?」
「だからぁ…(怒)」

…以下オカンが出てくるまでエンドレス。
志村けんのコントでこういうのあったけど、(「ところでメシはまだかねぇ」ってヤツ)
今となっては笑えない(T T)

でもって、これ一秒おきよ。マジで。
右向いて左向いたらもう忘れてるってまさにこのこと。
鶏だって三歩分は記憶してるだろうに。
毎日だよ、毎日。
毎日毎晩繰り返される。

朝はゴハンの支度している時ずっと、キッチンのテーブルに座って
オカンの後ろ姿を見ている。
洗濯をしている時も同じく。
居間にオトンがいて、オカンが洗濯を干す準備をしている時、
何度も何度も廊下を往復してオカンを探す。
見つけてまた居間に戻りまた探す。
時にはじっとその場で待っている。
さながら、主人の帰りを待つハチ公のように。

かわいいいの定義って、小さくて丸っこくって柔らかいってのがあると思うけど、
まったくもって当てはまらない。

今までなんて、休日はオカン残してゴルフ三昧の生活してたくせに。
途端にこれだもんね。
病気と分かっていても腹立つよ。

施設訪問2件目

2014-10-27 16:00:40 | 介護日記
最初に行った施設は、昔、スポーツマン(自称)だったオトンには物足りないかも…
ということで、ケアマネさんが別のデイ・サービス施設を紹介してくれた。

そこも家から割と近く、もともと病院だったところで
私も小さい頃はよくお世話になった場所。
今はケアハウス兼デイサービス施設になっている。

いつもと違う散歩コースに行こうと理由をつけて家からそこまで歩いていく。
途中ちょっとした段差で躓くオトン。
ケアマネさんがオトンの歩き方を見て色々と確認をする。
こういうことでもやっぱ分かるんだ…と感心する私。

施設に着きなんとなく昔の面影があるなぁと外観を見ていると、
ちょうど利用者さんたちの通院時間とかさなり、
送迎車から降りてくるおじいちゃん・おばあちゃんたちとご挨拶。
みんないきいきしてるように私の目には映った。

さてオトンはというと、
ここの施設には自転車のトレーニングマシーンが置いてあって、
これで弱った足を鍛えて、体を動かす楽しみを思い出してもらおうというのが目的。
あと、皆の輪に混じって一緒にレクリエーションにも参加してもらえたら…
と思っている。

いるんだけど…、
出たオトンの屁理屈病。
自分はもとスポーツマンだったからこんな なまっちろいマシーンは意味がないみたいなことを口走り、
「昔は、走って鍛えた」とかぬかしやがる。
オマエ…今走れんやろが!擦り足で歩いとるやろが!(= =メ)
自分の今の状態を全く理解していない。

全然やりたがらないので、誘い水になればと
とりあえず私がマシーンに乗って自転車をこぐ。
おぉ!これ効く効く。
ちょっと家に欲しいかもwww

さて、オトンに振ってみたけど…
「俺はいい」の一点張り。
ケアマネさんとそこの施設の看護師さん理学療法士さんも
一緒になっておだてたりしてみたけどまぁ頑固。
しばらくそんなやりとりがあって、
最終的にはオカンの「乗ってるとこ見てみたい」の一言で
渋々マシーンに乗る。

さすが、忠犬オトン!
オカンの言うことだけは聞くw

が、ものの1分も経たずに「もういいだろ」ときたもんだ。
「どうでした?」とケアマネさんが聞いても
「私には必要ありません」と言いまたスポーツマン話を繰り返し、興味も関心も示さなかった。
とっとと帰りたがるオトン。
施設の人に深々と頭を下げて施設を去る我々。

施設から家までの道すがら、ケアマネさんと色々話す。
私)「こんなんで、すみません…」
ケ)「男の人は最初なかなかこういう施設に馴染みにくいですから。
   今、これだけ歩けているのでこの状態を維持できたらいいですね。
   他の人と話すことなく黙々と体を鍛える環境の方がいいかもしれないですね。
   今度はもっとトレーニング器具が充実している施設に行ってみましょうか」

ということで、来週3件目の施設訪問が決定した。

ケアマネさんありがとうございます。




希望はあるのか?

2014-10-26 22:56:29 | 介護日記
不安
イライラ
ショック
動揺
イライラ
諦め
自己嫌悪
イライラ
諦め
イライラ
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オトンの物忘れが始まってから現在までの気持ちの変動を自分なりに分析してみた。

最初は年相応の物忘れなのかそうじゃないのかの判断がつかないで
どうなんだろう?と様子伺いの不安な日々。

そのうちトイレを汚すとかトイレのスリッパで居間まで来るとか、ズボンのベルトがきちんと通せないとか…
ちょっとしたことが起こり始め、でも注意すれば気を付けるんじゃないか、元に戻るんじゃないか
とこちらもやっきになってオトンにきつく言う日々。
最初のイライラ。

物忘れの増加や奇行(就寝後何度も起きて同じことを繰り返すなど)が顕著にあらわれ、
こりゃ、ヤベぇな…と思い病院へ連れて行き「認知症」という言葉を医者の口から聞いた時、
とりあえずショックを受けたとしかいいようがない。
これからどうしようか…とか先々のことを考える余裕なんてなかった。
ただただショック。衝撃。

今後どうしたらいいんだろう…と、とりあえずインターネットで情報を漁る。
色々の方の症例を見て「ウチはまだ軽い方なんだ」と一喜一憂。
え?でもこれっていつまで続くん?…と先の見えないことに動揺。

オトンは認知症なんだと分かっていても、何度も何度も同じことを聞いてくる
それに対してのイライラは半端ない。
一度こっちも堪忍袋の緒が切れてかなりキツく言い返したら、
とうとう私には手をあげてくるようになった。
しかし、数秒後には今、私に手をあげたことを忘れているオトン。
マジ、イラつくって。
この場を借りて本音ぶちまけますと、
とっとと死んでくれてって思いますよ。
コレ、マジで。

でもって、そんな風にオトンに言ってしまった自分とそう思ってしまう自分が許せないのと
オトンにムカついたのとオトンに手をあげられてショックがごちゃまぜになって、
自分の部屋のドアにカッターナイフで切りつけた。
ついでに自分の腕にもナイフをあててみた。
(一気にいく勇気まではないwww)
数か所ミミズバレ程度の傷がついたところで、痛痒くなってきて
「アホらし…」と思ってヤメた。
部屋にはナイフの傷跡が残った。
あ~あ…自己嫌悪。

しかし、人間とは慣れていく動物で…
次第に日々の小さいことには慣れると同時に諦めていくことになるんだなと分かった。
トイレのスリッパのこともベルトのことも、最近ではもう私たち家族は何も言わない。
言ってもオトンには分からないということが分かったからだ。
これは諦めと言っていいのだろうか?
自分がおかしくなる前の自己防衛本能なのだろうか?

でもって、今現在このイライラと諦めを日々交互に繰り返しているような状況。

書店で著名人の介護に関する本を読んだけど、何かキレイにまとめられていて胡散臭くて最後まで読む気にならなかった。
現実ってもっとシビアじゃね?ハードじゃね?
それともそれだけ年数を重ねると私もそう思えるようになるのかしら?

とりあえず希望は見いだせていない。