著者 長谷川煕
注:熙の「巳」の部分が正しくは「己」だが、引き出すことができなかった
朝日の記者が身を賭して書いただけあって、なかなか読みごたえがあった。
戦中から戦後にかけての、朝日の行った一連の欺き行為、そして内部に潜む反日本政府の記者たち、これらをすべて暴いてくれた著者の勇気ある行動に感服するとともに、
その個所個所は驚くべき事柄の連続であった。
この「そうだったのか」の部分を抜き出すことで感想にかえることにする。
パブロフのイヌ的人間が朝日新聞にはうようよしていたとして北畠清泰と松井やよりと聴濤克巳を紹介している。
北畠清泰は条件反射の典型的な人間で、1988年には「朝日新聞に左翼でない人間はいるのかなあ」と言ったご仁である。
松井やよりは条件反射の典型的な人間で、OBになってから慰安所糾弾の模擬法廷開催に突き進んだご仁である。
戦時中にマレー半島で行った日本の兵隊による残虐行為を著者が調査していた時、
華人の婦人から「シンガポールにいるという日本の朝日新聞の女性記者が、『虐殺は日本軍がやったことにしておきなさい、かまわない』と言ったんです。そしてその記者の名前は『マツイ』と言いました。」と聞いた。
聴濤克巳は朝日新聞社が生み出した戦後のいわゆる「マルクス主義革命家」の一人
吉田証言は今となっては捏造記事だといわれているが、吉田証言を覆した最大の功労者は、郁彦と西岡力である。
戦中の朝日新聞は「一億一心火の玉に」「欲しがりません勝つまでは」で国民を煽り続けた。
レッドパージ(1950年GHQが行った赤狩り)
朝日は105人、NHKは119人共産党員または共産党同調者を解雇した。
このため以後は隠れ共産党員や隠れ同調者が増えていった。
2回目に続く
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