小浜真英氏(瓦職人)作のシーサー その12 そのほかのシーサーアラカルト
そのほかのシーサーアラカルト
竹富島の港の売店では、シーサーのミニチュアが販売されて、毬を持つシーサーを記念に買って帰りました。
多彩な表情をしているシーサー達。そのときの作者の気持ちを投影しているようにも思われました・・・
小浜真英氏(瓦職人)作のシーサー その12 そのほかのシーサーアラカルト
そのほかのシーサーアラカルト
竹富島の港の売店では、シーサーのミニチュアが販売されて、毬を持つシーサーを記念に買って帰りました。
多彩な表情をしているシーサー達。そのときの作者の気持ちを投影しているようにも思われました・・・
小浜真英氏(瓦職人)作のシーサー その11 初めの頃のシーサー
初めの頃のシーサー
初めの頃のシーサー
小浜真英氏の初めの頃のシーサーは、足が細かった! と木村さんが話してくれました。
足の細いシーサーも幾つかありました
小浜真英氏(瓦職人)作のシーサー その10 とぼけ顔のチャーミングなシーサー
とぼけ顔のチャーミングなシーサー
とぼけ顔のチャーミングなシーサー
2010/11/04 12時00分配信 - 社会・一般 - http://www.yaeyamanippo-news.com/news.cgi?no=3924&continue=on
海岸の漂着ゴミが問題になっている中、流れ着いた発泡スチロールを燃料に変えるプロジェクトが昨年から沖縄県竹富町の鳩間島で行われている。そして11月4日、装置をさらに小型化した車両移動式油化装置の公開実験が行われた。
「宝の島プロジェクト」と名付けられたこの取り組みは、日本海難防止協会が日本財団の助成を受けて行っている。離島を対象に、回収した海岸漂着ゴミの中の発泡スチロールを油化装置によって可燃性のスチレン油に変換し、離島内でエネルギーとして有効活用させていこうというもの。国内初の試みとして2009年11月、鳩間島に固定式油化装置を設置。島民らによるNPO法人「南の島々(ふるさと)守り隊」も発足し、月1回ペースの稼働で約20リットルのスチレン油を抽出している。
今回、同じ処理能力を持ちながらさらに小型化し移動可能にした「車両移動式油化装置」がお披露目され、公開実験が行われた。固定式の重さは約5トンなのに対し新装置は約2トンと4トントラックに搭載できる大きさ。1時間当たり10キロの発泡スチロールが処理でき、6リットルのスチレン油が取り出せる。海岸を移動しながらの処理や他の離島での活用も期待できる。
当日は関係者や島民のほか、西表島でエコ活動に取り組む上原小学校の西表ヤマネコクラブの子どもたちらが参加。お披露目式で竹富町の川満栄長町長は「鳩間での取り組みが発信され全国で取り入れられていくことは素晴らしいこと。竹富町の各島々を美しくする、この町にふさわしいプラントとして生かされること願う」とあいさつ。デモンストレーションでは参加者が発泡スチロールを投入し、抽出したスチレン油を使って動かした発電機で綿あめやかき氷を作ってみんなで食べた。
普段ビーチクリーンなどを行っている上原小5年の岩本海南斗くんと6年の陶山遙くんは「ゴミが油になってビックリした。いろんなものに使えたらうれしい。飛行機を飛ばせたらいいな」と話していた。
同協会研究統括本部部長・主席研究員の大貫伸さんは「今後は八重山、対馬・壱岐・隠岐、佐渡島をそれぞれ中心とした3地域でプロジェクトを展開していく予定。その時にはNPOの皆さんにも手伝ってもらいたい」と語り、鳩間島の取り組みに期待した。
□スチレン油の使い道は
スチレン油は灯油やA重油に近い性状を持ち、有害成分が出にくい可燃性の液体燃料。ボイラーや焼却炉の代替燃料としてそのまま利用できる。だがディーゼルエンジンの燃料としては、そのまま使えず軽油に最大20%程度まで混合して使う。
□用途を広報・普及させ、島の活性化に生かす
鳩間島は周囲約4キロ、人口約50人の小さな島。そこに大量のゴミが流れ着く。台風の後は特に大変で、海岸にある緑の茂みの中に押し込まれいるので回収作業が難しくなる。
固定式油化装置が設置されてから、ビーチクリーンで回収したものや対岸にある西表島からも発泡スチロールが運ばれて処理している。島では抽出したスチレン油を風呂のボイラーに使用しているが、寒い地方と違って消費量はごくわずか。「使い道が課題」と話すのは、NPO法人南の島々守り隊の理事長・浦崎金雄さん。島では「年寄りが多いので、用途を理解してもらうのが難しい」と言う。そこで「西表島で回収した分は、西表島のホテルなどで使ってもらうなど、油を回収したところに返すサイクルができれば」と提案する。
浦崎さんも観光客向けのサービスに生かすなど、島の活性化につなげる「使い道」を思案中。そして多くの人に普及させることが必要だ。さまざまな課題があるものの、鳩間島でプロジェクトが行われる意義について「こんな小さな島でも地球環境のことを重く受け止めていることが伝えられる。同じことが大きな町では大したことがなくても、島で起きれば一大事だから」と語る。
この日の最後に鳩間小学校4年生の本間康太郎くんが手を上げて話した-「この小さな島の取り組みが日本や世界中に広がってくれたらうれしい」。子どもたちに託せるプロジェクトとしたいと、きっと大人たちも思ったに違いない。
ぐっさんの感動偉人伝!地球を救うエコヒーロー!
環境破壊の原因となる「ゴミ」を、情熱とアイデアでリサイクルし、新しいものを生み出す人たち「エコヒーロー」を人気芸人たちが紹介。
出演者【出演】山口智充、なだぎ武、インパルス、バッドボーイズ、佐藤麻衣【コメンテーター】香坂玲(名古屋市立大学准教授・大学院経済学研究科)
番組内容現在日本で廃棄されるゴミの量は1年間で約5億トン。その弊害として環境破壊や大気汚染などの問題を抱えている。しかし世の中にはそのゴミをリサイクルし、新しいモノを作り出す「エコヒーロー」が存在する。そのエコヒーローの活動を、芸人たちが時に笑い、時に感動しながらマジメに手伝うことで環境問題を考える。また、世界最先端のエコ事情を話題の上海万博からレポート。
小浜真英氏(瓦職人)作のシーサー その9 屋敷のつくり
赤瓦の伝統的な屋敷はこのような間取りが
一番座(応接間)
大きな島材(島で育つイヌマキが貴重材として使われるとか・・・)を使った柱や貫(ぬき)(木造建築で柱等の垂直材間に通す水平材)
天井や床には、竹の簀子(すのこ)で暑さをしのぐ工夫がされていました。
床の畳の下に竹の簀子(すのこ)が敷かれていました
雨で土が流れるのを防ぐ工夫が、瓦で・・・
小浜真英氏(瓦職人)作のシーサー その8 赤瓦
お父さん(小浜真英氏)と一緒に瓦職人として働いていて、今も竹富島でお土産用の焼き物などをしていると言う木村泰司氏に案内していただきました 。
修復用に保存している赤瓦を取り出して、組み方を説明をしていただきました。
出典:沖縄大百科 赤瓦
【あかがーら】 赤瓦は沖縄に定着しているように思われがちだが、昔は灰色系の瓦が主流で、赤色系の瓦が現れるのは18世紀だという。このころ社寺や役所などの建設が盛んになり、瓦需要がにわかに高まった。そこで経済的な理由で、各地で瓦生産が可能な赤瓦が生産されるようになったという。
赤瓦は男瓦(ウーガーラ)と女瓦(ミーガーラ)から構成されている。男瓦は半円筒型の一端に玉縁(たまぶち)という部分がついている。玉縁とは接続部のことで、これと女瓦で一組となる。女瓦は平板を少し反らせた形で、女瓦を葺き並べた継目の上に、男瓦をかぶせて葺く。瓦のジョイント部分は漆喰で塗り固めるため耐震耐風に優れた瓦となる。
なお瓦葺きが一般に認められたのは明治以降のことで、漆喰のシーサーを屋根に置く風習もこの頃から始まったようだ
赤瓦は男瓦(ウーガーラ)と女瓦(ミーガーラ)から構成されている。男瓦は半円筒型の一端に玉縁(たまぶち)という部分がついている。
女瓦は平板を少し反らせた形で、女瓦を葺き並べた継目の上に、男瓦をかぶせて葺く。瓦のジョイント部分は漆喰で塗り固めるため耐震耐風に優れた瓦となる。
修復用に保存している赤瓦を取り出していると、瓦と瓦の隙間から「サソリ」が・・・
日本にもサソリがいることを知りました。
赤瓦と漆喰で屋根を仕上げた職人が、家主にお礼として
余った瓦片と漆喰でシーサーを作り屋根に飾りました。
それが原点です!
瓦職人、小浜真英 氏作のシーサー その7
吠えているシーサー
吠えているシーサー、茶目っ気のある吠え方を感じる作品ですね。
瓦職人、小浜真英 氏作のシーサー その6
大きな牙をむいているシーサー
大きな牙をむいているシーサーですが、その姿になんとも愛嬌を感じます。
瓦職人、小浜真英 氏作のシーサー その5
にらみを利かすシーサー
にらみを利かすシーサーの躍動感・迫力を感じます
瓦職人、小浜真英 氏作のシーサー その4
毬を持つシーサー
私が持っているガイドブックでも、お父さん(小浜真英氏)が作ったシーサーが紹介されておりました。
毬を持つシーサー
魔除けとして家を守るシーサーの数は、竹富島では100を超えると言う。個性あふれるシーサーを観察して歩くのも楽しい。
小浜真英 氏作のシーサー は、晩年になるほど個性にあふれて、深みのある表情がなんともいえない味をかもし出しているように思われます。
瓦職人、小浜真英 氏作のシーサー その3
魚をくわえたシーサー
魚をくわえたシーサーとして、良く紹介されます。
出典:ウイッキペディア シーサー
シーサーは、沖縄県などでみられる伝説の獣の像。建物の門や屋根、村落の高台などに据え付けられ、家や人、村に災いをもたらす悪霊を追い払う魔除けの意味を持つ。
名前は「獅子(しし)」を沖縄方言で発音したものである。八重山諸島ではシーシーともいう。
スフィンクスや中国の石獅(石獅子、en:Imperial guardian lions参照)、日本本土の狛犬などと同じく、源流は古代オリエントのライオンもしくは犬と伝えられている。
元々は単体で設置されていたものだが、おそらくは本土の狛犬の様式の影響を受けて、阿吽像一対で置かれることが多くなった。阿吽の違いにより雌雄の別があり、各々役割があるとする説もあるが、研究文献等にそのような記述は見られず、近年になって創作された俗説である可能性が強い。
各戸の屋根の上に置かれるようになったのは、庶民に瓦葺きが許されるようになった明治以降である。それまでは、寺社や城の門、御獄(うたき)、貴族の墓陵、村落の出入り口等に設置されるのみだった。材質は石や陶器(素焼きまたは本焼き)、漆喰(しっくい)によるのが基本だが、近年ではコンクリートや青銅製のものもある。
瓦職人、小浜真英 氏作のシーサー その2
かってお父さんと瓦職人をしていた息子・健作氏は、今は大きなホテルの料理人として働いています。
今回の石垣島訪問で、兄の娘婿・純次氏と一緒に弟・健作氏の話を聞き、お父さんと一緒に瓦職人として活躍していた時のことを聞く事が出来ました。
話を聞いた翌日、竹富島にお父さん作のシーサーの写真を取りに行く事を話すと、弟・健作氏が連絡を取ってくれて、お父さんと一緒に働いていて、今も竹富島でお土産用の焼き物などをしていると言う木村泰司氏が急きょ案内していただける事になりました。
石垣市の離島ターミナルからフェリーがおおよそ30分間隔で出ており、竹富島へは約10分で着きます。
港で待っていてくださった木村さんの車で、町並みまで運んで戴きました。
車の中から、瓦職人として使っていたコテを見せてくれました。相当使い込んでいることが一目で分かりました。
ブーゲンビリアなどの咲き誇る「民宿 松竹荘」には、初期に作られていたもの(左)と新しく作られたシーサーの2対が、歴史を感じさせていました。
瓦職人、小浜真英氏とその息子・健作氏
2011年11月から12月にかけての10日間、3度目の石垣島訪問をしました。
娘が嫁いでおり、3人目の孫(男児)の誕生と言う事で、妻と一緒に出かけました。
娘婿は、石垣市内の大きなホテルの料理長をしていましたが、独立して今年の5月に「琉球割烹ダイニング 司」をオープンしており、これも訪問する楽しみの一つでした。
これまで2回 石垣島に行った時は、娘夫婦が石垣島や西表島・竹富島を案内してくれており、特に竹富島は印象に残り、ブログにも訪問記を書きました。
娘婿のお父さんは、今は高齢(76歳)で病院で介護のお世話になっておりますが、
かっては瓦職人として活躍し、竹富島の赤瓦の屋根にあるシーサーのかなりの部分が、お父さん(小浜真英氏)が作った物であることを知りました。
前回、竹富島の「町並み」を案内してくれた時、娘婿はお父さん(小浜真英氏)が作ったシーサーを全部知っており、教えてくれました。
小浜真英氏の息子・健作氏(左)と兄の娘婿・純次氏(右)
かってお父さんと瓦職人をしていた息子・健作氏は、今は大きなホテルの料理人として働いています。
今回の石垣島訪問で、兄の娘婿・純次氏と一緒に弟・健作氏の話を聞き、お父さんと一緒に瓦職人として活躍していた時のことを聞く事が出来ました。
話を聞いた翌日、竹富島にお父さん作のシーサーの写真を取りに行く事を話すと、弟・健作氏が連絡を取ってくれて、お父さんと一緒に働いていて、今も竹富島でお土産用の焼き物などをしていると言う木村泰司氏が急きょ案内していただける事になりました。
毎日新聞 日曜くらぶ 2003年(平成15年)5月25日(日曜日) の特集記事より
赤瓦をふく作業の手を休め、語らう小浜真英さん(右)、健作さん親子。黄土色の漆喰は、乾くと白い色に変わる
弟・健作氏が大切に保存していた当時の、毎日新聞 日曜くらぶ 2003年(平成15年)5月25日(日曜日) の特集記事と、
下の2枚の写真を見せてくれました。
私が持っているガイドブックでも、お父さん(小浜真英氏)が作ったシーサーが紹介されておりました。