瓦職人、小浜真英氏とその息子・健作氏
2011年11月から12月にかけての10日間、3度目の石垣島訪問をしました。
娘が嫁いでおり、3人目の孫(男児)の誕生と言う事で、妻と一緒に出かけました。
娘婿は、石垣市内の大きなホテルの料理長をしていましたが、独立して今年の5月に「琉球割烹ダイニング 司」をオープンしており、これも訪問する楽しみの一つでした。
これまで2回 石垣島に行った時は、娘夫婦が石垣島や西表島・竹富島を案内してくれており、特に竹富島は印象に残り、ブログにも訪問記を書きました。
沖縄・石垣島に行ってきました・・・その1 (2008年11月26日 )
沖縄・竹富島へ行ってきました・・・その2 町並み保存
沖縄・竹富島へ行ってきました・・・その3 今も続く高知との交流
娘婿のお父さんは、今は高齢(76歳)で病院で介護のお世話になっておりますが、
かっては瓦職人として活躍し、竹富島の赤瓦の屋根にあるシーサーのかなりの部分が、お父さん(小浜真英氏)が作った物であることを知りました。
前回、竹富島の「町並み」を案内してくれた時、娘婿はお父さん(小浜真英氏)が作ったシーサーを全部知っており、教えてくれました。
小浜真英氏の息子・健作氏(左)と兄の娘婿・純次氏(右)
かってお父さんと瓦職人をしていた息子・健作氏は、今は大きなホテルの料理人として働いています。
今回の石垣島訪問で、兄の娘婿・純次氏と一緒に弟・健作氏の話を聞き、お父さんと一緒に瓦職人として活躍していた時のことを聞く事が出来ました。
話を聞いた翌日、竹富島にお父さん作のシーサーの写真を取りに行く事を話すと、弟・健作氏が連絡を取ってくれて、お父さんと一緒に働いていて、今も竹富島でお土産用の焼き物などをしていると言う木村泰司氏が急きょ案内していただける事になりました。
毎日新聞 日曜くらぶ 2003年(平成15年)5月25日(日曜日) の特集記事より
赤瓦をふく作業の手を休め、語らう小浜真英さん(右)、健作さん親子。黄土色の漆喰は、乾くと白い色に変わる
弟・健作氏が大切に保存していた当時の、毎日新聞 日曜くらぶ 2003年(平成15年)5月25日(日曜日) の特集記事と、
下の2枚の写真を見せてくれました。
私が持っているガイドブックでも、お父さん(小浜真英氏)が作ったシーサーが紹介されておりました。