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金魚姫ノート

金魚のひとりごと。金魚のあぶく。金魚の涙。金魚の吐息。

作文の記録 2019年 研究考察―「浪速と博多」

2025-03-09 | 作文記録
研究考察―「浪速と博多」

 息子は大学卒業後東京に就職した。「方言って可愛いなあ」と言うので、東京で東北の人と出会ったのかと思っていたら博多弁に射抜かれたようだ。あれから五年。福岡に居を構え、二人の子供にも恵まれて、イケメンと呼ばれる時期がないままイクメンに突入し、出産以外のことは何でもできるパパになった。
 昨春私の職場に女性が一人加わった。彼女の最初の言葉が「私は博多生まれで、関西人の主人のもとに嫁ぎ二十年。博多女と浪速男は相性が悪いと思います。いまだに関西の言葉に馴染めないので色々教えてください」と言われた。息子夫婦と同じ組み合わせで、しかも相性が悪いと、なんだか結論めいた説得力のある言葉に驚いた。その上、住む場所がアウェイの人が精神的に苦痛、つまり大阪に住む自分と福岡に住む息子さんは四面楚歌の立場だろう言う。あらあら履歴書の特技欄に「大阪弁のボケと突っ込み」と書きたいだろう息子はアウェイの地で、もしかして、滑りっぱなしの漫才師の気分を味わっているのかしらと、私は芸人の母の気持ちで心配が募る。
 職場の女性にこの母心を伝え、浪速と博多の意識のずれについての研究に協力してもらうことにした。
 研究考察①・・・私はよく「まあいいか」と言う。百点を目指してみるが八十点あれば許す、自分にも他人にも許容の言葉として使う。職場の彼女も「まあいいかっ」と言う。しかもそのあとに「どうでも」が付き、突き放す拒絶の言葉に聞こえる。彼女は「まあいいか」に「どうでも」は付き物と言う。
 研究考察②・・・私は仕事を引き継ぐときに「あとはエエようにしてね」と言う。これは「私はここまでしたので、続きはあなたの考えで進めてください」という相手を認めた言葉として使っていた。彼女は、勝手にしろと言われたようで、見捨てられたと思うと言う。
 研究考察③・・・「これなんぼやったと思う?」大阪人は金額がなんぼ?(価格がいくら?)を会話の中で多用するようだ。博多では金額を言うことは失礼で品性が悪いと感じるらしい。「なんぼするのん?」これは関西人の意味のないツナギ言葉で、なんぼ?と聞かれたら私なら「百万円!」と答える。関西人はつねに「なんでやねん?」の方程式が頭に浮かんでいる。相手に「ナンデヤネン」と突っ込んでほしいがための言葉遊びが日常になっているのだ。夫におねだりしたら、「なんぼするのん?」と言う浪花男と、その言葉におねだりを拒絶されたと怒る博多の女。「買うな!」と言われたら怒るのは当然だが、なんぼ?と言って、急に不機嫌になる博多女の心理を理解できない浪速男の様子が目に浮かぶ。
 浪速男は曖昧で適当な言葉で遊び、博多女は真面目にきっちりとした言葉で理解する。
 さて、1920年生まれの我が母の生き様から学んでみると、母の電話の声を聞くと相手がどこの誰かがわかる。東京の人には東京の言葉で、広島の人には広島の言葉で、テンポもトーンも自由自在である。相手と向き合うのではなく寄り添うことが母の教えであると理解する。
 そういえば、お正月に息子家族が帰阪したときに、息子が「リュックをからう」と言いながら、「いつのまにか僕が博多弁しゃべってるねん」と言う。ええやん、「知っとうと?」と言われて撃沈したんやから本望やんと私は思う。我が母の教えがわが息子に自然に受け継がれているかと思うと息子の博多弁も微笑ましい。
 研究の考察の結果、お互いにどの言葉に傷つき、どの言葉に怒ったかを伝え合うことがいかに大切であるかを知っておくべきだという結論に達した。
 今日も職場で、浪速女の私と博多女の彼女はお互いの理解を深めるための話し合いをしながら、誤解のない人間関係を作っていこうと努力している。
 浪速男と博多女の息子と嫁も、まだまだ人生先が長い。
 二人の共通語を見つけ、二人の気持ちの折り合いをつけて、幸せな家族を作り上げていってほしい。

家の前の公園の水溜りに逆さのPL塔をみいつけた。
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