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金魚姫ノート

金魚のひとりごと。金魚のあぶく。金魚の涙。金魚の吐息。

ウイングスニュース レポーター

2025-05-06 | 作文記録
昭和61年9月20日
「身近なスポーツライフ」近所友達家族ぐるみスポーツの勧め
この数年を振り返って、スポーツと名の付く事をいくつしたかしら?子育ては、どんなスポーツにも勝るものと自負して今日まできたけれど、この体重の増加は運動不足に他ならない。そこで持ち前の遊び心を発揮して考えたのが〝近所友達家族ぐるみスポーツ〟である。朝に夕に子供達を遊ばせながら母として、妻として、女としてコミュニケーションをはかってきたお母さん達とは、ツーと言えばカーの人間関係ができあがってきた。〝友達の友達は皆友達だ〟の言葉通りに、子供達の友人関係が母親同士の友情へとつながり、今では主人たちの参加も得て、春には卓球、夏にはプール、秋にはボーリング、冬にはスケートを、家族ぐるみでスポーツを楽しむことができるようになった。子供達は日頃の友達同志での休日スポーツに大いに喜び、親も交替で子供達を見て、一家族での休日より数倍楽しく、数倍楽である。スポーツをするには、一人では決心がいるし、特に小さい子供をかかえてでは始めから無理とわかっている。そんな育児真っ最中のお母さん達にお勧めするのが〝近所友達家族ぐるみスポーツ〟である。
体はおばさんでも、心は軽く。毎日時間を決めて近くに駐車場でジョギング。〝近所友達家族ぐるみスポーツ〟秋の部は、森林浴にバドミントン大会、秋の一日を大いに楽しみたい。

昭和61年10月19日
四歳の女の子、幼稚園で運動会の練習をしては家で披露してくれる。二歳の男の子、この夏、トイレトレーニング失敗に終わる。こんな二人の子供との生活が私のすべてで、美の創作、表現などという言葉は無縁のものである。でも子供が粘土細工の粘土であり、絵画のキャンパスとも言えるのは確かである。制作の途中で〝やりなおし〟と言って壊すことも破ることもできないことが、何とも神経を使う芸術活動であると言える。さて、ここでささやかな、私の芸術活動は、文芸・・・母を先生にして俳句を始めた。わずか十七文字で、季節をとらえ、心を伝えるなんて至難の業であるが、俳句を創ろうとすることで、自分のまわりのものにこだわって生活するという習慣が身についてきたような気がする。今まで、できるだけサラリと物事にこだわらずに過ごしてきた私だが、季節のものに目を向けることで、見るもの聞くものの美しさを心にとめることができるようになった。
絵画・・・いつの頃からか絵を観に行くことが好きになった。〝ローランサン展へ来ている〟その事実が心地好く、つい最近も上の子供が幼稚園へ行っている間に下の子供を連れて展覧会に行った。昨年だったか、上の子の手を引いて下の子をオンブして竹久夢二展へも行った。いつか家族で、スケッチ旅行へ行きたいと夫とも話している。そして、それも絵を描くというよりも〝家族でスケッチをする〟というそのこと自体が目的で、そんな家族になりたいという憧れがある。・・・ともあれ、根本、自分の人生を彩り豊かなものにする為に、美しいもの、楽しいことを十二分に感じることのできる感受性を養って61年秋、〝食欲の秋〟に終わらず〝芸術の秋〟のページも増やしたいものである。
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ウイングスニュース レポーター

2025-05-05 | 作文記録
昭和61年7月19日
「我が家の夏バテ防止法」青春真只中
ー青春と人生のある期間を言うのではなく心の様相を言うのだー私の大好きな詩の一部である。いつも輝いた目でいたい。その為にも今のこの一分一秒をも大切に生きたいと思う。夏バテ知らずに今迄きたのは、生まれつきのこの強靭な体の為だけでなく、輝いて生きることへの意気込みが作用しているのではなかろうか。夏、ギラギラ照りつける太陽のもとで、子供とお揃いの麦わら帽子をかぶって、太陽に向かって咲く❝向日葵❞の花のように・・夏しかできない海水浴へ、プールへとまで格好よくないが、家の前にビニールプールを出しての水遊び。目下、4歳と2歳の子供を抱えての夏はクーラーの部屋で、のんびり昼寝というわけにもいかず、炎天下、外で遊びたい盛りの子供を追いかけて、日焼け、シミ、ソバカスかえりみず、若さで乗り切るには、ちょっと苦しい年齢になってきたけれども、いえいえ心は永遠に❝青春真只中❞、これで乗り切るしきゃない!私の人生、一度きりの30歳の夏を、思いきり輝いて生きたい。

昭和61年8月22日
「私の変身願望」女らしく、もの静かな女性に・・・
学生時代、セーラー服の少女はいつも窓際に座り、運動場を眺めては、長い髪をしなやかな指でかきあげて、鞄から出して読む本はハイネの詩集、後ろ姿がどこか淋しげで・・・そんな少女になりたいと思っていた。でも私は、ショートカットの髪を振り乱してクラブの基礎錬に明け暮れ、友達とのおしゃべりが大好きな女の子だった。OL時代、廊下を音も無く歩いて、昼休みは編み物をして、重い荷物は男性まかせ、喫茶店で一人でコーヒーを飲む・・・そんな女性になりたいと思っていた。でも私は、社内をバタバタと走りまわり、重い荷物はお手のもの、昼休みは先輩たちとトランプに興じ、大声で笑う、そんな色気を忘れた女の子だった。そして結婚、ゴキブリが出たら「キャーッ」と言って主人にすがって助けてもらおう、ドラマのように、ごはんの匂いでツワリが始まって、「布団の上げ降ろしは僕がやるよ」って主人が言ってくれて・・・そんな妻のイメージに憧れていた。でも現実は、ゴキブリを見ると「キャーッ」の大声と同時にその辺の新聞紙をまるめて❝パシッ❞百発百中、ツワリは無くて、体重の異常増加に初めて妊娠に気付くという呑気な私、食べていれば気分が良いという❝食べツワリ❞の為、肥満の一途を辿り、その強さ、逞しさを知ってか、「布団上げなくていいよ、ひいたままでも死ねへんから」との主人の言葉に、これも主人の優しさのうちかと納得して、今日まで体力と健康と明るさのみで生きてきた。私は女らしく、もの静かな、いたわってあげたいような、そんな女になりたいのに、・・・これではいつまでたっても願望は願望のままで終わりそうである。まあ、とにかく自分の今ある健康に感謝して、陽的性格の為に多くの友と楽しく毎日を過ごせることに感謝して、私らしく、私っぽく生きていこう。でもでも、さしあたっては、健康のイメージが肥満のイメージにならないように、シャイプアップでも始めるか!

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ウイングスニュース投稿 

2025-05-04 | 作文記録
「小金台だより」は私が41歳からの2年間のひとりごとです。その時の読者はたぶん夫と母と姉の3名。当時、会社の休憩時間にキャノワードの入力練習のために制作したものです。
今、すでに子供たちがあの時の私の年齢を超えているなんてビックリです。
この機会に、「私の作文箱」からセピア色になった思い出の文章をブログに入れて、これもまた、手元のペーパーの終活です。
「私の作文箱」から、次に出てきたのは、「おおとりウイングスニュース」の投稿記事です。
地域の大型スーパーの月一回の新聞のレポーターに選ばれて、毎月編集会議に出席、課題を与えられて、取材をしたり、記事を書いたり、大好きなジャンルの仕事の携わることができ、その時のお給料で、ダイニングテーブルと椅子を購入し、貴重な充実の時間を経験しました。

「私の好きな散歩道」 昭和61年5月20日
奈良、春日の森は何といっても朝が良い。春、馬酔木の花の頃、森は緑色の空気に包まれる。老木の間から朝日がさし込み、朽ちて倒れた木を囲んで、朝露に濡れたシダの葉が揺れている。鳥のさえずりと自分の踏みしめる砂利の音だけの世界。体中が清々しく清められ、これぞ一日の英気を養う朝の散歩である。ささやきの小道と名付けられたこの道、乙女の髪飾りに似た馬酔木の白い花が、私にささやきかけてくれる。

「ウイングスニュースレポーター」昭和61年6月20日
私、はまぐちすみこ。30歳。4歳と2歳の二児の母、夫有り。カニ座生まれのA型人間。❝母性本能が豊かで、母となった時に人生の花が開く❞との運勢を信じ、ひたすら母となる時を待っていたけれど、今、二児の母となって「エー!これが私の人生の花開く時なの?」と少々不満足な私である。と言っても、えべっさんのおたふく飴のように私の体のどこを切っても❝母の顔❞が出てくる。妻の部分は?女の部分は?と捜してもひたすら母・・すっかり母・・どうしようもないくらい母・・。今、花開いた私の人生、その花枯らさぬように、散らさぬように、多くの人から、あらゆるものから栄養分を吸収して、花を咲かせ続けるんだ‼

「ウイングスについて」
大阪梅田で育った私は、家を一歩出ると地下街、夕食の買物はデパートといった、都会的生活をして娘時代を過ごした。それが結婚して住んだ所が、カエル鳴く堺、津久野の地・・喫茶店が恋しい、ウインドショッピングがしたい、そう思っていた頃に、鳳にウイングスが完成した。家から歩いて行ける距離で、ステキな喫茶店があって、繁華街のムードが味わえて・・ウイングスのおかげで私は生き返った。それから毎週のように、ウイングス通いが始まった。スーパーは買い物をする人だけが行くところ。今晩のオカズは・・なんて考えながら買物をしている人ばかり見ていては、自分まで主婦主婦してしまいそう。ウイングスは今日何も買わなくても、ウインドショッピングして、今度買う予定をたてたり、そんなウロウロする人がいて、まるで梅田みたい。まるでナンバみたい。将来は、堺のファッションの根拠地になってほしいものである。


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小金台だより 第11号

2025-05-03 | 作文記録
1998年1月19日
小金台だより第10号の夢の話。この夢の実現までにあと17年あります。私は今、企業の人事部で健康保険の仕事をしていますが、この仕事のプロとなるには社会保険労務士の資格を持つことです。少しでもプロに近づくために、労務士の通信教育を始めました。合格率7%の資格試験は、今のようにOL役、母役、妻役しながらの中途半端ではトライできないけれど、一部分しか知らない今の仕事の全体がどんなものかを知っておくのもいいかなと、毎日の通勤電車の30分だけの勉強ですが取り組んでいます。と言っても、電車の中の学生の会話は漫才よりおもしろくて聞き入ってしまいますし、せっかくの向学心も、ヒーターのぬくもりと心地良い揺れでの眠気が邪魔します。「資格を取る」という、自分の努力が100%必要な夢は持たない、ものぐさな私ですが、これは身の程を知っているから。けして、怠け者ではないのですよと言い訳しています。これがドラマなら、主人公の女性に才能があり、スイスイと社会保険労務士の資格を取り、大阪市内に事務所を開き、「今、浪速でをラキラ輝く女性」というコーナーで、女性誌のインタビューを受ける・・・などとドンドン物語りを発展させることができるのですが、残念ながら、現実の私はごくごく家庭的で、たとえ溢れるばかりの才能があったとしても、「イマノママガヨイ いまのままがよい」と呪文のように唱え続けて、けしてドラマにならないでしょう。みんなに見せるドラマにはならないけれど、人それぞれ自分のドラマの中で、主人公を演じ続けています。~浪速で輝く~とまではならないけれど、せめて~我が家で輝く~程度には自分を磨きたいです。そして、自分だけの自分のドラマに、拍手を送りましょう。


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小金台だより 第10号

2025-05-02 | 作文記録
1998年1月13日
「こうなればいいなあ」と思っていたことが、いつの間にかそのようになって、本当に夢のようです。
子供をオンブしながら、「子供の手が離れたら、ハイヒール履いて通勤電車に乗って、会社に勤めたい」って、キャリアウーマンの自分の姿を夢見ていたのが、ふと気が付くと、私は独身時代に勤めていた会社に再就職して、堺筋を胸を張って闊歩しているのです。
「夢とは叶わないもの」と思っていたけれど、こうなればいいなあの気持ちが神様に通じて、知らない間に叶っていくものなのですね。
子育て時代の私の夢はキャリアウーマン!勤務地は自転車や歩きで通うのではなく、電車で通勤し、願わくば、以前に勤務していた会社がいいけれど。子供が心配だから、その時は実家の母と同居できればいいな。
その夢がすべて現実となり、今、母と同居し、子供はお婆ちゃんが大好きで、私も安心してフルタイムの勤務ができるようになりました。
堺に住んでいたのですが、私は、いつかお日様がいっぱいで庭のある新築の家に住みたいという夢を持っていました。夫は古家でもいいから広い土地が理想で、私は小さくても新しい家が理想で、そして今新築で、庭があって前の家の3倍以上の家に住んでいます。
季節の花を咲かせて、小金台の花屋敷と呼ばれたい。夢はどんどん大きく広がります。夫が定年になったら、カフェをしましょう。薔薇を咲かせてハーブも栽培しましょう。
夫の夢は以前から「暖炉」と「ロッキングチェアー」。カフェに置きましょう。カフェではお婆ちゃんの手作りの「スイートポテト」と「フレンチトースト」が名物です。
毎年、8月1日のPL花火の日は、皆が集まって花火を見るパーティです。二階には宿泊ルームも作りましょう。大勢の賑やかな笑い声が聞こえるようです。
夢はいつか叶うものです。だから、自分の中で大きくしっかり夢を育てて、膨らませていきたいです。
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