宇宙おじさん探査記録

世界は平和かい?今日も宇宙は見ているよ。

ある友人の夢。そろそろ命日というわけで。あっちでは元気ですか。

2006-07-23 01:51:00 | 日記
親友というには僕からは「先輩」という接し方になってしまう、年の差は勿論あって、しかし彼はずっとそのことが「もどかしかった」のだろう。何か悔しくて苛々したこともあったのだろう。

僕にはそういう所が、ある。
しかし彼は間違いなく僕を「親友」と言って憚らず、僕も「そうそう」と返していたが、やはりどこか「年上」の意識を捨てきれずに「気を遣っていた」。

突然の自死という「現実」を前に、僕は「やっと親友になった」。
「なることができた」。

その友は、イラストレーターとして才能を持ち、一緒に面白いことをやろう、と常々言い合っていたし、実際間違いなく「面白いことはできた」筈だ。

この、身近な他人を、滅多なことで「才能」に於いて「認めない」嫌な男が、「才能」に於いて「尊敬」した四人の内の一人。

亡くなる数年前から、「愛」がおかしくなり、「財」がおかしくなり、ついに「才」までが侵されつつあった、その時に、彼は「助け」を僕に求めていた。

しかしよりによって僕は、「あなたは今、愛を見失い、財に惑わされ、才が錆びようとしている、身を正すべし」と、なんと残酷な仕打ちで突き放した。

それで喧嘩になった。
その流れを引きずったある日、彼はいとも簡単に逝ったのだ。

僕は突き放したことを後悔なんかしていない。
ただ、もう一度会いたい、と思うだけだ。

夢で彼はクジラのオブジェを作っていたり、相変わらずクライアントとの折衝に追われていたり、「いつものお調子者コンビ」を付き合ってくれる。

目が覚めると、がっかりする。

昔、一緒にした建築写真の仕事中、レポート用紙に「落書き」した僕の似顔イラスト、大切に取ってあります。

なぜかそこに「〇〇」と書いてくれてあったのは、
いつも「カスやなー」と笑ってたことと裏腹に、案外本心だったのでしょうか。

僕は「命日」の日にちなんて憶えてもいません。
そんなことはどっちでもいい。

また、夢で会いましょう。