Aiでblog

Aiの文章生成でブログを書いてみた。
それ以外もあるよ。

2015/07/05に見た夢 異界スナック 「ふぃんふぃん」

2024-03-24 18:02:00 | 夢日記




こんな夢をみた。


 休日の早朝、目が覚めた僕は二階の自室から、一階の居間に降りると甥っ子の祥一郎がテーブルに向かって座っていた。

 小五から不登校になり、中学は一度も通うことなく卒業し、今年で二十一になる。

 そんな事もあってか、折り合いの悪くなった祥一郎の母親である僕の姉は、祥一郎を残して家を出て行き行方不明になってから五年になる。

 祥一郎は部屋に閉じこもってはゲームとテレビで一日を過ごしている。

 過去に一度だけ知り合いのいるラーメン屋にアルバイトで働きに出た事があったが、二月と持たずに元の生活に戻っていた。

 そんな祥一郎が珍しく居間に降りてきて来ていた。

 「どうした?」

 「おう、叔父さんか。小説を書いているんだよ。小説家になろうに投稿しようと思って」


 見てみるとノートにボールペンで何か書いていた。

 基本、小学校も満足に卒業していないので、平仮名ばっかりで書いている文字も汚い。

 「とりあえず、下書きを書いているんだ」

 そう言って祥一郎はノートを僕に見せた。

 最初に目に入ってきたのはその小説のタイトルである。

 「スナック ふぃんふぃん」

 「……なかなか渋いタイトルだな。ところで祥一郎はスナックに行った事があるのか?」

 「アルバイトに言ってた時に、店長が連れて行ってくれたんだよ」

 「そうか……で、どんな話なんだ?」

 「異世界でスナックを開店する主人公と、店にやってくる異世界住人のお客さんとの鮮烈なるバトル?」

 祥一郎は真面目な顔でそう言った。

 「もうそんな話はあるんじゃないか? で、鮮烈なるバトルなんだ。交流じゃなくて」

 「今年二十歳と言い張るエルフのチーママとの世代間バトルぽいのとか」

 「まぁ、エルフだからいいだろ?」

 「正確は良い、女ドワーフの新人さんへのチェンジの応酬とか」

 「チェンジとか、もうスナックのシステムじゃないだろ」

 「おお、勇者よ。死んでしまうとはなさけない」

 「そもそもスナックの業務じゃないし」

 「閉店間際のチークダンスの相手はオーガのママさん」

 「モンスターじゃん」

 他にもいろいろと細々としたアイディアを書きためているようだけど、僕はある事に気が付いた。

 「とりあえず、ストーリーラインを考えないと」

 僕は祥一郎に言った。

 ストーリーライン十ヶ条

 ・異界に辿り着く(自分の意志、もしくは他人の意志)

 ・異界に定住し、生活するための行動をする

 ・異界の住人相手にスナックを経営することにする 酒場はあっても女性が会話の相手をするシステムがない?あっても、性的な意味合いが強くなるので、それはNG.

 ・こちらの世界のものを持ち込む(カラオケ・酒・テレビ・DVDなど)

 ・バトル

 ・以外と繁盛

 ・利権を求めて妨害が入る

 ・抗争

 ・客も見方にして総力戦

 ・勝利し、閉店間際のチークダンス(曲はメリージェーン)

 そんな事を書いた紙を祥一郎に渡すと、彼は言った。

 「これで印税がっぽりだ!!」

 僕は心の中で無理だろうと思った。


短編小説〜ルクゥの遺書〜

2024-03-24 17:50:00 | 短編小説




 「卒業おめでとう」


 俺は教え子達にそう声をかけた。


 幼さの残るその瞳には、この日を迎えた事の誇りと、自分たちの未来への希望が光り輝いている。

 もちろん緊張で身の引き締まる思いをしているだろうが、少しばかりの携帯食料とお菓子、そしてよく冷えたジュースの小瓶が自分たちの前に置かれると、みんなぞれぞれに年相応の笑みを浮かべる。


 俺の生まれた国では、ごく当たり前のように、誰でも飲み食いできるものだったが、貧しいこの国で育った彼らには、こんな機会でも無ければ目にする事も出来ないような代物ばかりだ。

 俺は甘くて安いだけの炭酸飲料の入った小瓶を高く掲げて言う。


 「サシャ民族解放戦線に栄光あれ!!乾杯!!」


 教え子達もジャングルの中に臨時で作られた訓練兵卒業式会場の中で同じように叫ぶ。

 俺は彼らに戦闘訓練を叩き込み、政府軍との激戦地である最前線へ送り込む指導教官をしている傭兵だ。

 生徒達は9歳から12歳。

 中には女の子もいる教え子達に、たった二週間の訓練でどれだけのことが出来るようになるかと言えば、ほとんど何もできないと言っても良い。

 だが、それがサシャ民族解放戦線の現実であり、戦況だった。

 四方を政府軍に囲まれ、補給もほとんど断たれている。

 四面楚歌と言ってもいい。だが彼らサシャ族は誇り高い民族であり、過去三十年もの間、自分たちの民族と土地、そして独自の文化と宗教を守るために政府軍と戦い続けているのである。

 大人の兵士もいるが、今となっては絶対数が足りず、子供だろうと女だろうと、お構いなしに兵士として戦場に出ていた。

 そんな彼らに少しでも生き残るチャンスを与えるのが俺の仕事だと思っている。

 もちろん教え子達の未来を思えば、今日の卒業という日を素直に喜べない俺がいる。

 できる限りの事はしたが、このうち何人が始めての戦闘から生きて帰ってこれるのかと考えれば、憂鬱にもなるだろう。

 しかし、上官としてそんな姿を見せるわけにはいかない。

 なぜならあと1時間もすれば、俺の教え子達は最前線へと向かう事になっている。

 俺は逆に一度帰国して、アルバイトで肉体労働しながら今後の傭兵としての活動資金を三ヶ月ほど稼がなければならない。

 傭兵というと雇われて、給料をもらっていると思われるが、サシャ民族解放戦線にそんな余裕はない。

 銃に弾丸、食料などは全て自分で用意しているので、ボランティアみたいなものだった。

 俺は戦場を提供してもらっているにすぎない。


 「はい、シャチョー」


 そう言って、俺の前に立って一枚の紙切れを差し出したのは、ルクゥという名の12歳の女の子だった。

 今回の教え子の中で最年長であり、俺は彼女に迫撃砲の撃ち方を叩き込んだ。

 射撃の腕は幼い頃から撃っているのでたいしたものであり、狙撃手としての腕前とは裏腹に、今は支給されたケーキを片手に持っている姿が彼女を年相応の女の子にしていた。


 「なんだ、ルクゥ?ラブレターか?」

 「ちがうよ、家族に遺書を書いておきなさいと、訓練が始まる前に言われたんだけど、私は家族がみんな死んじゃったから、シャチョーに持っていてもらおうと思って」

 俺はそうかと言って受け取ると、中を見ようと開こうとしたが、ルクゥに止められる。


 「遺書は私が死んでから読んでよ」


 そう言って笑ったルクゥ達が最前線へと向かうのを見送ると、俺はジャングルを後にしたのだ。

 政府軍の監視網を縫うように突破し、国境を越えて隣国の空港にようやくの思いで辿り着いたのは三日後の事で、搭乗手続きをしている時にメールが届いた。

 相手は俺がいたサシャ民族解放戦線基地の司令官からだった。

 犠牲を払いながらも夜間急襲は成功し、民族の聖地を取り戻したそうで、包囲網も解かれ、これからは物資も入りやすくなるだろう。

 俺は一通りメールに目を通すと、ルクゥから預かった遺書をポケットから取り出し、読み始めた。


知ったこっちゃない

2024-03-24 17:21:00 | Ai生成

押利鰤子(おしりぶりこ)です。


今回は、「知ったこっちゃない」というテーマで再びお話ししたいと思います。


まずは、知らなかったことが急に意識に入り、驚く瞬間ってありますよね。

私も最近、そのような体験をしました。

友人から聞いた話で、実は地球上の大部分は人間が未だに踏み入れたことのない未開拓地だというのです。


この事実には驚きと共に、未知の世界の広がりを感じてしまいました。


さらに、知識や情報の氾濫する今の時代、何かを知ることが目的ではなく、その知識をどう活かすかが大事だと感じます。


たとえば、最新の科学技術の知識があっても、それを使って社会や地球の課題を解決するアイデアがなければ、ただの知っているだけの人に過ぎません。


知らないことを知ることは、私たちの視野を広げ、新たな可能性を感じさせてくれます。


日常の中で、ちょっとしたきっかけで新しい発見や気づきがあるかもしれません。


そのたびに、「知ったこっちゃない!」と驚き、喜びを感じることができるのも、生きる楽しみの一つですね。


さて、今回はここまで。皆さんも日常の中で、知らないことや知識を活かす場面に出会えることを楽しみにしてみてください。


それでは、次回のブログでもお会いしましょう。さようなら。


テキスト

2024-03-24 17:17:00 | Ai生成

最近、テキストについて考えることが増えてきました。

テキストって、その言葉通り「文(もじ)の事」という意味だけど、実はそれだけではないんですよね。


文章を書くとき、そのテキストが持つ力って凄いですよね。

文字を並べるだけで、人を感動させたり、笑わせたり、考えさせたりすることができるんです。

それって、本当にすごいことだと思いませんか?

最初は、テキストの力に気づかなかったんです。

ただ文章を書くこと自体が好きで、それだけで満足していました。でも、ある日ふと、文章に込める意図やメッセージの大切さに気づいたんです。

テキストは、伝える相手によって受け取り方が変わります。

同じ文章でも、読む人によって感じ方や理解の深さが変わる。だからこそ、その人の心に響くテキストを書くことが大切なんですね。

最近は、特にSNSやブログなどの情報が溢れている時代だからこそ、自分の書くテキストにはしっかりと考えを込めたいと思うようになりました。

ただ言葉をただ並べるだけじゃなくて、相手に何かを伝えたい。

そんな気持ちが強くなってきました。

文章を通じて人と繋がり、共感を生み出すことができる。

それがテキストの魅力だと感じます。これからも、自分の書くテキストには丁寧に向き合っていきたいと思います。

テキスト。

そのひとつひとつに、たくさんの想いやメッセージが詰まっている。

そして、それを受け取るのは、いろんな人たち。

時には笑顔を届け、時には涙を誘い、そして時には考えさせる。

テキストの力、その可能性にいつも感動しています。

これからも、私のテキストが誰かの心に届くよう、精進してまいります。

今日も、こうしてテキストと向き合い、綴っていると、心から幸せを感じます。

テキストの世界は、きっとまだまだ広がっていく。その先には、たくさんの可能性が広がっているのでしょう。

テキスト。

それは、一つの言葉から始まる、私たちの物語。

どんな言葉を選び、どんなメッセージを込めるか。

それが、私たちの書くテキストの魅力なのです。皆さんも、ぜひその力を感じてみてくださいね。

テキストという魔法のような力を持った言葉たち。

これからも、私たちは一緒にその魅力を広めていきましょう。

ありがとう、テキスト。

あなたがいるから、私たちは今日も心豊かに生きていけるのです。



憂鬱

2024-03-24 17:08:00 | Ai生成

私は、普段は介護職として働いている小太りのおっさんですが、今回は少し違ったテーマでお話ししたいと思います。

今回のテーマは「憂鬱」です。


憂鬱な気持ちになることは、誰しも経験があるのではないでしょうか。

ただ、そのまま憂鬱な日常に埋もれてしまうのは良くありません。

そこで、私自身が実践している、憂鬱な日常から抜け出す方法をご紹介します。


まず、憂鬱な気持ちになる原因を探りましょう。

現実的な問題や仕事上のストレス、人間関係の悩みなど、さまざまな要因が考えられます。

その中で、一番大切なのは自分自身と向き合うことです。自分自身の感情や欲求をしっかりと理解し、問題解決に向けて行動することが大切です。


次に、自分を癒してあげる時間を作りましょう。

日々の忙しさやストレスに追われる中で、自分自身を見失ってしまうことは珍しくありません。

ですが、自分を癒すことはとても重要です。散歩や読書、お風呂に浸かるなど、自分が好きなことをする時間を作り、心身のリフレッシュを図りましょう。


また、周囲の人とコミュニケーションをとることも大切です。

孤独感や寂しさが憂鬱な気持ちを強めることがあります。

ですから、友人や家族と適度につながりを持ち、気持ちを共有することで心のケアをすることができます。


さらに、自分の心と体を健やかに保つために、適度な運動やバランスの取れた食事を心がけましょう。

適度な運動は身体の代謝を活発にし、ストレスを軽減してくれます。

また、栄養バランスの取れた食事は体調を整えるだけでなく、心の健康にも良い影響を与えてくれます。


最後に、前向きな考え方を持つことが重要です。

憂鬱な気持ちに囚われることは簡単ですが、ポジティブな思考を持つことで、憂鬱な日常から一歩踏み出すことができます。

自分自身に対して優しく、自信を持って進んでいきましょう。


憂鬱な日常から抜け出すためには、自分自身を大切にすることが必要です。

自分の気持ちや欲求に素直になり、心と体をケアしながら、前向きな考え方を持ちましょう。


「憂鬱」な気持ちも一時的なものであり、あなた自身が主役となって、新たな日々を切り開いていくことができます。信じてください。