Aiでblog

Aiの文章生成でブログを書いてみた。
それ以外もあるよ。

自分探しの旅に出て、最終的にたどり着くのはゴールじゃなくてスタート

2024-03-21 19:32:00 | つれづれ

ここは本来の自分がいるべき場所ではないとか、自分自身に存在意義を見つけたいなどと言うことで、


「ここでは無いどこか」


を求めて世界を放浪する自分探しの物語は、特別視するまでもなく、アニメやマンガにライトノベルと言うものの中で、テーマとして扱われると言うことが結構な割合で存在いていると言うことは改めて語ることもないだろう。


そしてそれらは多く場合、最終的な場面でたどり着く場所は良くも悪くも一番最初にいた場所である。


ドラマ「北の国から」で、東京に憧れて富良野を飛び出した純は富良野にもどり、漫画版「風の谷のナウシカ」では、ヒロインのナウシカが最後に風の谷に帰ったと書かれており、故郷を飛び出した主人公やヒロインは様々な困難と挫折を乗り越え、故郷に戻って行くのである。


「じゃあ、そもそも故郷を出て行く必要などないじゃない」


そんな意見もあるかも知れないのだけど、主人公やヒロインが夢や希望に満ち溢れて出て行った最初の頃とは変わり、同じ状態で戻って来ることはない。


戻ろうと言う気持ちや意志があったとしても、戻ることは叶わない場合は、出てきたのに戻りたくなったと言う気持ちの振り幅が心情の変化となり、その心の動きにドラマは生まれ、そこに人は心惹かれるのだろう。


または変わろうと言う気持ちが、変わることなどできやしないと言うことに気がついた時、変わることができなかった自分さえも受け入れてくれる場所を求めるのかもしれない。


などと言う話を創作指南の書籍などでよく見かけるのだけれども、それらは当然のように物語の中の事であり、現実世界を考えてみれば、どこにでも行けるけれど、基本的にはどこにも行けないと言うことの方が多いのではないだろうか?


一日二十四時間と言う尺の中で、そうそう簡単には胸が踊るような奇想天外疾風怒濤の神展開な物語など、そうそう起こる事など無く、起きたら起きたで面倒な日々になってしまうのである。



普通が一番。

普通が一番難しい。


物語であるならば、普通と言えば波風立たない日常系の物語になるのかも知れないけれど、本当の意味で何も起こらないと言うわけではないだろう。


読者はきっとそれを求めていないだろうし、作者も何を書いていいのか解らないだろう。


そして、リアルで「ここでは無い何処か」を探したところで、見つかることの方が多いのである。


ところが現実という奴は何も起こらないとなると、本当に何も起こらなくて、すっかり晩年を迎えそうな勢いなのだけれども、そうで無い場合は大抵の場合、ろくな事にならず、むしろ破滅を巻き起こす勢いである。


ゴールしたと思ったらそこはスタート。

成長できるかどうかは自分次第。





個人的にはワンピースの最終回は、ルフィが出発した港に世界一周して辿り着くと思う。


短編小説〜エウレカ〜

2024-03-21 19:21:00 | 短編小説

あなたはしにました。


 わたしの今の状況を昔のRPG風に言うならば、まさにそんな感じだと思う。


 生まれつき心臓に重い病気を抱えていたわたしは、小さな頃から何度も手術を繰り返してきた。


 中学生になった頃には、もう移植しかないと主治医に伝えられ、臓器の提供をいつ止まるか解らない心臓を抱えながら待ち続ける日々。


 ほんの数秒先には死んでいるかも知れないと言う不安は心を押し潰し、介護をしている両親や、主治医の先生に当たり散らしていた。


 心臓の不調から来る他の疾患や、心の不安定さはさらに体を蝕み、自分でもそう長くないという事に気が付いた時には、全てがどうでも良くなっていた。


 死にたくはないけれど、苦しい日々から解き放たれるならば、それはそれで悪くないかもしれない。


 そんな諦めの境地にやっと達した時に、わたしに合う臓器提供者が現れたのだった。


 詳しい説明はなかったけれど、二十代の男性で交通事故に遭い、脳死状態になったのだという。


 移植手術を受けられたわたしは奇跡的に命を長らえて、普通とは言えないまでも長かった入院生活を終えて、学校に通い始め、就職をし、結婚して子供まで産む事が出来た。


 それは、たとえ移植手術をしていたとしても、わたしの体には充分な負担だったようで、長らえた命も子供が小学校に入学したのを見届けた頃に終える事となったのだけれども。


 愛する夫や子供と別れるのは哀しい事だけど、本来ならば終わっていた命をここまで長く繋いで来れたおかげで、夫や子供と共に生きる事が出来たと思えば、それほど悪くない人生だったと言えるのではないだろうかとも考える事ができた。


 薄暗い世界の中で小さな小舟に乗って三途の川と思われる川を渡っていく。


 振り返れば、わたしがやって来た方に、闇の中に浮かぶ眩い街の灯が見える。


 「幸せな人生でしたか?」


 若い男性の船頭が舵を取りながらわたしに聞いてきた。


 「ええ、とても幸せな人生でした」


 少し悲しいけれど、わたしはそう笑顔で言えた。


 「そうですか。良かった。僕の心臓があなたに渡って本当に良かった」


 「わたしがもらった心臓は、あなたのだったんですか?」


 「えぇ。僕はもう新しい命に生まれ変わる事が決まっているんですが、あなたがやって来ると知り、三途の川を渡る時の船頭をさせてもらったんですよ。だって、気になるじゃないですか。僕の心臓でどんな人生を送る事ができたのかなって」


 船頭は笑いながらそう言った。


わたしはその笑顔に答えます。

 「おかげで良い人生を見つけることが出来ました」



春雷

2024-03-21 17:41:00 | Ai生成

夜明け前、春の雷鳴が突然聞こえてきた。

その轟音にびっくりして窓を開けると、外はまるで昼間のように明るかった。

春と言えば、桜や新緑の季節だが、雷鳴とはちょっと不思議な組み合わせだ。


しかし、これが春の訪れを告げる合図なのかもしれないと思い、心が躍った。


雷は突然やって来るもので、その迫力には誰しもが圧倒される。

私もその一人だ。


その力強い轟音は、まるで春の自然そのものを象徴しているようだった。そんな春雷を感じながら、心の中で様々な思いが渦巻いている。


春雷は、新しい始まりを象徴する。

雷が鳴るということは、春の訪れや新たな可能性が広がっていることを教えてくれるのだろう。

そして、その力強い音に背中を押されて、新たな一歩を踏み出す勇気をもらった。

春の訪れは、私たちに新しい希望と勇気を与えてくれるのだ。

さて、春雷が鳴る中、私は幸せな気持ちに包まれていた。

春の訪れと共に、新たな気持ちで日々を過ごしていこうと心に決めた。

この春、私には何か素晴らしい出来事が待っているのかもしれない。

それを信じて、今を全力で生きていこうと思う。

雷の轟音がそっと聞こえる春の日、そんな気持ちを抱えている私なのだ。



黄昏コミニュティ

2024-03-21 17:26:00 | つれづれ

これはまだ中の人の母が元気で認知症もなく、普通に出かけたりしていた2015年ごろのお話です。



 「ちょっと出かけてくるから」

 母がそう言って、外出する準備を始めた休日の昼下がり。

 「どこ行くの?」

 私がそう聞くと、近所のスーパーに行くという。

 買い物ならば、ほんの少し前に私が車で連れて行って、済ましてきたばかりであるのだけれども、買い物に行くわけではないらしい。


 なんでもそのスーパーの中にある休憩所で、友達と会う約束をしているそうで、そこでコーヒを飲んだり、買ってきたドーナッツを食べながら話をするのだそうである。


 そんな語らいの場に、6〜7人の老人が常に集まってくるのだという。

 おやつやら漬け物やら、大根などを交換し、着なくなった衣類の交換もしているらしい。


 スーパーにとってはいい迷惑だろう。


 「80歳のお姉さん(母は70なので)は良く男の人に声をかけて、投げキッスとかしているの。だから他の店で出入り禁止になって、いまの店に流れてきたのよ。男好き見たいなんだけど、ちょっと痴呆が入っているから本気で声をかけているのを見たりするとちょっと怖いわね。着る物も派手だし、化粧も凄く濃いの。私と仲のいい人は、未亡人なのね。一人暮らしだから暇みたいで、最初はその人と二人だけだったんだけど、いつの間にか増えたの。その人は糖尿だから自分じゃ食べられないからって私にいつもお菓子を買ってきてくれるんだけど、私もいつも買ってもらってばかりじゃ悪いと思って珍味なんかを買っていくと、出すんじゃないよ、しまいなさいってちっとも受け取ってくれないのよ。糖尿だからというのもあるんだろうけど」


 なかなか濃いメンバーであると思う。


 しかし、まだまだ上がいる。

 「もとヤクザだったっていうお爺さんがいるんだけど、アル中なのね。だけど本人はまったく飲まないっていうんだけど、いちど現れるなり酔っぱらっていて、他のお爺さんをいきなり持っていた杖で殴り始めたりしたの。金貸しをしているらしいんだけど、アレは悪い男だわ。殴られていたお爺さんは実は段持ちなのね。空手とか柔道とか。だから手を出すと傷害罪になるからって、いっさい手を出していなかったけどね」


 私は心の中で避けろよと思ったが、それは言わなかった。


 何が面白いのか解らないが、不良中学生が夜中のコンビニの前に集まるようなものかと思った。


時間停止

2024-03-21 12:42:00 | Ai生成

最近、私が興味を持っているのは「時間停止」についての話題です。

時間停止とは、文字通り時間が停止する現象のことで、映画や小説などでもよく取り上げられていますね。

そもそも、時間とは一体何なのでしょうか?

私たちは日々、時間が過ぎていくことを感じますが、その正体は謎に包まれています。時間が停止すれば、私たちはどうなるのでしょうか?

一瞬の永遠、という表現がありますが、それが現実となったらどんな感覚なのでしょうか?


時間停止が可能だとしたら、私は何をしたいと思いますか?もちろん、まずは世界中を旅してみたいですね。

世界各地の美しい景色を堪能したり、新しい文化に触れたりしたいです。そして、たくさんの本を読み漁ったり、好きな音楽を聴きまくったりするのも楽しそうです。

しかし、時間が停止しているということは、周囲の人々は動かなくなります。家族や友人たちが停止した時間の中で永遠に閉じ込められているイメージが怖いなとも思ったりします。

もちろん、人々が気づかないように動けるようになる方法もあるかもしれませんが、それもまたハラハラする展開ですね。

時間停止のテーマは、私を想像させる力を引き出してくれます。

今はまだそんな技術や力が存在しない現実ですが、もしもその日が来たら、私はそんな世界で何をするのか、想像してみるだけでも楽しいです。

時間停止の魅力にひたれることは、まさに自分だけの冒険ですね。